【安保法制反対 特別寄稿 Vol.261~Vol.270】 「最低責任者・安倍首相」「大久野島の砲台跡」「安全保障関連法案と労働者派遣法改正案」「何のために私は働いているのでしょうか?」

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【安保法制反対 特別寄稿 Vol.261~Vol.270】

Vol.261 なぜ安保法案に反対するのか 明治学院大学名誉教授・大木昌さん

 現在、安倍政権が行おうとしている安保法制に対して、以下の観点から反対します。それは、要約すると強い危機感と現政権に対する怒りです。

1 最高法規である憲法を、正規の改憲手続きを経ないで解釈だけでその中身を変えてしまうことは、立憲主義という国家の根幹を特定の政権の恣意的な解釈によって変えてしまうから。

2 憲法9条は明瞭に,国際紛争を解決する手段として、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定しており、どう読んでも外国(事実上、アメリカ)の戦争に日本が集団的自衛権を行使できる法的根拠はない。

 政府が、集団的自衛権が合憲だという根拠として挙げる①砂川判決は,米軍基地の存在を認めただけで、集団的自衛権を認めてはいない、また②1972年の政解釈は、まさに集団的自衛権の行使ができないことを確認したものである。

3 憲法9条が、集団的自衛権を認めないことは、単に法律文章でそう規定されているだけでなく、その解釈においても歴代の政権は一貫して確認してきた。それを安全保障の環境が変わったからという理由で解釈を変更することは間違いである。

 加えて政府が集団的自衛権が行使される事例として挙げている事例は、全く非現実的か個別的自衛権でカバーされているかどちらかである。たとえば、アメリカの艦船が紛争地から日本の民間人救出したとき、日本はその米艦船を守る例を挙げていますが、アメリカ政府は米艦船は、日本の民間人を救出することはないと明言しており、政府の説明は非現実的である。

4 憲法9条は、世界遺産にすべき極めて価値の高い法であり、日本が誇るべきかけがえのない財産である。戦後、日本が軍事的紛争で人を殺し、殺されることなく復興し繁栄できたのは9条があったからだ、という事実を再認識すべきである。言い換えると、日本が世界から信用を勝ち得てきたのは、9条によって武力の行使が禁じられており、他国民を武力で殺してこなかったからだ。

5 集団的自衛権とは、日本が直接攻撃されなくても緊密な関係にある国が攻撃されれば、日本が攻撃されたとみなして戦闘行為ができる権利のことである。この場合の「緊密な関係にある国」とは事実上アメリカを指している。

 第二次大戦後、アメリカが行ってきた主要な戦争(ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争)を見れば分かるように、これらの戦争は、全くアメリカの独善的な覇権主義から行われてきたものであり、そのような戦争に日本が付き合うことは間違っている。

6 日本は戦後、アメリカの戦争に反対したことは一度もない。それでも日本が戦争に巻き込まれなかったのは、9条のおかげであった。しかし、今回の安保法制で集団的自衛権の行使が認められれば、参戦への要請を拒否できなくなる。

7 政府は、集団的自衛権の行使を可能とすることにより日米軍事同盟は一層深化し、抑止力は高まると主張している。しかし、国際紛争を解決する手段として軍事力に訴えることは、軍拡競争を激化し緊張を高めるだけであり、外交的努力こそが最も重要な手段である。これまでの自民党政権(とりわけ安倍政権)は、対立する国(中国、韓国など)と忍耐強い外交的な努力をして緊張の緩和に努めてこなかった。

 また、中東の紛争に関して日本は、宗教的にも歴史的にも中立的であり、武力によらない紛争の解決に貢献できる立場にある。アメリカの中東での戦争に日本が「後方支援」という名目で加われば、これまで日本がこの地域で培ってきた日本に対する高い評価と信頼を一挙に失うことになる。それだけでなく、今後は日本もアメリカと一緒に憎しみと攻撃の対象となる。第一、「後方支援」などという概念は国際的には存在しない。

