【安保法制反対 特別寄稿 Vol.231~Vol.240】
今回の安保法案が、いかに日本の将来に害をなすか、背景を見るとよく分かります。
国民主権を否定する自民党の改憲案、これまで培った外交関係を破壊し続ける政府要人の行動、エネルギー安全保障と軍事的安全保障を破綻させる原発再稼働政策、軍需産業に活路を見出そうとする経済界、政府の行動を監視させないための秘密保護、自衛隊に肩代わりをさせたい米国、考える力を削いで国家に貢献させるための教育体制、等々。
これだけ悪い条件をよくも揃えたと呆れるばかりです。
社会の持続性には、周辺との適度な繋がり、多様な観点と戦略を保証する自由、政策や行動の検証と修正が可能な体制、生き生きとした想像力の涵養、などが必須です。それらを失うことが如何に危険なことか、訴え続けて行かなければなりません。
(伊藤公紀 横浜国立大学教授)
─ はじめに ─
憲法9条はアメリカが占領下に押し付けたものであり、10日間でこさえた出来損ないであるとする言説があります。そういう面もあるかと私も思っていたましたが、安倍政治のおかげで9条に関心を持つようになり、勉強してみました。その結果、
専門家の方々には常識的なことかもしれませんが、「理解を深めよう」としている他の方々の参考になるかと思い、一市民の私がこのように感じるにいたった勉強の過程を、皆さんと共有したいと思います。
教科書的には、連合国最高司令官(SCAP)マッカーサー元帥が、幣原内閣に自主憲法の草案を作成するように求め、憲法改正担当の国務大臣松本烝治を中心とする憲法問題調査委員会が「憲法改正要綱」(松本試案)を作成、しかし1946/2/1の毎日新聞によるスクープで、その内容が明治憲法の修正にすぎないことを知ったマッカーサー元帥が急遽、2/3に民政局長ホイットニーに命じて10日間ほどで草案(マッカーサー草案)を作成させ、2/13に幣原内閣の示した松本試案を拒否し、マッカーサー草案を示したことになっている。
このとき、マッカーサーがホイットニーに指示した3項目の1つが、戦争放棄であったために、現憲法第9条がアメリカの押しつけであるという認識になるわけです。もちろん、松本試案を却下し、マッカーサー草案を押し付けたというのは事実であって、無条件降伏した日本に対して、占領軍が新憲法を押し付けたという状況はそのとおりでしょう。しかし、憲法9条の戦争放棄および前文に謳われている国民主権・立憲主義がアメリカの押しつけであり、日本の歴史あるいは日本国民の意に反するものであるとの言説は正しくないようです。
I-1. 憲法9条は幣原喜重郎首相の提案をマッカーサーが受け入れて生まれたもの
マッカーサーは回想録(Reminiscences)の中で、戦争放棄の文言を憲法に入れることを提案したのは幣原喜重郎首相であったと述べています。p.302-3にこうあります。
「It has frequently been charged, even by those who should be better informed, that the “no war” clause was forced upon the government by my personal fiat.That is not true, … Long before work was completed on the new document by Dr.Matsumoto, I had an appointment with Prime Minister Shidehara,… He arrive at my office at noon on January 24th and thanked me for the penicillin, but I noticed he then seemed somewhat embarrassed and hesitant. … He then proposed that when the new constitution became final that it include the so-called no-war clause.He also wanted it to prohibit any military establishment for Japan-any military establishment whatsoever. …I could not have agreed more.」
このマッカーサーの思い出話は疑わしいといわれていたようですが、内閣憲法調査会の資料として国会図書館に所蔵されている「資料請求番号165」『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について−平野三郎氏記』(平野文書)は、これを裏づけているそうです。その一部を抜粋します。
