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東京電力 記者会見 17:30 2011.4.1
2011年04月01日(金)、東京電力本社で、記者会見(17:30~、0:58′)が行われた。
2009年に福島県連絡会が当時社長の勝俣氏に、津波の評価高さが低すぎるという申し入れを行なっていたが、東電は土木学会の指標に基づき津波対策を行い、今回は想定外という考えを改めて示した。
非常用冷却系や非常用電源は多重防護ということで、二重化していた。しかし、今回の大きさの津波、複数台が津波により機能喪失することは想定外だった。複数台の電源喪失は想定はできるが、多重防護が働くと考えていたことを明らかにした。
東京電力 記者会見 12:30 2011.4.1
2011年04月01日(金)、東京電力本社で、記者会見(12:30~、0:37′)が行われた。
核種分析にプログラムミスがあり、テルル129を誤って多く報告したと発表した。3月11日~12日までの現場では代表者しか線量計を持っていなかったため、作業員が現場線量を把握出来ず被爆をした疑いがある。
保安院会見 11:20 2011.4.1
2011/04/01(金)11時20分ごろから、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた。
作業員の放射線管理について、保安院から東電へ注意した結果、個人用線量計420個を確保し、全員が着用するようになった。
また、東京電力の核種分析プログラムに誤りが発見された。保安院は厳重注意をするとともに、過去の評価を含めて再評価するよう指示した。
東京電力 記者会見 23:00 2011.3.31
2011年03月31日(木)、東京電力本社で、記者会見(23:00~、2:00′)が行われた。
溜水の核種分析結果が公表され、トレンチや建屋地下で、通常時法令基準の数万倍の濃度が検出されたことが判明した。
東京電力 記者会見 21:15 2011.3.31
2011年03月31日(木)、東京電力本社で、記者会見(21:15~、0:46′)が行われた。
本日の12:21ごろに、福島第一の正門に街宣車(一人)が来たため、福島県警に通報した。その後、12:08に福島第二に街宣車が侵入、13時に福島県警に通報した。その後、街宣車は発電所から退去したと発表した。
保安院会見 17:40 2011.3.31
2011/03/31(木)17時40分ごろから、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた
IAEAが飯舘村の土壌サンプリング調査した結果、20MBq/平方メートルを計測し、IAEAの避難基準値の2倍だと指摘した。保安院も調査しているが、IAEAはひとつのサンプリングだけなので、更なる調査が必要という考えである。
この値は、24時間屋外に居た場合50mSv/年程度の被曝になるが、一般の人は屋外8時間、屋内16時間と仮定すると半分くらいの線量になる。保安院の基準では避難の必要はない値であると発表した。
東京電力 記者会見 17:00 2011.3.31
2011年03月31日(木)、東京電力本社で、東京電力本武藤副社長による記者会見(17:00~)が行われた。
東電の福島事務所内に、社長直属の組織として福島原子力被災者支援本部を本日付けで設置し、その直下に福島地域支援室を設設置した。政府の対策本部と連携をとりつつ被災者支援に取り組んでいく方針を発表した。
東京電力 記者会見 11:40 2011.3.31
2011年03月31日(木)、東京電力本社で、記者会見(11:40~、1:32′)が行われた。
前半部で明日の計画停電は実施しない見込みを発表、明日藤本より、週末の計画停電について早めの時間で行う予定。武藤副社長もまとめて明日行う予定と述べた。
保安院会見 11:00 2011.3.31
2011/03/31(木)11時00分ごろから、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた
福島第一原発4号機の南側にある集中環境プロセス主建屋の地下二階に大量の溜り水があることが分かった。推定24000立法メートルあり、表面線量は0.5μSv/hだった。近傍の雰囲気線量と同じであるため、津波で流入した海水と推定している。
東京電力 記者会見 22:55 2011.3.30
2011年03月30日(水)、東京電力本社で、記者会見(22:55~、1:10′)が行われた。