 「後方支援」とは、一般に「兵站」と呼ばれ、その戦闘行為と一体化した軍事行為として認識されている。現実に中東で亡くなった外国の軍人の多くは、「後方支援」の兵士である。さらに、武器弾薬の供給として核兵器の運搬も法的には禁じられていないとの防衛相の答弁は、非常に危険である。

8 以上、書いたように現在政府が通そうとしている安保法制は、立憲主義に反し、憲法で禁じられている集団的自衛権をなし崩し的に行使可能にしようとする憲法違反である。しかも、日本の方向を根底から変えてしまう、一つ一つが極めて重要な10本の法律を1本の法律にまとめてしまうことは、十分な論議を拒否する強引な手法である。

9 安倍政権は、国民の6割以上が今国会で通してしまうことに反対している。そして、国民の8割が政府の説明は不十分だと感じている安保法案を国会における圧倒的な多数の力で通そうとしている。これは、民主主義を否定することであり、それによって戦後の日本が積み上げてきた「平和国家」という貴重な財産を葬り捨てることで認めることはできない。

10 最後に、教え子が戦争に駆り出された戦前の悲しい歴史を再び繰り返してはならないと強く思います。

(大木昌 明治学院大学名誉教授)

Vol.262 私たちが「市民」になれるかどうかが問われている  茨城大学人文学部教授(社会心理学)伊藤哲司さん

 憲法違反の安保法案(戦争法案)への反対運動が、世代や立場を超えて広がりつつある。これまでとは異質の大きなうねりが日本社会に起こりつつあるのを実感している人も少なくないだろう。日本の民主主義は、決して死んではいない。これまでは何事かについての反対運動が起きても「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、すぐに萎んでしまうのが常だった。しかし、今回は仮にこの法案が成立してしまったとしても、そこで終わることはないだろう。非暴力の闘いはまだ始まったばかりである。

 しかし、一方で気になるのは、安倍政権への「支持」が一定程度なお、あることだ。衆議院の特別委員会での強行採決の直後、各社の世論調査で30%台まで下がった内閣支持率は、再び40%を超える水準まで回復している。その間、川内原発の再稼働や戦後70年談話が出されたが、それらを「無難」に乗り切ったということか。それにしても、張りぼてのようにしか見えないあのような70年談話で内閣支持率が上昇するなら、日本人の私たちが、まだまだ「市民」になりきれていないということである。

 私たちがいくら「反対」の声を大にして叫んだところで、安倍首相自身が持論を変えるということは絶対にない。いま問われているのは、実は安倍首相ではない。彼がそういう人物だということを十分見抜けず、2014年末の衆院選で与党を大勝ちさせてしまった私たちが問われているのである。結果が極端に出やすい小選挙区制の構造的問題はあるものの、投票に行かなかった人を含めて、私たちは安倍政権を「支持」し、「安倍さんもっとやってくれ」とエールを送ってしまった。各方面からの強烈な反対があっても、彼自身はそれを拠り所にしている。

 逆に言えば、それしか彼にはない。だから、支持率が下がれば、安倍政権もすぐに保たなくなる。「市民」が増えれば自ずとそうなると私は見る。なお「市民」とは、自ら学び、考え、判断し、行動する自律・自立した人を指す。健全な批判精神をもち、他の人をケアする心を持った人のことだ。一人ひとりが「市民」になり、現在の反対運動のうねりが本物になり、これまでのような「お任せの民主主義もどき」を脱し、民主主義を自ら構築していけるかどうかが問われているのである。

 そして、暴走する可能性のある国家権力にしっかりと憲法の枠組みをはめ、武力によらない国際協調・協力を独自のスタンスでしっかり進める日本を作っていけるかどうか――。その鼓動はすでに始まっている。そこに希望を抱きつつ、道のりは遠く見えても決して絶望せず、いまの状況に参加し続けたい。

 もう一度言おう。問われているのは安倍首相ではない。私たちが「市民」になれるかどうかが問われているのである。

伊藤哲司 茨城大学人文学部教授(社会心理学)

