【安保法制反対 特別寄稿 Vol.251~Vol.260】
<国会前10万人アクションでのスピーチ>
みなさんこんにちは。東京大学の石田英敬です。
私は、「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼びかけ人の一人として、SEALDsをはじめとする多くの学生たちとともに、「安保関連法案」に反対する運動に参加してきました。
「学者の会」は、現在1万3000人以上のあらゆる分野の学者が賛同署名しています。一般署名を合わせると4万2000人以上の署名が集まっています。8月26日には全国108大学有志の会の共同行動、また日本弁護士連合会と共同して300人が一堂に会しました。今日ここに皆さんと共に、「全国100万人アクション」に参加していることを大変うれしく思います。学者たちがこぞって一斉に声をあげたことには理由があると思います。
それは、この「安保法案」が、
1) 戦後70年、私たち国民の最も大切な価値でありつづけてきた「戦争をしない国」という基本価値を破壊するものだからです。
2) 解釈改憲、憲法違反の法案が、政治の基盤である、「憲法」に基づく政治、「立憲主義」の大原則をないがしろにするものだからです。
3) さらに、これは戦後70年の「歴史」を変えてしまおうという動きと連動したものです。
4) 安倍政権の動きは、この上なく危険なもので、憲法学者たちがこぞって反対の声を上げているのは、今起こっているのが「クーデタ」と呼んでよい、「民主主義の危機」だから なのです。
本当にヒドイことが起こってきている。
だから、あらゆるところから、これはおかしい、危ない、危険な方向に行きつつある、という声が上がりました。元の「内閣法制局長官」も、元の「最高裁判事」も、「防衛庁の幹部だった人たち」も声をあげました。社会のいたるところから声が上がりました。「女性たち」が、平和な生活を送る権利、幸福を追求する権利が、あぶない、ということで声を上げました。
そして、なにより、「若者たち」が、「おかしい事はおかしい!」って言い始めたんです。これは「王様は裸だ!」っていうのと同じです。法案の説明にしても、いろいろ「ごまかしている」じゃないか!
会が機能せず、代議制民主主義が機能しなくなったとき、「国民は」、「デモクラシーは」、「ぼくたち、わたしたち」なんだ! と声を上げはじめたのです。
標語は、Take Back Democracy ! (民主主義を取り戻す! )です。
人びとの上げ始めた声は、「アベ・シンゾーから日本を取り戻す」、「民主主義を日本に取り戻す」「戦争したがる総理はいらない」とますます大きくなりました。
私の憲法についての意見は以下の通りです。
(1) 憲法は国の基本的精神の表現である。
(2) アメリカやフランスの憲法を見るまでもなく、日本でも聖徳太子がしっかり憲法を作っている。
(3) 戦後日本で作られた憲法は、占領軍の意向がつよく反映されたものであり、日本人が自ら作ったとは言い難い。
(4) だからといって、その内容の全てがおかしいということではない。
(5) しかし、欧文の邦訳によるその文体は硬く、国民の日常言語からかけ離れている。
(6) したがって、日本人は自分の手で憲法を作り直す必要がある。
(7) その場合、現行の憲法の内容を基本的精神という観点から国民全体が検討し、何を残すべきか考える必要がある。
(8) 第9条の改正についても同様である。
(9) 憲法をいじらずに、解釈によってすべてを済ませる考え方は間違っている。
(10) 自衛隊が設立された時点で、憲法議論をすべきだった。
(11) 自衛隊そのものが違憲である。
(12) 日本人が自国防衛の軍隊を望むのならば、憲法を改正せねばならない。
(13) 一度、この議論を国民全体のレベルですべきである。
(14) 以上から、今回の政府のやり方は問題を回避するやり方で、憲法の精神を踏みにじるものである。
(15) 日本人は軍隊のない国として世界に誇ることができるのに、その自覚がない。
(16) 今回の法案は、日本がアジアから抜け出しアメリカと手を結ぶという脱亜入欧の現代版である。
(17) アジアのなかの日本であるという意識がないと、今後の日本は非常に苦しくなる。
(18) 近隣諸国の意向に合わせるのは卑屈だという議論は、つまらない自尊心にもとづく。