広く土木工事で使用されている粉塵飛散防止剤を、明日から散布する予定と発表した。濃度15%に希釈させ約6万リットルを予定。一日で終る作業ではない。試験散布は概ね2週間程度を予定。2000リットルの散水車1台で行う。消防士が放水するようなイメージ化と思うと説明した
保安院会見 18:30 2011.3.30
2011/03/30(水)18時30分ごろから、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた
福島第一原発1号機タービン建屋地下の溜り水を復水器へ移送する計画だったが、移送先の復水器が他の水で既に満杯になっており、作業は中断している。
東京電力 記者会見 15:00 2011.3.30
2011年03月30日(水)、東京電力本社で、記者会見(15:00~,2:11’)が行われた。
勝俣恒久取締役会長の記者会見。事故以来、東電の経営トップが初めて記者会見の席に登場した。清水社長が急遽入院したため、代わりに会長が会見。1~4号機は廃炉だが、5,6と福島第2は今後の検討と述べた。
東京電力 記者会見 12:00 2011.3.30
2011年03月30日(水)、東京電力本社で、記者会見(12:00~、0:48′)が行われた。
清水社長が昨晩急遽入院したことを発表。入院先は都内か否かも確認しておらず、公表は差し控えると発表。体調体力が回復次第、清水社長は現場での指揮命令へ復帰するが、病状についてはわからない。本日15:00から勝俣会長、藤本/武藤副社長が清水社長の代わりに現状報告会見を行う予定。
保安院会見 10:50 2011.3.30
2011/03/30(水)10時50分ごろから、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた
1号機への注水量を増加させた結果、圧力容器温度は引き続き下降傾向だが、2号機圧力容器温度が上昇傾向にあると発表した。
東京電力 勝俣恒久会長 記者会見 2011.3.30
2011年3月30日、東京都千代田区の東京電力本店で、「東京電力勝俣恒久会長 記者会見」が行われた。
東京電力の最高責任者の1人である会長が、福島第一原発事故の説明責任の場にようやく姿を現した。3月13日に、清水正孝社長が報道陣の前に出てきて以降、17日もかかったことになる。一連の事故の説明については、清水社長が年度末まで行う予定であったが、29日夜に体調不良で入院したため、清水社長に代わり、勝俣会長が会見の場に登場することになった。
東京電力 記者会見 00:20 2011.3.30
2011年03月30日(水)、東京電力本社で、記者会見(00:20~、1:12′)が行われた。
プルトニウムの検出時間がWeb掲載と会見発表とで大きく食い違っており、矛盾点について質問が続いた。回答者が事実関係を把握しきっておらず、「確認します」「ご意見として預かります」「持ち帰って次回答します」という回答が続いた。
東京電力 記者会見 17:40 2011.3.29
2011年03月29日(火)、東京電力本社で、武藤副社長(当時)による記者会見(17:40~、0:54′)が行われた。
武藤副社長は原子炉冷却のための海水注入の判断、指示の責任について明確な回答を避けた。事故対応に関する、人事配置、組織構成図が公表された。
保安院会見 17:40 2011.3.29
2011/03/29(火)17時40分ごろから、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた。
1号機への注水量を増加させた結果、圧力容器温度が下降傾向にあり300℃を下回るようになったが、引き続き注意して監視していく。
東京電力 記者会見 15:10 2011.3.29
2011年03月29日(火)、東京電力本社で、記者会見(15:10~、0:25′)が行われた。
海水、空気中、放射性物質、核種分析結果を公表。海中へ放射性物質が流出している可能性はあるが、データからははっきりとしたことは言えず、ことばを濁した。また半減期2時間のヨウ素132が検出されているが、テルル132(半減期3日)のβ崩壊で生成される場合もあり、現在核分裂が継続しているとは言い切れないと説明した。
東京電力 記者会見 11:50 2011.3.29
2011年03月29日(火)、東京電力本社で、記者会見(11:50~、1:00′)が行われた。
発電所施設内5ヶ所の土壌からプルトニウムを検出したが、核実験時のフォールアウトか今回の事故由来かはまだ特定できないと発表した。