【安保法制反対 特別寄稿 Vol.271~Vol.280】
集団的自衛権容認の危険性を明確に示す単純な事実があります。
1.アメリカは1776年の建国から現在に至る239年間のうち218年間、何らかの戦争に関与していました。平和だった期間はわずか21年間しかありません。
(参照:http://www.loonwatch.com/2011/12/we-re-at-war-and-we-have-been-since-1776/)
2.2014年のストックホルム国際平和研究所の統計では、世界の軍事費の三分の一以上はアメリカのものであり、軍事費を急増させる第二位の中国と比較しても、依然、その約3倍にあたります。
(参照:http://www.sipri.org/research/armaments/milex/recent-trends)
これらの数字は、アメリカが現在世界で最も好戦的な国であるということを、はっきりと示しています。そのようなアメリカとの軍事的な一体化を進める集団的自衛権を容認することは、近隣諸国の「脅威」よりも、遥かに現実的な脅威です。
また、今回の安保法案は手続き的に、日本の民主主義の歴史的汚点となるものです。ごく一握りの人間だけが関わる閣議で、重要な憲法解釈の変更をできるとするのは、自分たちが民意に選ばれた“国民の代表”なのではなく、“国民の支配者”である、という宣言のように思えます。「大事なことは、国民ではなく、自分たちが決めるのだ」。安倍政権が一貫して出して来るそういった「支配者意識」が問題の根本にあります。
私は現在の憲法九条、特に第二項には問題があると思っている改憲派ですが、今回の安保法案には以上の二点から、断固として反対します。
(神戸大学農学研究科 中屋敷均)
私は、途上国の法曹・官僚・大学教員などを主体とする留学生たちに、わが国の法制度、特に労働法を教えています。教育に際しては常に、立法の目的、立法手続きの正当性、法解釈の論理性と妥当性および実効性などに注意するよう指導しています。
ところが、近年、労働法の分野では、制度の本来的な趣旨・目的や建前を無視した無軌道・無節操な法解釈や法「改正」が横行しています。たとえば、就業規則を利用した労働条件の切り下げや、「オリンピックや震災復興のため」の外国人技能実習制度の期間延長などです。
さらに、いわゆる残業代ゼロ法案や、労働者派遣制度における相次ぐ規制緩和なども、労働者保護という労働法の本来的目的からきわめて説明困難なものと言うべきです。
そして、ついに法治国家としてあるための礎であり最後の砦である憲法までが、きわめて卑怯で恣意的な方法により、強引に骨抜きにされようとしています。
すなわち、経済政策を争点として前面に押し出した結果多数を獲得した政権与党が、突如として集団的自衛権を主張し、しかも正面からの9条改正が困難と見るや改正手続き規定から緩和しようとし、それも難しいとなると閣議決定で「解釈改憲」を押し通した挙句、大多数の憲法学者や史上、稀に見る規模で勃興する市民運動の声も無視して、集団的自衛権の行使を可能とする安保関連法案を衆議院で強行採決してしまいました。
私は、到底憲法との整合性を見出し得ないこの法案の内容に反対です。
また、卑怯な解釈改憲や非民主主義的な強行採決といったこれまでの経緯も許せません。さらに、この法案にちりばめられたワケのわからない文言や概念についても、この法案が導く可能性のある結果の重大性にかんがみて危惧を禁じ得ないし、そもそも法律としての体を成していないと考えています。
例えば、「わが国と密接な関係にある他国」とは、一体なんでしょうか。安倍首相が、脅威として名指しする中国はわが国にとって「密接な関係にある他国」ではないとでも言うのでしょうか。
私が教えている途上国からの留学生たちは、日本は高度に発展した民主主義的な法治国家であると信じて、その経験に学びたいという期待を胸に集まってくるのです。
ところが、わが国の現状は上記のとおりの体たらくですので、誇りと自信をもって教育にあたることが難しくなっています。私たち一人一人が声を上げ、この事態に歯止めをかけることで、「民主主義」とはどういうものかを私たち自身のためにも示さなければなりません。