Vol.263 いま、私たちの民主主義が問われている 一橋大学法学研究科教員(憲法学)只野雅人さん

 戦争と武力の行使を禁じ戦力の不保持を定める憲法9条のもとで政府がとってきたのが、自衛権行使を厳しく限定する憲法解釈であった。60年にもわたり、急迫不正の侵害に対する必要最小限度の実力行使のみが許されるとの解釈がとられてきた。安保法案の内容は、長年確立してきたこうした解釈から到底正当化できるものではない。

 このような武力行使の厳しい制約は、政策判断としてではなく、最高法規である憲法の解釈としてとられてきたものである。憲法9条を通じて、その時々の多数の判断だけでは変えられない憲法という固いルールによって、武力の行使に枠をはめてきたことの意味を確認しなければならない。安倍政権は、国会の多数だけでは変えられないはずのルールを法律で変えようとしている。これまで憲法で禁じられてきた事柄が、多数だけで決められる政策決定の領域に移されようとしている。

 「国会等における論議の積み重ねを経て確立され、定着しているような解釈については、政府がこれを基本的に変更するということは困難である」

 かつての法制局長官による答弁の一節である。これまでの政府の9条解釈は、国会で厳しい議論が繰り返される中で、維持されてきた。国会の審議は、国民の監視のなかで行われる。国民が常に厳しい目を向け続けてきたことが、強い歯止めともなってきたのである。

 9条と立憲主義が脅かされている今、あらためて私たちの民主主義の力が問われている。

一橋大学法学研究科教員(憲法学) 只野雅人 

Vol.264 最低責任者・安倍首相 中央学院大学教授・大村芳昭さん

 日本国憲法は、公務員(首相も含まれます)に憲法尊重擁護義務を課しています。

 しかし、安倍首相は、形式的には憲法を守るというものの、自分に都合のよい憲法解釈を続けているところを見ると、実質的には日本国憲法が邪魔で仕方ないのが手に取るようにわかります。

 他方、日本国憲法によれば、私たちが選んだ国会議員が首相を決めるとされていますから、間接的には私たち国民が首相を選んでいると言ってもよいと思います。

 ところが安倍首相は、まるで自分は国民と関係ないところで選ばれて今の地位にあるとでも勘違いしているかのように、国民の中から沸き起こっている声を蔑ろにして、自分が最高責任者だと居直り、アメリカ政府のご機嫌をとることに腐心しながら戦争法案へとまっしぐらです。

 まことに安倍首相は、勘違いも甚だしい「最低責任者」だと言わねばなりません。ですから私は、今回の戦争法案には、詳細な内容を分析するまでもなく反対ですし、とりあえず廃案にすべきだと思います。

(大村芳昭 中央学院大学教授)
活動:SEALDsデモ(渋谷)、SEALDs国会前抗議行動、MIDDLEs国会前抗議行動、戦争法案に反対する国会前緊急抗議行動

Vol.265 安全保障関連法案と労働者派遣法改正案 神戸大学准教授・岩佐卓也さん

 今参議院では、安全保障関連法案とならんで、労働者派遣法の改正案も審議されており、いずれも強行採決のおそれがあります。私は、この二つはいずれも非常に重要であるとともに、大きな共通点があると考えています。

 ひとつは、いずれも強者、前者はアメリカ、後者は財界のきわめて露骨な要求を反映したものであることです。

 他方、それらが実現した結果、多くの人々が苦悩し、悲しみ、絶望に追い込まれるであろうことについての想像力が、法案を推進する人々には決定的に欠如しています。この点も共通しています。いずれも到底認めることはできません。

(岩佐卓也 神戸大学准教授)

Vol.266 大久野島の砲台跡 広島大学教授・市川浩さん

 かつての軍都にして被爆地=広島には数々の戦争遺産が残されているが、そのうち異色なのが、竹原市沖に浮かぶ小島=大久野島の3カ所の砲台跡。島そのものは、かつて日本陸軍の毒ガス製造施設が置かれたことで名高いが、これらの砲台が築かれたのは、もっと早い19世紀末の日清戦争の頃。

