「(基地建設の)容認派は、本当に容認しているわけではなくて、(基地は)無い方がいいと思っています。基地が好きだから容認しているわけじゃありません」
沖縄取材最終日の3月8日、キャンプ・シュワブのゲート前は、「島ぐるみ」(沖縄建白書を実現し未来を拓く島ぐるみ会議)バスに乗ってきた市民で溢れた。参加者が、国道に向けて「基地反対」のプラカードを掲げると、素通りする車両が大半だが、中には、手を振ったり、クラクションを鳴らし、呼応する運転手も少なくなかった。ゲート前での座り込み抗議は、すでに240日を超えた。地元にすっかり定着しているように見える。
しかし、「基地反対」という点で共通していても、反対する理由や抗議に込める想いは、個々によって異なる。また、ゲート前から一歩離れると、考え方の幅はさらに広がり、基地を容認する県民の本音も聞こえてきた。IWJは、ゲート前にいた参加者のインタビューのほか、抗議行動の現場にはいない市民の、基地に対する想いを聞いた。
みんな同じ島んちゅだからね
▲大浦湾で釣りを楽しんでいた2人。男性は久米島、女性は那覇市出身
女性「基地の問題はね、沖縄には産業があまりないから、基地で食べている人が沖縄には多いし、なくならないと思うよ。反対する気持ちは、分からないわけじゃない。こんな奇麗な海が汚れていくのが、一番嫌だよね。米兵の事件も嫌だね。何も分からない少女たちが、被害を受けたりね。交通事故を起こしたって、本国に帰ってしまえば、罪にも問われない。
大きなホテルができても、働いているのは沖縄の人たちばかりじゃなくて、内地から来る職員も多いと聞くし、沖縄にちゃんとお金が落ちるような仕組みがないとね、基地はなくならない。沖縄県民だけで解決するのは無理な話だと思うよ」
男性「何とも言えないね。基地がなくなったら、沖縄は荒びれるよ。『反対、反対』て言っていても、お金がついてくるわけじゃない。
反対と賛成が喧嘩すると辛いね、同じ、島んちゅだから。でも、基地で食べてる人はいっぱいいるよ。『基地反対』、『首きり反対』は矛盾してるじゃん。辺野古にできなかったら、別の場所にできるわけだから。日本全体でこれだけの基地を持ちなさいと、アメリカとの間で決まってる。だから、沖縄に押し付けてるわけでしょ。一番いいのは、基地が全部なくなることだよね」
本当はゲート前に行ってみたいけど、できない
▲ほぼ毎日大浦湾に出て、カヌーの練習をするという女性。2014年7月に東京都町田市から移住した
女性「息子が10年前に沖縄の女性と結婚した影響もあって、主人と一緒に東京から移住しました。基地問題については知っていましたよ。息子から聞いていました。
私も、気持ちとしては(基地建設に)反対です。毎日海に出ていますから、この奇麗な海は残さないといけないと痛切に感じますよね。ただ、住み始めて分かるのは、地元の人たちの間にあるしがらみ。それを肌で感じます。私は新参者ですし、気持ち的には反対ですけど、公には言えないかなぁ、というのがあって。この地域の集会でも、基地問題の話は一言も出ないって。それが全てなんじゃないでしょうか。ここで暮らすということは。
ゲート前に行って並んでみたいと思うんですけどね、ちょっとできない。息子もそうですよ。基地には大反対なんですけどね。その思いはブログなどで訴えてるみたいですよ。
来たばかりの頃は、後ろに何もなかったのに、ブイが打たれたり、テトラポッドが見えるようになったり、埋め立ての工事現場が現れたり。最近は大きな台船が来て、オイルフェンスが張られたりね、日に日に景色が変わるんですよ。それが、とても辛いです。
▲カヌーを漕ぐ女性のうしろには、クレーン台船やフロートが見える。「日に日に景色が変わっていく」
10メートルも離れれば、考え方は違う
キャンプ・シュワブのすぐ裏には辺野古区が隣接する。この町に住む1700人の住民は、新しい基地が建設されたら、一番に影響を受ける。もともと、町の発展のために基地を誘致したという背景もあり、住民感情は複雑だ。辺野古区を歩いていても、積極的にインタビューに応える住民は多くはない。1700人のうちたった2人の意見だが、貴重なコメントを紹介したい。
60代男性「10メートルも離れれば、考え方は違うからね。(基地は)できたらない方がいいさ。抗議行動のやり方だけど、彼らは『反対、反対』しか言わない。
民主主義を守ろうとか、自然を守ろうとか、やればいいと思うよ。それを、日本政府に訴えても何もならない。米国に訴えなければ。向こうは民主主義の国だし、自然保護を大事にしている。日本政府にいくら言っても無駄。誰も聞かない。効き目がない。