(19) 近隣諸国と連携してこそ日本は存在できる。
(20) アジア全体を見て日本の行き方を決めるべきで、アメリカの圧力によって決めるべきではない。
(21) 原爆の問題についてアメリカに何も言えない日本に、真の自尊はない。
(大嶋仁 福岡大学教授)
憲法違反の疑いが濃厚な法案を強引に可決させようとする安倍政権の姿勢は民主主義の否定です。
強く反対します。
(小川真和子 立命館大学准教授)
以下の理由から安全保障関連法案の採決に反対します。
・著しい憲法解釈のうえに法案を通そうとすることに危険を感じます。
・大きな転換点となる法案ですので、国民に可否を問うべきだと思います。
・国会での答弁が詭弁でした。納得できる説明がありません。
・イラク戦争などのきちんとした反省と分析を経ずに日米安保を強化することは、抑止力ではなく危険を高めることになると思います。
(石井正子 立教大学教授)
安全保障関連法案が成立しようとする現状は、まさに民主主義の全般的な危機です。
内容の面では、周知の通りの憲法違反があり、基本的なルールとしての立憲主義が侵されています。手続きの面でも、選挙での多数者による強権的な支配が、民衆の自己統治としての民主主義の看板を強奪している状況です。これは同時に、民主主義の理念の面に対する破壊的な試みです。私たちの同意なく、よその国に政策実現を約束することなど、民主主義において許される行為なのでしょうか。これらの症例は、安保法案に賛成するか反対するかという、私たちの政策的な選好以前の問題です。
さらに安保法案は民主主義を構築してきた、そして、それによって涵養されてきた人類の知に対する否定的な挑戦です。同法案が求めるものは自衛隊のアメリカ軍とのより緊密な一体化であり、その地球規模での展開です。その結果、当然血も流れるでしょうし、テロの可能性を含め社会的秩序を決定的に不安定化させます。中国、ましてや韓国に対する牽制と理解するような、(自民党政府にとって)良心的な方々は、いまいちど政治情勢によく目を凝らしてみてください。中国政府の反応は至極真っ当で、「日本の防衛戦略の変化」と理解しています。そもそも、簡単に解釈改憲するような政府の言葉を信用できるのでしょうか。権力によって次に抑圧されるのは、良心的な方々かもしれません。他国の民主主義の程度に敏感な感覚をもっているならば、現行の日本政府がそちらの方向に同化して行く流れを拒絶するはずです。まさに民衆の政治的判断力が必要となる局面です。
安保法案をめぐる政権党による民主主義の攻撃は、新たな展開を見せています。それは時間を盾にして、国会会期延長に伴う、審議時間の長さを理由にした法案の採決です。いまや、十分な審議という民主主義の条件をも、全く空疎な時間の消化よって置き換えようとしています。この時間は強行採決への助走にすぎません。これに対抗して、私たちは民主主義に流れる時間を再構築しなければなりません。
(鵜飼健史 西南学院大学法学部准教授)
2013-14年の特定秘密保護法に反対する運動を経て、今年の安全保障関連法案に反対する運動でも若者たちが主導的な役割を果たしている。そんな光景を見て思い出す言葉がある。
「私はフランス人であることが恥ずかしい(J’ai honte d’être français)」──こんなプラカードを掲げてフランスの若者たちが示威行動に出た出来事である。
私がパリに留学していた2002年春、フランス全土で150万人の人々が街路で声を挙げた。4月21日、大統領選挙第一回投票で保守派のジャック・シラクと極右「国民戦線」党首ル・ペンが社会党を振り切って勝ち残ったためだ。第二回投票での極右勝利を是が非でも阻止するため、極右当選という「社会の恥」に対して多くの人々が抗議したのだった。
この示威行動によって、行進コースは身動きがとれないほどの人で埋め尽くされた。大音量でロック音楽や民族音楽を打ち鳴らす各団体、拡声器で音頭をとる者、巨大なバルーンを空に浮かべる労働組合や左派政党、デモ集合場所に必ず現われる屋台自動車、パリ周辺から駆けつけた大型バスの行列、脇道に控え目に待機する警官隊――四車線ほどの道路を全面封鎖して行なわれたデモ行進には、老若男女さまざまな顔ぶれがみられた。なかでも活気ある高校生集団が目立っていたが、極右阻止のために高校生のあいだでは自発的にキャンペーンが盛り上がった。若者たちが掲げた「私はフランス人であることが恥ずかしい」という言葉はいささか自虐的な響きにも聞こえるが、しかし、彼ら/彼女らにそう発言させるべく強いている社会の大人らへの抗議の表明として実に力強いものだった。