 日清戦争をいささかも肯定するつもりはないが、当時の軍部は、日本が清朝北洋艦隊に攻め込まれて、瀬戸内海を蹂躙される事態を見越していたことになる。この意味で、日清戦争は近代史上唯一、大日本帝国が冷静な眼で負けること、攻め込まれることを見通して計画した戦争であった。

 しかし、日清戦勝で当時の国家予算の3年間分の賠償を勝ち取ると日本人は変わった。アジアを軽蔑し、戦争にたいしては不敗神話が生まれた。

 それから、50年でこれが誤っていたということを310万同胞の血の犠牲で思い知ったはずであった。

 しかし、今回、安保法案に関する政府の説明も、これを支持する有識者の意見も、戦争というものに対するリアルな洞察の痕跡をいささかも感得できない。あたかも、「敵(そもそも日本国民は敵など求めてはいないはずだが・・・)」が自分の思い通りに引き下がってくれることばかり想定しているように思われて仕方がない。

 今年は1895年の日清戦勝から120周年、敗戦70周年、その間50年間、日本の指導者層が患っていた「病気」がまたぞろ現れてきたように思われてならない。

(広島大学大学院総合科学研究科 市川 浩)

Vol.267 「権力」の恐ろしさを記憶にとどめ、日本国憲法を「我がもの」にする! 龍谷大学教授・奥野恒久さん

 「安保関連法案」は、憲法9条のもと、これまで政府自身が行使できないとしてきた集団的自衛権を行使できるようにするものであり、憲法にも立憲主義にも反する。加えて、後方支援活動を拡大させる点、PKOなど自衛隊の海外活動を拡大させ、かつ武器使用も拡大させる点で、実態としての戦争に参加する可能性が飛躍的に高まることから「戦争法案」と呼ばざるを得ない。

 2015年6月以降、圧倒的多数の憲法学者や内閣法制局長官経験者が、この法案を「違憲」と断じ、世論も「反対」が多数を占め(毎日新聞7月6日では、「賛成」が29%で、「反対」が58%)、保守政治家の重鎮たちも「反対」を表明した。「どんなことがあっても戦争をしない国に」というのは、保守や革新といった政治的立場を超えた、戦後の日本国民が築いてきた良識・見識であり、それが示されつつあるのである。

 ところが、この7月15日「戦争法案」、衆議院平和安全法制特別委員会にて、与党が単独で採決を強行して可決し、翌7月16日に衆議院を通過した。安倍晋三首相は特別委の締めくくりの質疑で、「国民の理解が進んでいないのも事実だ」としつつ、「1960年の日米安保改定も国民の理解はなかなか進まなかった。

 PKO協力法もそうだが、その後の実績で国民から理解や支持を得た」と述べている。「国民の理解が得られなくとも、自分たちが正しいとするものは正しいのだ」と、論証抜きにいうのである。この政権がいかに独善的・独裁的で、主権者国民の意思を無視しているかは明らかであろう。だが同時に、数を持っている権力の恐ろしさを、まざまざと見せつけられたのも事実である。

 国会審議は参議院へと移る。憲法59条のいわゆる「60日ルール」により、参議院での審議を「消化試合」のように見る向きもないではない。

 だが、決定的な勝負は国民の主体的な声であろう。権力の恐ろしさを前にして諦めるか、声を上げ続けるか。このまま独裁政治を許していいのか、という問いに私たちがどう向き合うかである。「戦争法案」反対運動は、近年になく若い人の参加も多く、大きな広がりと盛り上がりを見せている。それが新たな運動のスタイルを作りつつもある。

 与党政治家が怯むほどの圧倒的な「オール日本」の世論で、安倍政権を包囲し「戦争法案」を葬り去る。そうすることが、戦後70年の今年、「非軍事平和で行くのだ」という日本国民の意思をアジアの人々や世界に、さらには将来世代にも示すことになるはずである。

 この闘い、日本国憲法を改めて「我がもの」にする闘いでもある。だとすると、この闘いは今年の9月で終わるものではない。

(奥野恒久 龍谷大学教授)

Vol.268 憲法第9条を守り、平和主義、人権を守ろう 神戸大学旧職員・市成準一さん

 日本国民は、安倍総理に白紙委任状を渡した覚えはない。

 憲法第9条を守り、平和主義、人権を守ろう!!!