(斉藤善久 神戸大学大学院国際協力研究科准教授)
<論理を否定する人々への怒り―青森県六ヶ所村で平安時代の人々の生活の跡を土のなかに探しながら>
現在、青森県六ヶ所村に考古学の発掘調査のため学生と来ています。昨日、8月30日、日本国の国会議事堂前に1/120000として加わることができなかったことを残念に思っております。
しかし、夏休みのこの時期に学生たちと発掘調査をする、それが私の日常です。そんな多くの普通の人々に、抗議活動という非日常を強いておきながら、その意味を考えない現政権に「国民の平和を守る」などと語る資格はありません。
私が今回、日本国政府に対し主張しなければならないと考えたのは次の1点です。論理を否定することへの怒りです。論理を無視して政権に都合のよい憲法解釈をし、その結果、立憲主義を掲げる日本国で、政権が憲法をないがしろにする。そのようなことを許すわけにはいかないと6月4日に感じたのです。もちろん戦争をすることは人類への反逆であり、それを可能にする法案など認めることができないのは当然です。
論理を愛する憲法学者の方々による法案への違憲判断、これは国会に出席した3名全員が一致していました。現政権はそれを謙虚に受け止めるのではなく、国民の目の前で、堂々と無視してみせました。
その後、憲法学者や弁護士の大部分を占める方々から、法案は違憲であるから廃案にせよとの意見表明が続きました。日々、論理と法を愛し、社会に尽くす人々による意見です。単なる「多数決」とは意味が違います。仮にそれを合憲とする意見があるとしても、論理的にはむしろそれは“誤り”と考えねばなりません。それなのに現政権はこのことを誠実に考えず、7月15日、法案が違憲か否か誠実な議論を一度も行わぬまま、強行採決を実施しました。論理を無視し、数という暴力でそれを否定する、そのような思考回路を持つ者たちに政治を乗っ取られたままではならない、そう私は感じました。
学問する私たちにとっての現政権への怒りは、政治の話などではなく、純粋に学問的なものです。学問は論理を基本として成り立っています。学問する者にとって、それを否定することは学問自体の否定であり、絶対に許すわけにはいきません。論理の無視、否定は、学問を論理の追求ではなく、単なる欲望のための道具に貶めることにつながります。
このことは現政権が、一部の価値観念、例えば経済だけを対象とした“実学”重視の立場から大学を編成しなおそうとしていることからもよくわかります。
またその経済も、地球環境を永続させることを基本としたものではなく、“グローバル”とは名ばかりの、人類の一部の層によるある特定の産業を重視したものに組み替えてしまおうというものです。地球上の多様な人類の暮らしが、近視眼的な視野の人々によって一気に破壊されようとしています。論理に生きるわれわれがそれを見てみぬふりをするわけにはいかないのです。
論理の否定は、やがては暴力、人殺し、戦争、すなわち人間の否定へと続きます。私たち、論理を愛する者は、それを絶対に許すことはできないのです。
(松本建速 東海大学文学部歴史学科考古学専攻)
私は、大学でプロレタリア文学の研究をしています。プロレタリア文学というと、労働問題をテーマに扱った文学というイメージをお持ちの方が多いかと思いますが、有名な小林多喜二「蟹工船」を読めば明らかなように、そこで扱われる労働問題の多くは、当時、帝国日本が推進していた戦争と大きな関わりを持っていました。
近代国民国家の大きな存立理由の1つは、戦争を遂行するということにあります。大日本帝国も例に漏れず、武力を用いた覇権拡張により、列強諸国の仲間入りを目指しました。
これに対し、プロレタリア文学者たちは芸術により労働者階級の覚醒を促し、階級闘争を通して社会そのものの変革を目指していました。それは、帝国主義という戦争による国家の覇権拡張を否定し、あらたな社会のあり方を模索する試みでもありました。「蟹工船」に限らず、実はプロレタリア文学の多くは反戦・非戦の文学でもあったわけです。
プロレタリア文学における抵抗運動は、しかし、当局による苛烈を極める弾圧により壊滅を余儀なくされました。