「(第九条は現在占領下の暫定的な規定ですか、何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか)一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。…(憲法は先生の独自のご判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています)そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、〈中略〉憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。〈中略〉幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ」
真実は闇の中ですが、二人の話はよく合っています。
I-2. なぜ幣原首相は戦争放棄というとんでもない条項を提案したのか
「内部被曝」を不当に低く見る政府。放射線20mSvまでなら「安全安心」と言い放ち福島帰還を強引に進める政府。福島県外の放射線被害になんの手も打たない政府。
私は、3.11を契機に、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」を立ち上げ、この政府の人道・人権にもとる政策を糾弾し、注文提言もしてきた。今は、研究会の仲間に呼びかけ、「被ばくと健康プロジェクト」で、政府に棄民されようとしている福島県外の放射線被害者、とりわけ子供たちの「甲状腺検診」を自ら実施している。
原発再稼働といい、TPPといい、この国の政府が行っていることは「亡国」の政治と言われても仕方がなかろう。その最たるものが「安保法制」法案であろう。
国民の多数が反対し、成立を望まぬのに、なぜ、アベ政権は固執するのか。国民の意向より、祖父の「リベンジ」か、という声まで聞こえるようになってきた。
私は、安倍氏が「神道政治連盟」の国会議員懇談会会長であることに注目する。
神道政治連盟とは、以下の目標を持ち、全国に支部を持つ運動体。
・世界に誇る皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくりを目指します。
・日本の歴史と国柄を踏まえた、誇りの持てる新憲法の制定を目指します。
・日本のために尊い命を捧げられた、靖国の英霊に対する国家儀礼の確立を目指します。
・日本の未来に希望の持てる、心豊かな子どもたちを育む教育の実現を目指します。
・世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立を目指します。
「国旗国歌」、教科書採択、など活動は旺盛だ。
従来、自民党は国民運動が下手だ、できないと言われてきた。この団体によって、100万の味方を思想と運動の両面で得るという、安倍氏の思惑があるのだろう。現在300人の自民党議員が「神道政治連盟国会議員懇談会」に参加している。この団体は、別の見方をすれば、先の目標のもとに集まった思想運動カルト集団であると言える。最近、自民党内で安倍氏への異論が聞こえない、自民幹部・閣僚らが安倍氏の「口移し」発言を繰り返す、と言われるのもむべなるかな、「思想統制」が効いているのであろう。
従って、安倍氏を始め彼らは何をやるかわからないところがあり、決して侮れない。だが、彼らとて世論は怖い。彼らの政治生命を絶つことが出来るからだ。
盆明けから今期最大の攻防を迎える。帰省する人たち、議員に訴えるべし。そして最大の攻防戦を迎えよう。
「市民と科学者の内部被曝問題研究会」会員
「被ばくと健康プロジェクト」代表 田代真人
なるほど、あなたは安保法制に反対するぼくのような人たちのことを、頭んなかが「お花畑」だって言いたいわけだ。自分たちはシビアな国際政治のリアルを知っていて、なんだかよく分からないところから引っ張ってきた数字なんかを持ち出してきて、これが合理的な結論なんだ、それをみとめないお前らはおめでたい夢想家だ、と。
ぼくはいま、自分はちゃんと目覚めてるって思ってるけれど、でも自分が夢見がちなのはみとめよう。ふだんから、なぜひとは偶然の中に必然を見てとったときに生きる勇気がわいてくるんだろうとか、これだけ技術が発達したんだから、一日のうち4時間ぐらい働けばあとはぐうたらしててもいいんじゃないかとか、それこそ寝言みたいなことばかり考えたりしてるし。
たしかにぼくは夢想家かもしれない。でも、たぶん、それはぼくだけじゃない。あなたたちだってそうでしょう。だって、ぼくも、あなたも確かに少しはリアルなものや出来事を知っているのだけれど、リアルは圧倒的にそこからはみ出してしまうからだ。そしてぼくもあなたも、そのはみ出したところについては想像力をせいいっぱい働かさなきゃいけないからだ。
ぼくたちが知らないリアルを知っている人はいる。たとえばひげの隊長さんは、現場の人間として、PKO部隊は武装してNGOの警護にあたれるようにならなきゃいけないと言う。でも、NGOの人は、法案が通ると命の危険が出てきてしまうと言う。ぼくは、あなたは、どっちを信じるべきだろう。ひげの隊長さんがきちんと説明できたためしはないし、あかりちゃんにもぜんぜん応えられなかったし、誠実に語っているのか疑う理由は山ほどある一方、NGOの人がわざわざそういう嘘をつく理由は思いつかない。
