明日のインタビューのために前乗りした京都。ホテルへ戻る夜道、人影がほとんどない深夜の交差点で、若い男が荒々しく肩をぶつけて来た。ぶつけて来たのは向こうだが、僕はすぐ「あ、すみません」と謝った。するとその若い男、数歩先に歩んでから踵を返して、「ケンカ売る気か!?」と怒鳴った。
「いやいやいや、そんな気ないから」と取り合わずに交差点で信号が変わるのを待ったが、若い男は、異常なほどの攻撃的な気配。酒を飲んでいるのか、むしゃくしゃしているのか、手頃な殴る相手を探してわざと絡む辻斬りのつもりなのか。
すると、一緒に歩いていたIWJの京都のスタッフが、「読売新聞拡販員の人や」と言った。顔を見たことがあるらしい。家に押し売りに来たことがあったのだろう。男は、身構えた姿勢で、近寄ってきたが、
僕が相手にしないのと、面がバレているのはまずいと思ったのか、離れて行った。まあ、離れて行ったからいいものの、大きな交差点、四方見渡しても誰もいない。言いがかりをつけられ、いきなり殴りかかられてもおかしくないシチュエーションだった。
今回のは、政治的背景あっての言いがかりではないだろうが、以前、代議士への取材の帰り、官邸下を歩いていて、185センチは越す大男が、横にぴたっとついて歩きながら、こちらを向くのではなく、前を向きつつ、グダグダ文句を垂れてきたことがあった。
「てめえ、この野郎、ぶっ殺してやる」ぐらいのことはつぶやいていたと思う。前を向いて言っているので、面食らう、他にデモ帰りの中年ご婦人が2人一緒に歩いていたので、巻き添えにしてはいけない。
ご婦人に離れて、と言ってから、その若い大男に対して、「なんか用か、用があるならこっちを向いて言え」と言った。正面を向いた男は、やはりブツブツと呪詛の言葉を早口でつぶやいている。目がいっている。足を止めて、向かい合ったが、会話にならない。
何を言っているか、はっきりしないが、「お前みたいなのがいるから日本がおかしくなるのだ、ぶん殴ってやる、ぶっ殺してやる」と、いうくだりは聞き取れた。僕が誰で何者か、わかった上で絡んでいるのは確かだった。
「ぶっ殺してやるぅ? やってみろ! ちょっとこい!」と言って、僕は官邸下の警備の警官たちの方へ向かってすたすたと歩いて言った。耳打ちするような距離でくっついてきて、低い声で脅し文句を吐いていた男は、捨て台詞を吐きながら離れて行った。
不用心に街を出歩かないように用心するようになって、もう数年になる。移動も車を多用するようになった。痴漢冤罪が怖いので、スタッフが同行しない時など、1人では電車になるべく乗らないようにする。それでも、わずかな徒歩の外出機会でこんな目にも合う。
危機に陥った時、間違いなく最後の最後は、自分の胆力と肉体1つである。今日もこちらが低姿勢に謝っているのに、若い男がケンカを本当に売りつけてきたら、やられっぱなしではすまない。女性スタッフも守らなければならない。60手前になっても同じこと。
どう捌くか、瞬間に色々なパターンが頭をよぎったが、問題は体がイメージ通りに動くか、ということだ。動かなければ、あわれ、自分から動いてすってんころりんしているかもしれない。体はやはり錆びつかせてはならない。
僕はこの8月で58歳になる。もう、60歳、還暦である。実際に孫が2人もいる、間違いなくおじいちゃんなのである。そういう男にも肩をぶつけて、古典的なケンカのふっかけ方をする若い馬鹿者がいる。これはうかうか老け込んでられない。
還暦になったら、若い人みんなが敬意を払うようになるかと思っていたが、まったくそうではないことがわかった。トレーニングをもう一度、やり直すぞ、と、今日のことはいい励みになった。老け込んでなんか、いられない。自律神経失調症にも負けていられない。