そして、現在、私たちは再び戦争推進をめざす政府という巨大な権力に立ち向かう抵抗運動の只中にあります。
しかし、戦前のプロレタリア作家たちと現在の私たちの運動には大きな違いがあります。それは戦前では手にすることがかなわなかった様々な武器を、私たちは持っているということではないでしょうか。言論の自由は言うまでもなく、それを行使するためのインターネットをはじめとした各種メディア、そして何より日本国憲法9条です。
憲法9条は、戦争を推進する暴力装置としての国民国家のあり方を根底から問いなおし、オルタナティブな社会のあり方を世界に向けて提示しているのです。それは反戦よりももっと強い、戦争そのものの存在を否定する非戦の精神を明文化したものであり、そして、プロレタリア作家たちが追い求めた新たな社会の可能性そのものなのです。
憲法9条によってもたらされる、このあらたな社会のあり方の可能性を次の世代に手渡すために、私は安保法案に反対します。
(鳥木圭太 立命館大学非常勤講師)
私は、日本政府が「危機事態」を正しく判断できるのかどうかについて、とても懐疑的です。というのも、対イラク戦争の支持、そしてイラクへの自衛隊派遣について、誤った判断をした、という反省がきちんとなされていないからです。
大量破壊兵器がある、との憶測に基づいて仕掛けられた対イラク戦争は、中東に大きな混乱をもたらし、その結果としてIS(シリア⁼イラク⁼イスラーム国家)の台頭を可能とする状況を作ってしまいました。その混乱の中で、イラクでは15万人にも及ぶ民間人が死んでいる、とされています(Iraq Body Count調べ)。15万人という数がピンと来ないならば、御巣鷹山の日航機墜落事故が288回以上起きるほどの犠牲者が出ている、と考えてみてください。御巣鷹山で亡くなった520名のご家族・友人たちにとっては30年を経てもまだ喪失感や心の傷は癒えず、その思いに私たちは胸が痛みますが、イラクではこの12年で、その288倍以上の無念さ、悲しみとやりきれなさが渦巻いているのみならず、今日も吹き荒れる暴力に苦しむ人々が万人単位でいるのです。
それほどの苦しみをもたらした責任について、日本政府はあまりに無自覚です。対イラク戦争開戦当時の小泉総理は、世界のなかでも最も早く対イラク戦争を支持した一人でしたが、あれはどういう根拠に基づくものだったのでしょうか?その政権の中枢にいた現安倍総理は、その判断をどう見たのでしょうか?お二方とも、日本が加担して、何百万人もの生活を破壊した決断について、明確な反省の言葉を国民に向けても、世界に向けても、発信していません。
おまけに、イラクに派遣された自衛官のうち28名もが帰国後、自殺をしているという報告があります。PTSDに苦しんでいる人はきっと百人単位になるでしょう。「戦争法案」は、日本の防衛のためというよりも、アメリカの要請に基づいて、中東やインド洋に派兵をすることを可能にするための法案であると強く疑われます。日本の防衛や災害対策ならともかく、直接日本に敵意を持っていない中東やアフリカでのアメリカの戦いに、日本がお付き合いするのは馬鹿げたことです。平和をもたらす? 冗談じゃありません! 火に油を注ぐ行為の、それも最も狙われやすいロジスティスティクスを押し付けられるだけです。
貴重な日本の防衛力を削るのみならず、現地の反感を買って、これまで日本の民間の人々が築いてきた日本への信頼を損なって、何が良いことがあるのでしょうか。今後の日本の生きる道は、多角的な外交にこそあるのです。故岸総理の時の東西対立の時代は終わり、多極的でよりコミュニケーション密度の高い世界に対応してゆく知恵こそが、必要なのです。「戦争法案」は、日本の行くべき方向とは逆行するものです、強く廃棄を求めます。
山岸智子(明治大学政治経済学部教授)
現在進行中の戦争には色々意見があるだろうから、 現政権がやろうとしていることを評価が概ね定まっている越南戦争を例に一言でまとめると、 「自衛隊が米軍に付いて越南に攻め入りたい」と言うことでしょう。
これをもしやっていたら後悔したでしょうね。基地を使われたのは悔しいけど、直接手を下さないで本当 に良かったと殆どの人は思っているでしょう。
