私は、日本政府が「危機事態」を正しく判断できるのかどうかについて、とても懐疑的です。というのも、対イラク戦争の支持、そしてイラクへの自衛隊派遣について、誤った判断をした、という反省がきちんとなされていないからです。
大量破壊兵器がある、との憶測に基づいて仕掛けられた対イラク戦争は、中東に大きな混乱をもたらし、その結果としてIS(シリア⁼イラク⁼イスラーム国家)の台頭を可能とする状況を作ってしまいました。その混乱の中で、イラクでは15万人にも及ぶ民間人が死んでいる、とされています(Iraq Body Count調べ)。15万人という数がピンと来ないならば、御巣鷹山の日航機墜落事故が288回以上起きるほどの犠牲者が出ている、と考えてみてください。御巣鷹山で亡くなった520名のご家族・友人たちにとっては30年を経てもまだ喪失感や心の傷は癒えず、その思いに私たちは胸が痛みますが、イラクではこの12年で、その288倍以上の無念さ、悲しみとやりきれなさが渦巻いているのみならず、今日も吹き荒れる暴力に苦しむ人々が万人単位でいるのです。
それほどの苦しみをもたらした責任について、日本政府はあまりに無自覚です。対イラク戦争開戦当時の小泉総理は、世界のなかでも最も早く対イラク戦争を支持した一人でしたが、あれはどういう根拠に基づくものだったのでしょうか?その政権の中枢にいた現安倍総理は、その判断をどう見たのでしょうか?お二方とも、日本が加担して、何百万人もの生活を破壊した決断について、明確な反省の言葉を国民に向けても、世界に向けても、発信していません。
おまけに、イラクに派遣された自衛官のうち28名もが帰国後、自殺をしているという報告があります。PTSDに苦しんでいる人はきっと百人単位になるでしょう。「戦争法案」は、日本の防衛のためというよりも、アメリカの要請に基づいて、中東やインド洋に派兵をすることを可能にするための法案であると強く疑われます。日本の防衛や災害対策ならともかく、直接日本に敵意を持っていない中東やアフリカでのアメリカの戦いに、日本がお付き合いするのは馬鹿げたことです。平和をもたらす? 冗談じゃありません! 火に油を注ぐ行為の、それも最も狙われやすいロジスティスティクスを押し付けられるだけです。
貴重な日本の防衛力を削るのみならず、現地の反感を買って、これまで日本の民間の人々が築いてきた日本への信頼を損なって、何が良いことがあるのでしょうか。今後の日本の生きる道は、多角的な外交にこそあるのです。故岸総理の時の東西対立の時代は終わり、多極的でよりコミュニケーション密度の高い世界に対応してゆく知恵こそが、必要なのです。「戦争法案」は、日本の行くべき方向とは逆行するものです、強く廃棄を求めます。
山岸智子(明治大学政治経済学部教授)