だからぼくとしては、NGOの人の言うことを信じたい。でも、結局それは僕にとってのリアル――日本に住んでいて、クーラーの効いた部屋で、キーボードをたたいてこの文章を書いている――に基づく判断で、アフガニスタンや、シリアや、イラクやガザのリアルそのものではない。たぶん、あなたには、ここでぼくが夢を見ているように見えるんだろう。
でもそれなら、ひげの隊長さんの言うことを信じているあなただって、夢を見ていることになる。だって、あなたのリアルは、ぼくのリアルとほとんど変わらないでしょう。「いや、だからさ、そういういろんなリアルを集めて、数値化して総合して、リスクと利益を比較して合理的に決定しなきゃいけないんでしょ。それをするための学問なんでしょ。学者なんだから、学者の言うことを信じなさいよ」と言われるかもしれない。
それで、政治学者だとか経済学者だとかが、頼んでもいないのに不安になるようなことをいろいろと教えてくれたりする。そりゃあぼくだって、学者さんの言うことは信じたい。でも、たとえばぼくのような青二才の哲学者から見ても、あきらかにでたらめな人が「日本を代表する哲学者」扱いされて、首相のブレーンまでつとめてたりする。じゃあ、あの「政治学者」は、あの「経済学者」は、本当に学者と言っていいんだろうか。彼らの言うことにうなずくとき、ぼくの、あなたのまぶたは降りているのかもしれない。あるいは、彼ら自身が夢を見ているのかもしれない。それに、マクロな視点からは見えなくなるリアルだってある。エノラ・ゲイの乗組員に地上の地獄が見えなかったみたいに。
ぼくもあなたも、ぼくたちのほとんどは、これまでずっと、長い長い夢を見てきた。2011年3月11日、あの大きな揺れのせいで目が覚めた、そう思った人は多いだろう。ぼく自身がそうだ。でも、そのあと、二度寝をするためにベッドに戻った人もいる。ぼくがそうじゃないといえるだろうか。そうじゃないって言いたい。でも、そうなのかもしれない。いや、そもそも夢から覚めた夢を見ていたのかもしれない。ぼくたちはみんな、いまもまだ、それぞれに夢を見ているのかもしれない。
でも、はっきりしていることはひとつ。たとえ夢を見ているのがぼくだとしても、それともあなただとしても、そのぼくやあなたにだって決める権利はあるということ。主権者は、ぼくたちだ。だからぼくたちで決めよう。安保法案が成立して、どんなにまずいことが起きたとしても、どうせいま法案を通そうとしている人は、だれも被害を受けないし、責任はとらない。自衛隊員やNGOやフリー・ジャーナリストが死んでも、東京でテロが起こって一般市民が死んでも、たぶん安倍首相も中谷防衛大臣もひげの隊長さんもその他の自民党議員も公明党議員も官僚も経団連の人たちも櫻井よしこや日本会議の人たちもアメリカの日本を操る人(ジャパン・ハンドラー)たちも、痛くもかゆくもない。責任をとる気もないし、そもそも人が死んだ責任なんてとりようがない。だから、つけを払わされるぼくたちが決めるんだ。戦わされ、殺させられ、殺され、苦しい生活に追い込まれるぼくたちで。
安保法制に賛成する人たちに言いたい。ぼくが間違っているのかもしれない。あなたが間違っているのかもしれない。だからこそ、あの人たちに任せきりにするのはやめよう。あの人たちに、本当に思っていること、知っていることをすべて吐き出させて、考える機会をつくろう。もっと時間をかけて、ぼくたちできちんと話し合おう。ひょっとしたら、今よりあなたたちに賛成する人が増えるかもしれないけれど、それはそれで構わない。ぼくの目だって覚めるかもしれない。それで、ちゃんと話しあっても同意できなかったら、そのときには民主主義と立憲主義というこの国のルールを守って、ぼくたちで決めよう。そうやって、これからもこの国でいっしょに生きていこう。
(高村夏輝 松蔭大学経営文化学部講師)
「平和な時こそ、平和のための活動を!」
これはオーストリア平和博物館の元館長の故フランツ・ドイチさんの言葉です。ナチスへの抵抗運動をされた方ですが、「戦争が始まってからでは遅すぎる」と言われたことが印象に残っています。
まだこの法案の本質を見抜いていない方が多いので、多くの方に知らせていく必要があると思います。
平和のための博物館国際ネットワーク(International Network of Museums for Peace) 理事 山根和代
安全保障関連法案によって自衛隊の海外活動が拡大していくことになりますが、その中でも「国連平和維持活動(PKO)等に対する協力に関する法律(国際平和協力法)」に関わる活動について考えてみましょう。
国会ではPKOが、「平和維持のための必需品」という前提で、自衛隊のリスクや駆けつけ警護の任務が中心に議論されています。ところが、PKOが一部の派遣先にて、紛争や不安定な状況の長期化の原因になっていることは触れられていません。