(市成準一 神戸大学旧職員)

Vol.269 何のために私は働いているのでしょうか?

 私たち市井の人々は、それぞれの場所でご縁のある人々や、身近な家族や友人などが、少しでも幸せになれるように楽しい気持ちになって笑ってもらえるように痛みや苦しみがあれば、それを出来る限り取り除くことができるように、と心と身体を使い、努力をし、それぞれの仕事をしているのだろうと思います。そして、そこから何がしかの収入を得て、税金を納めています。

 現在、審議中の安保関連法案が成立し、アメリカ軍の2軍のような役割を担うことになれば、当然、軍事費・防衛費は増加します。(法案成立後の近い将来、必ず増税があると思います。積極的平和協力税、とでも銘打つのでしょうか)あまりお金の話は、国会審議で耳にしませんが、7/28の毎日新聞の中にも「防衛省が5兆円要求。16年度予算、過去最大」と記事に載っていました。

 私が、小さな力で、毎日、周囲の人々に対して一生懸命、 彼らの健康や安全や幸せのために尽くしながら得たお金で、 武器や戦闘機、弾薬が購入され、どこかで、一瞬のうちに多くの人々をバラバラに痛めつけることになるのかと思うと、 一体、私の日々の働きとは何なのだろうか、と哀しくなります。

 お金という形で、私の人生と暴力・殺戮が直結している、という考えに私の心身は、大きく苛まれます。

 このように、全国民に対して、自動的に暴力に加担させ、加害者たらしめるような法案は、到底、許容できません。どんな人の人生も、他者を傷つけたり奪ったりするために存在しているのではないのですから。

(在田康子)

<参加している反対運動や署名活動>

  • 安全保障関連法案に反対する学者の会
  • 立憲デモクラシーの会
  • 安全保障関連法案に反対する早稲田大学
  • 自由と平和のための京大有志の会
  • 九州大学・違憲「安保法案」とアカデミア
  • 山口大学「平和安全法制」に関する 山口大学関係者の意見表明
  • いのちと暮らしを脅かす 安全保障関連法案に反対する 医療・介護・福祉関係者の会
  • 9条の会
  • 澤地久枝さん、7月18日(土) アベ政治を許さない!!アピール大会
  • 戦争させない・9条壊すな!総がかり実行委員会
  • 『戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動』

Vol.270 日本が武力行使することによって痛手をこうむるのは「他国」ではなく「他国民」である 新潟大学准教授・酒匂宏樹さん

 私たちはこの夏、社会の行く末について真剣に考える機会を得ることができました。

 私が高齢者になったころ、「21世紀の初めごろは自衛権がどうだ、経済成長がどうだと騒いでいたが、日本列島の自然は豊かではないか。何をあたふたしていたのだろう」と振り返る日が来ると思っています。そういう日がなるべくなら早いうちに来てほしいものです。

 万が一、戦争が起きてしまったら、自然も破壊されてしまいます。本当に守るべきものはなんなのかを私たちはもう気づいています。そこから目を離さないようにしたいものです。

 政府がいうところの「自衛権」の正体は何でしょうか。一体、何から何を守ろうとしているのか、きちんと整理しないといけません。「日本を他国から守る」といいますが、そこにいびつな擬人化が働いていることを見逃すわけにはいきません。日本が武力行使することによって痛手をこうむるのは「他国」ではなく「他国民」である。この当たり前の事実こそが重要だと思うのです。

 法案が廃案になっても安心せず、法案が成立しても落胆せず、諸国民が同じ立場に立つための方法をみなさんと一緒に考えていければ嬉しいです。

(酒匂宏樹・新潟大学准教授)

安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