この社会的な異議申し立ての流れはその後も引き継がれ、2003年2月15日、予想される不条理なイラク戦争勃発に反対するデモ、2006年春、二六歳以下の若者を最初の二年の試験期間中は理由なしに解雇できるというCPE(初期雇用契約)法案への反対デモなどに多くの若者が参加したのだった。
日本では若者がデモに気軽に参加する雰囲気はなく、デモと暴動の区別さえつかない学生も少なくはない。だから私は、大学の講義では、機会をつくって、フランスの示威行動を紹介し、日本の社会運動との簡単な比較を試み、学生らに政治的な直接行動の意義や課題を考えてもらうようにしている。
なかには極度のアレルギー反応を示して、教室で堂々とこんな発言をする学生もいた。「脱原発のデモの盛り上がりは、日本社会が衆愚に転じている悪しき実例」「素人が政治や科学政策に口を挟む姿は間違っている」「そんなことをしても何も変わらない、無意味」「デモなんて誰かが政治的に組織したもの」「友人でデモに参加して、その連帯感に共感しているヤツがいてやばい感じ(失笑)」「全共闘世代の政治センスと比べると、自分たちの世代はとても洗練されている」「社会運動をするなら、天安門事件のように、血を流すぐらい本気をみせてくれないと説得力がない」、等々。
しかし、2011年3月以降、東日本大震災、とりわけ福島第一原発の事故の衝撃を受けて、日本でも社会運動が浸透し始め、若者も声を徐々に上げ始めた。今年の安全保障関連法案に反対する運動が、若者が中心となって展開されるにつれて、私の身近な学生らのなかにも、「デモに参加してみました」と言う学生の数が増えてきた。どこかの悲惨な誰かのために、その代わりに声を上げるというよりも、原発や放射能の問題を、日本社会の平和の問題を自分の生存に関わる問題として自発的に行動を起こす彼らの姿は印象的だ。社会の未来を創っていく若者が政治的な問題に関心を示し、具体的な活動を先導する姿は大きな希望を与えてくれる。
立憲主義をないがしろにして、解釈改憲を強行する政治家たちの厚顔無恥を恥ずかしく思う。未来を肯定するために、この恥の感覚を強く刻みつつ、抗議の声を共に上げ続けたい。
(西山雄二 首都大学東京 人文社会研究科 准教授)
あのナチですら、憲法違反によって統治したのではありません。ナチの場合は、憲法に記載のある大統領権限で憲法の諸条項を宙吊りにすることによって、全権委任法という無法を法としています。それはそれで途方もない問題ですが、悲しいかな、法治主義が侵害されていないという表向きの事実は残っています。今回の新安保法制においては、そのような最悪の手続きすら取られていません。これは最悪よりもさらに悪いということです。
行政は、明らかに憲法違反の法案を合憲であると言いつのることで、行政府に対する事実上の立法の授権を遂行しようとしています。この立法プロセス自体が、透明なインクで書かれた全権委任法だと私が言うのはそのためです。この、目に見えない法を法と認めるかどうかが問題です。私たちの依って立つ法治主義は、定義上、そのようなものを認めません。
それを有無を言わさず認めさせるという、アドルフ・ヒトラー氏さえあえてやらなかったことをやろうとしているのが安倍晋三氏です。
彼は、自分がミョウバン水で書いた全権委任法は愚か者の目には見えないと思っているのかもしれませんが、それは知性・教養という私たちの火であぶられ、いまやはっきり目に見えるものになっています。
高桑和巳 慶應義塾大学・准教授(現代思想論)
元NHKアナウンサーの山根基世さんが、何かに書いていらっしゃいました。「言葉の乱れより、言葉の空疎が怖い」と。
若者との対比で安倍首相のことを念頭に置いての発言でしょう。限りなく彼の言葉は空疎で、退廃の極みではないかと思います。「丁寧」「粛々」から始まり「積極的平和主義」、そして戦後70年談話まで、言葉の退廃が自公政権の政治家によって深刻です。
私は戦時下の「転進」というプロパガンダを想起します。NHK報道の「大本営発表化」と財界と結びついたマスコミの権力統制と、こうした政治家による言葉の空疎化は一体的であると強く感じます。NHK受信料は決して支払わず、さらに放送局をも包囲する運動が必要です。