PKOが紛争を長期化させている原因として、PKO参加5原則に含まれる紛争当事者間の停戦合意が脆いことや、PKOの中立性が疑問視されている点などが挙げられます。それ以外にも、PKO派遣国がそもそも平和維持に関して政治的意思が弱く、政治的や経済的な動機を有している点にも留意しなくてはなりません。こうした国々が自国兵士をPKOに派遣する動機としては、主に以下の5点が指摘できます。
1つ目の動機は、多国籍PKOの派遣先は軍事的専門知識を交換しあえる場であることです。例えば、2013年以降、PKOが偵察を目的に国連史上初めて非武装のドローンを使用しましたが、そのような実務経験を、派遣国は将来自国でも役立てたいと考えている可能性があります。
2つ目は、「途上国」と「先進国」どちらの軍隊にとっても、PKOへの参加は給料の面で、また派遣先が天然資源の産出地域であれば、資源のアクセスの面でも大きな収穫となるからです。インド、パキスタンや南アフリカなどが、資源が豊富なコンゴ東部における世界最大級のPKOに長年軍を派遣し続けている理由は、まさに利権が絡んでいるからだと指摘されてきました。
3つ目は、PKO派遣は、平和貢献のイメージや国の存在感を高めるには効果的であるためです。たとえば、日本のルワンダ難民救援隊はその名の通り、難民の救援のために派遣されたのですが、当時の指揮官曰く「救援活動について達成すべき具体的な目標を示したい。でもそれが無理だと分かり、最小限滞在国ザイールの国旗とともに「日の丸」の掲揚することを具体的な目標にした」とのことです。また日本政府・自衛隊・企業・NGOが一体となる復興開発援助「オールジャパン・アプローチ」が、東ティモールやハイチ、そして現在南スーダンで実施されていますが、その目的は日本の顔をより見えるようにすること(visibilityを高める)だと言われています。
4つ目は、PKO派遣が「政争の具」として利用されていることです。世界5番目の国連PKO派遣国であるルワンダの事例を見てみましょう。リークされた国連報告書によると、ルワンダ軍は1990年代に隣国コンゴ東部で虐殺と特徴づけられる行為を犯しました。また、同軍の幹部がスーダンにおけるPKOの幹部に任命された際に、彼が過去に重大な人権侵害を犯したことが指摘されていました。ところがルワンダ政府は、同報告書が公表されたり、同幹部が解雇されるならば、スーダンから自国のPKO部隊を撤退させると脅したのです。その結果、国連がルワンダ軍やこの幹部の犯罪を追及することはありませんでした。
最後に、大国が政治的な働きかけをしたい場合に、その代替としてPKOを使用する可能性が高い点も問題です。例えば、南スーダンは米国にとって戦略的で重要な国ですが、なぜそこへ米国の同盟国の日本は優先的にPKOを派遣したのか疑問が残ります。
また、この南スーダンでは2013年末に紛争が勃発し、PKO参加5原則の「紛争当事者間で停戦合意が成立」について検討する必要が発生しました。厳密に言うと、自衛隊が南スーダンに派遣されたのは南スーダンが独立した2011年であり、南北スーダン間で締結された和平合意(CPA)が前提となっていました。ところが2013年末からは、それまでの南北間の内戦とは別に、独立した南スーダン内部で別の内戦が発生しました。この南スーダン内の内戦に関する停戦合意は2014年1月に結ばれましたが、現在まで戦闘は続いています。言い換えれば、自衛隊が当初派遣された時の紛争当事者以外のアクターによる紛争が新たに勃発したために、本事態は「想定外」でしたが、その場合、「紛争当事者間で停戦合意が成立」を拡大解釈して撤収すべきか否か、議論が必要であるのに、国民に向けた政府による説明が十分ではありませんでした。
このように、PKOは平和維持の名の下で、他の目的で利用されている場合があり、紛争解決に十分貢献できない点が問題となってきました。今後日本が平和の創出を目的とするPKOにどのように関わっていくのかを検討するためには、「国際平和協力法」を他の法案と一緒にして審議するのではなく、まずはPKOの本質から議論を深める必要があるのではないでしょうか。
(米川正子)
参考文献・資料
朝日新聞「自衛隊リスク増 明言せず」2015年7月18日。
神本光伸『わが国最初の人道的国際救援活動:ルワンダ難民救援隊 ザイール・ゴマの80日』内外出版、2004年。
米川正子「なぜコンゴ民主共和国東部の治安が回復しないのか? ―コンゴとルワンダの安全保障の意図と国連の中立性の問題―」『国際安全保障』第41巻第4号、2014年3月。
de Waal,Alex.Contemporary Warfare in Africa’,Mary Kaldor and Basker Vashee,Restructing the Global Military Sector,UNU and World Institute for Development Economic Research,London:Pinton,1997-8.
