【岩上安身のツイ録】緊張が続くウクライナ、その深層 ナチス誕生前史としてのクリミア戦争 2014.3.5

記事公開日:2014.3.5 テキスト

特集 IWJが追う ウクライナ危機
※3月1日の岩上安身の連投ツイートを加筆し、再掲します(3月3日)

 世界の注目の焦点は、ウクライナの首都キエフから、東方のモスクワ、そしてそのはるか南のクリミアに移った。

 16世紀以来、オスマントルコ帝国を、12度に渡る露土戦争(ロシアートルコ戦争)で叩きに叩いて、領土を拡張し、帝国を築いたロシア。そのロシアがさらに南下し、外洋に出るための出口としてボスポラス海峡まで支配しようとしたところ、イギリス、フランスの権益と対立、黒海に突き出したクリミア半島を巡って戦ったのがクリミア戦争である。19世紀、1853年から56年にかけての10回目の露土戦争のことをそう呼ぶ。