吉田正章 九州大学名誉教授(数学)
安保法制が成立したら、次にやって来るのは「言論統制」である。
なぜなら、「いざ戦争」となったら国論は必ず賛成派と反対派に二分されるため、戦争を始めようとすれば、政府はなんとしても反対派を抑え込まなければならないからである。そのためにはマスコミ報道のコントロールと国民への言論抑圧がどうしても必要になる。
実際、小泉政権が「自衛隊のイラク派遣」を決定しようとしただけでも、「読売新聞」は賛成、「朝日新聞」は反対を唱えるなど国論は二分された。
その際、「派遣反対のビラ」をマンションのメールボックスに入れて回っただけで、警察はその人たちを「住居侵入罪」で逮捕し、長期間拘留した。「言論抑圧」なしに戦争などできないことは、この一事からも明らかである。
安保法制を押し通そうとしている自民党の憲法草案には、「表現の自由」の条項に、現憲法にはない「第二項」が設けられている。
「第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。2 前項の規定にもかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」(自民党憲法草案、同党ホームページより)
「公の秩序を害する」かどうかを判断するのは誰なのか。このことを少しでも考えてみれば、これがいかに危険な条項であるかは誰の目にも明らかである。今日大きな広がりを見せている安保法制反対の意思表示は、基本的人権を守ろうとする「国民の声」にほかならない。それに賛同しない学者がいるとすれば、そのことの方が不思議である。
山口義行 立教大学経済学部教授(金融論)
<安保法制川柳20句>
平和のため 血を流せと 新安保
民意より 米国大事と 安保法
自衛隊 米軍助けて 存在感
シュートだめ アシスト良しと 新安保
自衛隊 総理信じて 海外に
この国は 存立危機事態 民主主義
安保法 政府の説明 珍粉漢
北朝鮮 中国に感謝 防衛族
丁寧に 分かりやすくと オウム鳴く
丁寧に 強行可決の 策を練る
丁寧と 首相が言うと 嘘っぽい
九条こそ 世界で輝く 抑止力
右側は 通行禁止よ 九条橋
有識者 違憲はイカンと イケンする
マスコミに 圧力かけて オレ安泰
政権に 媚びると見ないぞ 〇〇K
もうイヤダ 地震に噴火に 安保法
若者の デモに希望の 光見る
反戦で デモる若者 利己的か
愚論より インパクトある 時事川柳
(三島徳三 北海道大学名誉教授/日本科学者会議参与/農業経済学)
イラクとアフガニスタンに軍事介入して、百数十万人という死者と何百万人という避難民がその犠牲になりました。アメリカの歴史に残る大きな失策でした。
下記の2014年の世論調査結果が示すように、これがアメリカ国民自身の評価です。民主党支持者も共和党支持者も共通した評価です。
Growing Share Says U.S. Has ‘Mostly Failed’ in Iraq
Source: http://www.people-press.org/2014/01/30/more-now-see-failure-than-success-in-iraq-afghanistan/1-30-2014_3c/
このような失策は将来もあるでしょう。日本はそのような国の軍事介入の担い手になるのでしょうか。
集団的自衛権の行使にあたっての3条件はあまりにも曖昧です。日本が「敵国」となり攻撃を受ける可能性が高まり、海外に居住する邦人の生命を危険にさらすことになることも十分考えられます。日米の軍事介入がさらに拡大することも考えられます。
どのような展開、結果になるかわからないのが戦争です。これは先の戦争で日本が学んだことです。このような危険を孕む安保政策を安倍政権が憲法の解釈変更だけで国民の反対を押し切っても進めようとするのは暴挙だと言わざるを得ないでしょう。
安保関連法案は廃案にして、憲法改正すべきかどうかを国民に直接問うのが今の憲法のルールです。このルールを守るのが立憲民主国家の姿でしょう。
ミドルベリー国際大学院国際政策教授
赤羽恒雄