Lynch,Colum.‘U.S.Backed U.N. General Despite Evidence of Abuses’,The Washington Post,21 September,2008.
Plaut,Martin.‘Congo spotlight on India and Pakistan’,BBC,28 April,2008.
Uesugi,Yuji.‘All-Japan Approach to International Peace Operations’,Journal of International Peacekeeping,Vol.18,Issues 3-4,2014.
砂原庸介『民主主義の条件』(東洋経済新聞社、2015年)[3]
最近、里山に通うよりも、安保法制に反対する意思を表すため、
国会前でおこなわれる抗議行動に参加している。
私が足を運んでいるのは、SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for
Liberal Democracy – s/自由と民主主義のための学生緊急アクション)
主催の抗議行動である。
私のゼミ生に、SEALDsの主要メンバーとして活動している学生がいる。
彼女は、SELADsの前身であるSASPL(サスプル:Students Against Secret
Protection Law/特定秘密保護法に反対する学生有志の会)から参加しており、
昨年は新宿・渋谷で学生デモや官邸前抗議行動などをおこなっていた。
法律施行後の今年の春休みには、沖縄の辺野古で座り込み行動にも参加していた。
SEALDsによる毎週金曜の国会前抗議行動が注目を浴び始めた6月中旬、
私は初めてこのデモに参加した。
そのときは、現政権に対する抗議というよりも先に、
学生のアクションに応えたいとい気持ちが強かった。
その後、時間の許す限り、金曜夜は国会前に行くことにしている。
安保法制が特別委員会で採決された水曜日(7/15)も駆けつけた。
最初に参加してから1週間経つごとに参加者は約3倍ずつ増える感じだったが、
最近は、数万人という単位で参加者が集まるようになった。
SEALDsのアクションには、妻を誘って一緒に行ったこともあれば、
デモデビューとなる学生とともに行ったりしたこともある。
自分の主義主張に関わることに人を誘うことをためらいがちな私だが、
このSEALDsの抗議行動には誘いたくなる魅力がある。
それは、コンサート会場やサッカーの競技場のような
現場のライヴ感覚、参加者がチャントのように一緒に声を上げるのがいい。
「民主主義ってなんだ!」「なんだ!」
これは、シンプルな問いだけに力強い。
この英語版「Tell me what democracy looks like!」に対して、
「This is what democracy looks like!」も、いい。
「やつらを通すな」「NO PASARAN」
こういうグローバルなスローガンを間に挟むところが、
SEALDsの格好いいところ。
でも、もっとも盛り上がるのは、やはり「安倍は辞めろ」で、
このときとばかりに、周りの特に女性たちは声を張り上げる。
SEALDsは「民主主義って何だ!」と問う。
実際、民主主義のあるべきかたちについては、人によって捉え方が違う。
政治学では、民主主義を多数決型とコンセンサス(合意)型に分ける議論がある。
多数決型民主主義では、有権者の多数派の利益に従う政治をめざし、
コンセンサス型民主主義は、できるだけ多くの有権者の意図に沿うように、
つまり多数派の範囲を拡大することを強調する。
これは、選挙制度で言うと、小選挙区制だと多数決型に、
比例代表性だとコンセンサス型になりやすいことが知られている。
今回取り上げた本書でも、この議論について紹介されている。
日本では、共同体的な根回し合意型から、スピード感を持って決められるように、
トップダウンで物事を決定しやすい多数決型を志向してきた。
「決められない」政治に業を煮やして、強いリーダーシップを待望してきた。
しかし、それが生みだしたのは何? 誰?
昨年の総選挙で、自民党は得票率33%で61%の議席をとり、
安保法案を衆議院で強行採決したことは、想像できた事態とも言える。
レイプハルト『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36カ国比較研究<原著第2版>』(勁草書房、2014年)[4]では、
多数決型民主主義とコンセンサス型民主主義の特徴を整理している。
この整理は本書でも紹介されており、
民主主義を理解する上での軸として有益である。
ここでは、多数決型民主主義の特徴だけを取り出すと、
たとえば、内閣・議会の関係は内閣が優越する、
中央・地方の関係は単一性・集権的、中央銀行は政府に依存、
立法の違憲審査は議会が最終的に権限を持つ、とまとめられている。
現政権のふるまいは、多数決型の悪しきタイプとして捉えるとわかりやすい。
本書では、こうした民主主義の特徴を踏まえた上で、
どうすればよいかを具体的に検討している。
それは、多数派を形成するためには、
政治家個人ではなく政党こそが重要な役割を果たす、というものである。
これは、選挙制度を前提とした提案として、
ある意味では身も蓋もないけれど、きわめて現実的な主張であろう。
民主主義って何だ? と疑問に思ったときに読むと、
頭が整理できて良い本だろう。
今の日本では、かつての「ねじれ」状態は解消され、
数でもって物事を決めていく政治が進んでいるが、
次の総選挙まで、この状況を止めることは困難である。
それでよかったのだろうか?
