テレビ朝日「報道ステーション」が2013年1月23日(水)の放送で、アルジェリア人質事件で亡くなった方の実名を報道した。この放送に対し、twitter上では、テレビ朝日の姿勢を批判する書き込みが相次いだ。
アルジェリアでの人質事件で9人の日本人が亡くなられた。痛ましい限りである。この事件で犠牲になった方々に心より哀悼の意を表したいと思います。
(岩上安身)
テレビ朝日「報道ステーション」が2013年1月23日(水)の放送で、アルジェリア人質事件で亡くなった方の実名を報道した。この放送に対し、twitter上では、テレビ朝日の姿勢を批判する書き込みが相次いだ。
アルジェリアでの人質事件で9人の日本人が亡くなられた。痛ましい限りである。この事件で犠牲になった方々に心より哀悼の意を表したいと思います。
その後、この事件の報道をめぐって、マスコミ各社が御遺族が望んでいないのに被害者の方々の実名を明らかにするという「事件」が起きた。遺族感情を無視し、「報道の自由」の名の下に、踏みにじる、マスコミ各社の暴挙であり、メディア・スクラムによって人権が侵害された、れっきとした「事件」であると思う。報道にかかわる一人として、残念でならない。
今から約三十年前、駆け出しの週刊誌記者の頃、ある有名人の葬式の取材に行かされた。報道陣はここまで、という仕切りがあり、そのすぐ向こう側では読経が行われていた。その距離を詰めることは、葬儀の厳粛さを損なうであろうと十二分に予想された。
だが、報道陣の何人かは不服をあらわにし、「もっと前へ行かせろ」と遺族側の喪服を着た方々に詰め寄った。もみあいになり、葬儀場が騒然となった。先頭に立っていた1人のカメラマンが振り返り、報道陣みんなに向かって「おい! みんな! 突入しようぜ!」と大声をあげた。
あの時の現場の異常な空気を、今も忘れない。人の死を悼む厳粛な葬儀の場を踏みにじり、荒らす権利があると思い込んでいる、そういう「群れ」の中に自分も身を置いていることがたまらなく不快だった。本当に制止をきかず、彼らが突破しようとしたらどうしようか、と考えた。
結局、「突入」は制止されたが、後味の悪い空気はその現場にずっと残った。初めてそんな現場に出くわした全くの新人の僕は、「やめろよ」と咄嗟に制することができなかった自分を恥じつつ、制していたらどんな展開になったか、思い巡らしても想像がつかず、ずっと混乱していた。
突進するものを制したとしたら、他社の人間に取材を妨害されたとして、大きな問題になっていただろう。自社の上司も前進しなかったことを「臆病」と責めるに違いない。あの時の自分の混乱を思い出すと、メディアスクラムが起こる心理的な仕組みが痛いほどよくわかる。
新聞でもテレビでも雑誌でも、マスコミに入ったら一度は事件記者を経験する。そして事件記者の第一歩は、事件の被害者の「ヤサ割り」(自宅を突き止めること)と「ガンシャ」(顔写真)の入手である。取れなければデスクに怒鳴られる。本当にヤクザな仕事である。
ご遺族が納得してくれて、納得してくださった上で、遺影や遺品を写させてもらったり、話を聞かせてもらったり、というならば理解できる。しかし、合意もないのに、なぜ強引に事件被害者の顔写真や実名を出すのか、駆け出しの当時も、今も、納得がいかない。