私は那覇出身で、もともと、ここの人間じゃないから。よそ者は言いにくいよね。ここで生まれ育ったなら、反対してもどうってことないわけ。もし、工事が始まって、戦闘機が頭上をびゅんびゅん飛ぶようになったら、逃げるかもしれないね(笑)。経済的に余裕があればさ。
この町で、(基地問題について)喋りたいと思う人は、なかなか、いないんじゃないかな。今は私とあなた以外に誰も回りにいないから話してるけど、誰かが近くを歩いていたら、私も話さない(笑)」
▲辺野古区の町並み。1957年に米軍基地建設工事が始まってから、小さな村落は基地の街として栄えていった
米兵は私たちと一緒に生活をしてきた人です
60代女性「座り込みをしている人たちは、県民の総意を100%分かっているわけではないですよね。じゃあ、移設先はどうするのか。宜野湾市の住民の気持ちは。
反対する彼らの気持ちは、分かりますよ。でも、辺野古区の住民は騒がない。静観しています。基地ができた場合の騒音についても、国は考えますと言っている。区民の98%は、宜野湾市の真ん中にあるよりは、海にある方がいいんじゃないか、という意見ですよ。
私は那覇市の人間で、主人がここの人。シュワブができたおかげで、この辺にも店ができて、米兵も来てくれる。米兵は私たちと一緒に生活をしてきた人です。ここの商売を誰が守ってくれるのかしら。テントの人たちが、歌ったり騒いだりしても、解決にはならない。容認派は、本当に容認しているわけではなくて、(基地は)無いなら無い方がいいと思ってる。基地が好きだから容認しているわけじゃない。
なかなか、言葉に出して、基地があった方がいい、ない方がいいというのは難しい。来ない方がいいと言ったら、宜野湾の人に気の毒だし。はっきりものが言えないのも心情。判断もしにくいしね。夏から埋め立てが始まるというから、強気ですよね、安倍首相は。やるなら、辺野古区民の生活や安全を守って欲しい、というか、守りなさい」
「反対」を大声で言わなくていい、近所付き合いを大事にして欲しい
▲毎朝8時頃から始まる、ゲート前での抗議。後ろで、アメリカ国歌が流れる時間だ
▲翁長久美子名護市議会議員。座り込みが始まってから、40日以上、テントで寝泊まりしたことから「寝袋議員」のあだ名がついた
翁長久美子市議会議員「本音では、『基地反対』でも、表に出しにくかったら、出さないで欲しいと私は思います。毎日の生活で、近所づきあいは大切です。代々、関係に禍根を残すようなことがあっては、辛いですから。市議という立場にある私たちは、声をあげるのが役割です。
基地で働く警備員や県警の機動隊も、『やらされている身』で、同じ県民ですから、理解し合いたい相手です。でも、攻防の時に、にやにやしたり、暴言を吐かれるなど、ふざけた態度を取られると、理解し合いたいという気持ちを超えてしまうのも事実です」
読谷村の村長に手紙を書いて、辺野古までのバスを運行してもらうことに
▲子どもたち3人を連れて、ゲート前に訪れていた女性。兄は米軍基地の消防で働く
女性「今年(2015年)の1月半ば、夜間の資材搬入で騒動になった時、ゲート前にいた夫が県警にごぼう抜きされる姿が、ネットに載ったんです。私は、中継を見ながら泣いていて、何かしなくてはいけないと、読谷村の村長さんに手紙を書きました。読谷村自身も、基地反対の民意を示して、何か動いて欲しいと伝えました。
2週間くらいして、村長から私宛に手紙が届きました。その翌週には、『辺野古を作らせない議会』が立ち上がって、読谷村発で辺野古行きのバスが出るようになりました。
私の兄は米軍基地の消防で働いています。いとこのお兄ちゃんもおじさんも、軍関係の仕事です。私がこういう活動をしていることは、言いづらかったです。でも、みんなの顔色をうかがっている間に、新しい基地を子どもたちに残すことになっては嫌なので、参加しています。
基地関係の仕事をしているからと言って、基地を容認しているわけではなくて、辺野古の海に新しい基地を建てたらだめだという人もいます。老朽化が進む他の基地を、一括新品にして、軍港機能も付与されると。耐用年数は200年。普天間飛行場の『移設』ではなく、新基地建設なんです。基地で働いている人の中には、危機感を感じている人も沢山います」
こんなことを本土でやったら、みんな黙ってないですよ
▲名古屋から2週間前に駆けつけたという男性。「山城博治さんとは同じ年なんです」