ちなみに、レイプハルトは、多数決型民主主義よりもコンセンサス型のほうが
優れていることを実証している。
これは、安倍晋三という個人の問題ではない。
たしかに、安倍首相は国民に説明する言葉を持っていないし、
自分の主義主張を通そうとする強引な手法は、
立憲主義、民主主義を否定するひどいものである。
しかし、安倍首相を辞めさせれば、民主主義は回復するのだろうか。
そういう問題でもないだろう。
今問われているのは、私たちの民主主義のあり方、社会の決め方である。
それは、ふつうの人びと一人ひとりの力を信じられるのか、
ということでもある。
そうした自覚、そして他者への信頼は、私たちにあるのだろうか。
この問いに、誠実に応じて下さったのは、
NORAの立ち上げメンバーの1人で、
現在は佐渡にいらっしゃる十文字修さんであった。
十文字さんからのリアクションと、それへの私の応答は、以下のとおり。
Atoms for Peace (「原子力の平和利用」=広島、長崎), No, Thank You.
原子力=原爆が平和を利用した人類に対する核実験。No More, Thanks.
Arms for Peace (積極的平和主義=攻撃的、集団的自衛権), No, Thank You.
積極的非暴力平和主義(憲法9条)の真逆。
武力=暴力=戦争による平和。No More, Thanks.
(Triple Niner, 9条+99条サポーター)
丁寧という語が乱暴に使われ、安全が対立を煽り、平和が戦争の口実となる。軍事を愛好する共同体は、殺し合いをケシかけ、そして守護神ぶった顔をする。詭弁を重ねる反知性。
それでも彼はアンダー・コントロールと言うのだろうか。ウソとゴマカシに溺れた政治家の、末路をしっかり見届けましょう。市民・有権者を侮ればどういうことになるか。寝た子を起こしたアベセ~ケン。ノドもと過ぎてもアツさ忘れません。
及川英二郎 東京学芸大学 人文科学講座 准教授(歴史学)
戦後、これほど子ども・若者の夢と希望と理想を砕いてきた政権はない。嘘、ごまかしを常とし、デマを流し、的確な情報を国民に伝えるのを妨げようとする政権はない。その最たるものが、今回の違憲法案だと考える。集団的自衛権を是とする戦争法案の廃案を強く求める。
子どもの貧困率は16%を超え、第一次安倍政権時と第二次安倍政権時に不登校が増えているのが、その証左である。片親家庭の貧困率は5割を超え、ケネディ米在日大使に「働くほど貧困になる唯一の先進諸国」と言われるのがこの国の政治である。この政権以降、東電からの原発事故関連情報は、東電自身が公表するか否かを判断し、若干の公表があっても、全国のニュースにはならなくなった。分からなければ嘘をつき、追及されればごまかし、責任者は自分だと言いながら、いまだかつて、何ほどかの責任を取ったこともない。憲法を行政が遵守しなければならないことを知らず、あるいは知っていながら、知らなかったことにし、既成事実だけを積み上げようとする。ポツダム宣言も読んだことはなく、あるいは読んでいながら、知らないとし、日本の独立を語りながら、米国に盲従する。このような情けない政治家を自分は知らない。
子ども・若者に夢と希望と理想を与える教育者と、現実に打ちのめされて、そこから立ち上がろうとする子どもや保護者を支える子どもの心理的な問題の解決に勤しむ心理療法家を育てている自分にとって、この政権は悪夢のようである。悪夢を与え続ける安倍政権の早期の退陣と、この間違ったとしか言いようのない法律の廃案を強く願う。
そして、仮に、万が一、今国会でこの法案が成立したとしても、それに賛成した国会議員は絶対に許さない。その者たちの名は、岩に刻んで覚えておこうと思う。
そして、この法律が告示されても、この運動には終わりなく、その法律の廃止のさまざまな運動、司法闘争を続けていくことを誓いたいと思う。
小林正幸 東京学芸大学教授(教育臨床心理学)