2013年1月20日(日)13時30分から、茨城県結城市中央公民館において、飯舘村で酪農を営んでいた長谷川健一氏の講演会「原発に『ふるさと』を奪われて」が開かれた。長谷川氏は、地震発生から原発爆発当時の様子、現在に至る状況について講演した。
(IWJテキストスタッフ・花山/奥松)
2013年1月20日(日)13時30分から、茨城県結城市中央公民館において、飯舘村で酪農を営んでいた長谷川健一氏の講演会「原発に『ふるさと』を奪われて」が開かれた。長谷川氏は、地震発生から原発爆発当時の様子、現在に至る状況について講演した。
■ハイライト
長谷川氏の講演に先立ち、ヒューマン・ファーマーズのミニコンサートが行われた。ヒューマン・ファーマーズは、茨城県で酪農を営む北嶋誠氏をリーダーとするフォークグループで、茨城を拠点に全国各地でコンサートを開催している。今回は、長谷川氏との交流によって生まれた曲を中心に披露した。
講演で、長谷川氏は、福島第一原子力発電所の爆発後の、村役場での出来事をふり返り、「飯舘村まで、放射性物質は飛んでこないだろうと思っていた。しかし、屋内待避の指示が出たため、村の対策部を訪れたところ、放射線量が40マイクロシーベルト/毎時を示し、みんな大騒ぎしていた」と語った。そして、役場からの帰り際、職員から「村長から、かん口令が敷かれているので、このことは誰にも言わないでください」と口止めされたことを明かした。しかし、長谷川氏は、その翌日に地区の住民を集めて、知り得た情報を公開し、注意すべきことを指示した。ところが、その日は線量が一番高かった日で、「知らなかったとはいえ、外出によって住民を被曝させてしまい、後悔している」と語った。その上で、「SPEEDIの情報が公開されていれば、われわれは無用の被曝を避けられた」と話した。
(…会員ページにつづく)
飯館村の長谷川健一さんの講演の配信、ありがとうございました。当事者の具体的なお話を聞くことは、とても大切です。大手のマスコミがこのようなことを取り上げないことに腹立たしさを感じるとともに、危険さや恐ろしさを感じます。
これからも、このような報道を多くの人に知らせる努力をはらってください