20歳だった私が先人から聞いたことを、今20歳の人たちに伝えます。立憲主義は、独裁権力の暴走を防ぐためにあります。利権に毒されない正義の心で行動すること、広く真実を探究することの大切さを知ってください。
私が東京大学文科1類の2年生であった1988年の晩秋、東大法学部の教員・学生で構成される団体「緑会」は、東京・神田の学士会館において数年ぶりの大会を開催した。招へい講演者の顔ぶれは、芦部信喜教授(憲法)、鳩山邦夫議員(自民党)、柳谷謙介国際協力事業団会長、松本善明議員(共産党)、横田喜三郎教授(元最高裁長官・文化勲章受章者)、という華々しいものであった。中でも、国際法の名誉教授であった横田先生はすでに92歳で、学生に向けて、次のような心に残るお話をされた。以下の記録は、私が1988年当時に作成したメモを基に、東大の学生サークル「行政機構研究会」のOB・OG会である「さわらび会」の2001年の会報に寄稿したものと同文である。内容の不備は私の責めによる。
横田先生のお話の要旨
「1931年、満州事変が起こった。当局の発表は、『鉄道のレール数mの破壊があったため、日本は自衛権を行使し、2都市を占領した』というものであった。私は当時東大で国際法を教えていたが、東大新聞に意見を求められ、『たった6mの線路の破壊があっただけで、わずか6時間後に400kmも離れた都市まで占領したというのは、自衛権の行使といえるかどうか疑問を付す余地はある』と書いた。ところがその後リットン調査団により、レールは70-80cmしか壊されておらず、列車がその上を通過して定刻どおりに到着していたことが発表された。そのような経緯があり、あるとき行われた講演会で私は、だんだん興奮してきたため、右寄りの意見に混じって、『断じて自衛権などといえるものではない、明らかに違法である』と叫んでいた。これについて、右翼系の新聞を始めとしてかなり強い批判が起こった。
そして私が仕事で上海に行っている間に右翼からの攻撃はますます激しいにものなっていったらしい。大学からは『今帰国するのは危ない、もう少し中国にいろ』と言われたが、帰国したいので出発することにしたところ、また大学から電報が来て、『今東京に来るのは危ない。少し九州に停泊していろ』と指示され、長崎にいた。しかしそうしてもいられないので、2週間位してこっそり東京に行くことにした。その際、県ごとに護衛の警官が代わる代わるくっついてきて煩わしいので、途中で煙に巻いて東京に戻って来てしまった。しかし、当分講義は再開できそうにもなかった。相変わらず右翼はすごいし、大学内部もこのとばっちりを受け、『横田め、言わなくてもいいことを……』という空気が濃かった。
ようやく再び講義をすることになったのは3か月も後のことだった。私は複雑な心境で教室に向かった。25番教室に入ると、満席の学生たちの間から、割れんばかりの拍手が起こった。びっくりしている私が壇上に上ろうとするとき、もう一度大きな拍手があった。そのとき私は思った。『ああ、学生は本当に、素直な心で、正しいものを正しいとして受け止めてくれるのだ』と。これは私が長く教鞭をとったうちで最も感銘を受けたことである。どうかみなさんも素直な気持ちを持ち続けて下さい。」
(以上)
京都大学大学院法学研究科教授(刑事法) 高山 佳奈子
(※ 「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼びかけ人)