草の根の声、届け ~辺野古移設反対 沖縄県「島ぐるみ会議」訪米 2015.12.9

記事公開日:2015.12.9 テキスト
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 11月15日より8日間、「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」(通称「島ぐるみ会議」)は、総勢26名の訪米団による米国でのロビーイング活動を行いました。

 「島ぐるみ会議」は、2014年7月、県内の経済界や労働団体有志らにより結成されました。

 辺野古移設反対を掲げ、支持政党や党派を超えて結集した”オール沖縄”のなかで中核を担い、翁長知事を誕生させました。

 公約を破り、辺野古移設を容認した当時の仲井真知事との票差は、およそ10万票。

 沖縄県民の民意は圧倒的なものでした。

 しかし、翁長知事の辺野古移設承認取り消し後も、日本政府は辺野古移設を強行し、さらに「島ぐるみ会議」が訪米している最中、11月17日、容認取り消しは「違法」として、政府が翁長知事を相手取る「代執行訴訟」を起こすことになりました。

 今回の「島ぐるみ会議」訪米団の目的は、”(1)辺野古移設は民意に反しており(2)法的・手続き的にも問題があり、かつ(3)米国も辺野古移設問題を含む基地問題の当事者であるとの認識を、ロビーイング活動を通じて米国市民および米国議員に直接伝えること”にあります。

 移動時間を除いた6日間、議会議員や議員補佐官、現地市民団体と面談や交流を行いました。1日に最多で11か所のアポイントをこなすハードスケジュールでした。

 初日から全米で66万人の会員を持つアジア太平洋系雨アメリカ人労働団体「APALA」が沖縄と辺野古移設反対への支持決議を出すなどの成果があらわれた一方で、「それは結局、国内の問題では? まずは日本の国内で沖縄をサポートしてくれる他県の議員を探してみてはどうでしょうか」というドライな議員補佐官の言葉に、普段は穏やかで冷静な金秀グループの呉屋守将会長(訪米団団長)が、熱く言葉をぶつけるシーンもありました。

 また残念ながらワシントンDCの議員事務所では、カメラや音声は一切NGと言われ、面談の様子をメモに残すにとどまらざるを得ない緊迫した雰囲気になったこともあります。

 こうしたロビーイング活動の成果について、冷ややかに見る向きもあるとは思います。

 私も日米両政府、とりわけ米国の巨大な軍産複合体の分厚い壁を肌で感じ、このロビーイングが巧を奏するのだろうかと心細く感じられ、無力感を覚えたりもしました。真剣に取り組まれている沖縄の方々には大変失礼かもしれませんが、それもひとつの実感でした。

 しかし、力関係ではあまりに非対称であるからこそ、徒手空挙で立ち向かう「島ぐるみ会議」の皆さんの姿に心を揺さぶられたのも事実です。

 確かに「民間外交」というものは、短期間で成果が出せるものではないだろうと思います。

 しかしだからこそ、今、種をまくことに意味があるとも言えるのではないでしょうか。実際に、沖縄県民による米国における草の根の市民運動は、実は今回が初めてではなく、1995年に起きた沖縄米兵による少女暴行事件の後から現在にいたるまで、高里鈴代統括を筆頭に、地道に続けられてきた背景があります。

 その地道な活動がなければ、今日こうして「島ぐるみ会議」が米国の中で様々なキーパーソンを訪ね回ることは実現していなかったのではないでしょうか。

 撒いてきた種は、少しずつ実っていると言えるのではないかと思います。

 IWJでは、11月15日~22日に帰国するまで、文字通り朝食から夜のミーティングまで密着取材を慣行し、カメラを回し続けました。

 この先のことを考えると気が遠くなり、私はある種の絶望的な気持ちになることもありましたが、「島ぐるみ会議」の人々の中には底抜けにポジティブな方々もいて、驚かされることも多い8日間でした。

 そうしたことも含め、大手メディアには報道されにくい、市民による草の根の政治活動の姿をこれからレポートさせていただきます。

 是非ご覧いただければと思います。

後日、「島ぐるみ会議」訪米の中継記事、解説記事をアップいたしますので、今しばらくお待ちください。お楽しみに!

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