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小沢一郎議員の被災地訪問と記者会見 2012.1.3
特集 陸山会事件
2012年01月03日火、小沢一郎議員が民主党の岩手県連の代表として、被災地訪問を行った。
訪問は東日本大震災後初めてで、岩手県内沿岸の久慈市から、宮古市の浄土ヶ浜、釜石市、大船渡市、陸前高田市まで全五カ所をまわった。
百人百話「第三十二話」中田麻意さん 2011.12.21
特集 百人百話
「なんでテレビなんて信じてんの」
9歳の息子をもつシングルマザー。中学卒業後、様々な職業を経験し、離婚後も自分の収入だけで暮らしている。新聞やテレビの情報を信じ、「安全」を言う両親とは喧嘩が絶えない。カウンセラーの資格を活かし、仮設住宅を回っては、精神的にギリギリの人たちの話に耳を傾け、子どもたちにはおもちゃを配って歩いた。震災を機に価値観がかわった。モノがなくても、息子とごく普通の生活ができれば良いと思うようになった。いまは秋田への避難を計画している。
百人百話「第四十一話」尾形紀泰さん 2011.12.21
特集 百人百話
「人生をやり直そう」
43歳。家族は妻と子ども4人。事故後に避難した北海道小樽市で、全国から支援物資を集め、被災地区へ送る活動を始めた。2011年4月1日には、小樽の人たちと「Yarerukoto実行委員会」を発足させた。ただ、活動を進めるなかで、復興への前向きなエネルギーが満ちている宮城や岩手と、福島との違いに気付いた。原発は夢も希望も失わせる。いちばん大切で気になっているのは子どもたちのこと。将来、「オヤジ、あの時よく逃げてくれた」と言ってくれたらそれで良い。
百人百話「第三十八話・第三十九話」本田貴之直美夫妻 2011.12.18
特集 百人百話
「目に見えない敵とどうやって戦うんだ」
三春町出身。2人の子どもは、1歳9ヶ月と4ヶ月。事故の様子はテレビで見ていた。危険でも、国が事実を伝えるとは思えなかった。ネット情報で危ないと判断。知らない土地での出産、育児に不安はあったが、長男と妊娠中の子どもの将来を考え、京都に避難した。故郷は恋しいけれど、いまは家族 4人一緒で幸せ。自分が親になってみて、親の気持ちが分かるようになった。そばにいられず申し訳ないと思うが、京都を故郷にと思い始めている。
百人百話「第二十八話」黒田節子さん 2011.10.14
特集 百人百話
「映像は嘘をつかない、本当に怒ったようには写りませんね」
郡山市在住。61歳。震災前は保育士。自治労でニュースペーパーを発行。震災後、周りを見れば「360度の困難」、避難するもしないも、どちらも地獄なのに、知事が見せた東電への怒りはパフォーマンスのようだった。これからを生きる子どもたちに、大人は責任がある。幼い子を抱えて留まっている母親たちの不安をまずは取り除くことが大切だと思う。放射能が降って、故郷はこんな良いところだったのかと改めて気付いた。本当に悔しい。
百人百話「第二十五話」阿部留美子さん 2011.8.17
特集 百人百話
「『故郷を捨てるのか』と言われながら、避難して・・・・。」
伊達市出身。31歳。4歳の子をもつシングルマザー。新潟に避難中。放射能に関して周囲の意見は真っ二つ。危ないから避難した方が良いと言う人と、大丈夫だよという人と。大丈夫にも温度差がある。避難するときも、「福島を捨てるんだね」と言われ、キツかった。国民を守るのは国の義務。けれどいまその義務は果たされていない。除染は国が率先して行うべきことのはず。いつか娘と、福島に戻ってこられる日がくればと願っている。
第5回 大阪府災害廃棄物の処理指針に係る検討会議 2011.12.7
※動画のご視聴は会員限定となります。
2011年12月7日(水)大阪府咲洲庁舎30F会議室で行われた、第5回大阪府災害廃棄物の処理指針に係る検討会議の模様。
百人百話「第十八話」佐々木慶子さん 2011.10.14
特集 百人百話
「シニアが頑張るしかないんじゃないかな」
福島市在住。60歳。元教師。子どもは独立し、現在は夫と2人暮らし。「ふくしまWAWAWAの会」代表。「沈黙のアピール」呼びかけ人代表。3つのWAは「環・話・和」の意味。対話による平和的手段での問題解決をめざす。理想は共存を超えた共栄。若い人たちは避難してほしい。自分たち世代には、こういう環境にした責任がある。このまま生涯現役で、会いたい人がいて、お気に入りの場所があるこの福島で、自分なりの役割を果たしていきたい。