若者の放つ「震える」言葉に連帯し、安保法案を廃案に追い込みましょう。何よりも日本国憲法を武器にして。
北星学園大学 鈴木剛(教育学)
日本が戦争に出かけられるようにする「集団的自衛権行使容認」を含む「安保関連法案」は絶対に阻止しなければなりません。人々が無残な死に方をしなければならないのが、戦争です。そしてその「無残さ」「残酷さ」「非人道的要素」は、兵器技術が進歩してくるにつれ、過酷なものになっています。
広島・長崎の原爆投下から始まり、化学兵器、劣化ウラン爆弾、ベトナム戦争で投下されたダイオキシンを大量に含む枯葉剤、湾岸戦争の際に爆撃された石油備蓄基地からの重油流出など、時代と共に戦争がより残酷になり、悲惨な中で人々の命を奪うもの、そして環境破壊を引き起こすものとなっています。CO2を始めとする温室効果ガスの排出を抑制するための「京都議定書」が採択された時、米国は「兵器も対象になるのか」と言ったそうです。
今や人類は地球1.5個以上分の地球資源を使った生活をしているとのことです。しかしここに「戦争」による影響は加味されていません。「戦争」を入れたら、それ以上になるのは間違いありません。戦争こそが地球の環境破壊を最も進めてきたのではないでしょうか。
人々が限りある地球資源を、その限界の中で使い回し、安心して暮らせる社会を築いて行くことが、人類に託された責務であり義務であります。そのことを考えると、この法案が日本一国のものではなく、日本を含む世界的な戦争を引き起こす引き金になるやもしれず、またそのことにより、日本がテロの標的になる可能性も大きくすることは否定できません。
せっかくある「戦争放棄」が書かれている日本国憲法のある国としての日本は、これを「世界平和」を導く方向へ使い、世界の平和を実現させるよう努力する任務・責務を追っているのではないでしょうか。安保関連法案に断固として反対します。
(鮎川 ゆりか 千葉商科大学政策情報学部教授)
安倍さん
あなたがこの安保法案を通じて「取り戻したい」日本がどんな姿になるのかを想像してみましょう。憲法違反の安保法制が国会で採択されるのであれば、立憲主義は否定され、法の支配など誰も信じなくなるでしょう。権力者が力に任せてルールを変更できるのであれば、私たちは民主主義ではなく、権力にこびへつらうことを学ぶでしょう。
外部に敵を作りだし、武力による威嚇を続けるのであれば、東アジア地域の平和も友好も豊かさも破壊され、取り返しのつかない禍根と多くの犠牲者を生みだすことでしょう。アメリカに追随して集団的自衛権を行使すれば、不本意な戦争にも巻き込まれ、テロのターゲットとなるリスクは高まり、自衛隊員を含めて私たちの命が危険にさらされるでしょう。アメリカの基地が拡大すれば、沖縄と本土との亀裂はもはや埋められないほど深くなり、環境は破壊され、沖縄の人々の安全な暮らしはさらに脅かされるでしょう。アメリカから高額な武器を購入しつづければ、借金はますます膨張し、社会保障費の削減によって貧困は拡大し、子どもの学力は低下し、介護難民は増大するでしょう。
現在、日本には200カ国近い外国人が暮らしていますが、交戦相手国となった「敵国民」は収容所に入れられるか、ヘイトスピーチに煽られて関東大震災の時のように殺されてしまうでしょう。そして、自由も人権も保障されない危険な国には住みたくないと考え、外国人や若い人たちは海外へと流出するでしょう。
誰のための政治ですか?
何のための安保法案ですか?
あなたが「取り戻したい」日本、あなたが「美しい」と思う日本を私は共有しません。戦後の日本は過去の歴史に学ぶことを避け、アジアの隣人たちと向き合うことを避け、ごまかしの中での繁栄を続けてきました。もうごまかしはやめましょう。
武力による威嚇ではなく対話と信頼による平和を、権力者の暴走ではなく立憲主義を、力による支配ではなく話し合いによる民主主義を、歴史のごまかしではなく歴史と向き合い学ぶ勇気を、反対意見を圧殺するのではなく共に新しいものを創造していく知恵を、社会的弱者の切り捨てではなく多様な人々が安心して暮らせる社会を。
私はあなたからそんな社会を「取り戻したい」。
私たちの過去と未来を「取り戻したい」。
(九州大学教員 小川玲子)