地域: 栃木県
【IWJ検証レポート〈その3〉】113年の時を超えて届いた田中正造の「直訴状」 〜「足尾鉱毒事件」の跡をたどった天皇陛下の胸中を探る旅(記者:原佑介) 2014.9.23
(その2の続き)
足尾の山が緑を取り戻し始めた日
昭和12年(1937年)頃から国や栃木県が足尾の山の緑化に乗り出したが、亜硫酸ガスを含む煙が出ているうちは効果があらわれなかった。しかし「自熔製精錬法」が確立した昭和31年以降、山は少しずつ緑を取り戻し始めた。
【IWJ検証レポート(その2)】113年の時を超えて届いた田中正造の「直訴状」 〜「足尾鉱毒事件」の跡をたどった天皇陛下の胸中を探る旅(記者:原佑介) 2014.9.22
(その1の続き)
「『古河市兵衛が日本の経済を支えた裏には大きな公害問題が大あって、それを止めようと田中正造が人生を捧げた。足尾銅山にはそういった光と影の二面性があるんですよ』と、両陛下に説明しました」
天皇、皇后両陛下が私的旅行で訪れた足尾環境学習センターのセンター長・鈴木聡さんはそう語る。両陛下が訪れた際、鈴木さんがセンター内を案内し、展示物や足尾銅山の歴史の説明にあたった。IWJの突然の取材依頼にも快く応じてくれた。
塩谷町 指定廃棄物最終処分場候補地の詳細調査反対と白紙撤回を求める緊急住民集会 2014.8.31
放射性物質を含む指定廃棄物の最終処分場として、環境省が栃木県塩谷町内の国有林を候補地としたことを巡って、これに反対する「塩谷町民指定廃棄物最終処分場反対同盟会」が8月31日(日)13時半より塩谷中学校で緊急住民集会を開催した。主催者発表で2000人が集まり、候補地選定の白紙撤回を求めた。
栃木県 放射線による健康影響に関する意見交換会 2014.8.24
8月24日(日)13時より、栃木県大田原市の国際医療福祉大学において、県主催の「放射線による健康影響に関する意見交換会」が行われた。栃木県が設置した「放射線による健康影響に関する有識者会議」座長の鈴木元氏(国際医療福祉大学クリニック院長)、委員の菊地透氏(自治医科大学RIセンター管理主任者)の他に、専門家や放射線測定を行ってきた地元NPO代表などが出席し、福島第一原発事故による栃木県での健康影響について議論を交わした。有識者会議は6月に「栃木県内は将来にわたって健康影響が懸念されるような被ばく状況にない」とした報告を提出している。
小出裕章氏 特別講演-放射能と向き合い、子どもたちの未来を創る- 2014.4.19
2014年4月19日(土)、栃木県那須塩原市の黒磯文化会館で行われた「第3回 311『つながる、つたえる、そして未来へ』集い」において、小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)が「放射能と向き合い、子どもたちの未来を創る」と題し講演を行った。
中央政府を動かすために「この結果を大勢の人に伝えたい!」 ~原発事故による栃木県内への避難者・栃木県北の乳幼児保護者アンケート報告 2013.12.15
安倍政権が進める経済政策「アベノミクス」の成果(=景気回復)が叫ばれる2013年の年の瀬だが、一昨年3月のフクシマショックの影響に苦しむ被災者の数は依然として多い。また、その姿が見られるのは、決して「福島」だけではない。
2013年12月15日、栃木県の宇都宮大学峰キャンパス大学会館で、福島からの避難者やホットスポットが点在する栃木県北部の乳幼児保護者を対象にしたアンケート(「福島県乳幼児・妊産婦支援プロジェクト(FSP)」実施)の結果報告会が行われた。孤独、収入減、体調不良といった窮状の訴えとともに、被災者の間には、あえて被曝の不安を考えないようにする「諦め」ムードが広がっているなど、悩むべき実態の存在も示された。
FSP代表の重田康博氏(宇都宮大教授)は「メディアの力も借りて、この現実を少しでも多くの日本人に知らせたい」と重ねて強調した。
人の命の大切さを訴え続けた田中正造の没後記念100年行事開催 ~第41回渡良瀬川鉱害シンポジウム「田中正造の実像を知り、今何を受け継ぐか」 2013.8.25
「少しだも人のいのちに 害ありて 少しくらいはよいと云ふなよ」――
足尾銅山鉱毒事件を告発し、明治天皇への直訴を行ったことで知られる田中正造。彼が残したこの言葉、現代語に訳すと「少しでも人の命に害のあることに良いと言ってはならない」となる。
田中正造の思想の中核には「いのち」という概念があるのではないか。であるならば、現代を生きる私たちは、田中正造の「いのち」から、何を受け継ぐことができるか。
「国策で原子力を推進する以上、原発に反対する国民は『敵』とみなされる」~ 岩上安身によるインタビュー 第280回 ゲスト 茨城県東海村村長・村上達也氏 日本の「軍事警察国家化」を懸念 2013.3.1
※2015年3月6日テキスト更新しました。
「原発は一睡の夢、短い間の幸せで終わる」——。
茨城県東海村の村上達也村長(当時)に2013年3月1日、茨城県那珂郡東海村庁舎で岩上安身がインタビューを行った。1997年から東海村村長を務める村上氏は、「中央依存体質からの脱却。地域主権の確立で、小規模分散型のエネルギー政策を」と、脱原発に向けたエネルギー政策の必要性を訴えた。
1999年に原発事故による初めての死者を出した「東海村JCO臨界事故」を経て、国が国策として欠陥品を輸入していたことを知ったという村上村長。「原発立地の地方自治体の中で、脱原発の声を上げている首長は自分ひとり。原発に依存した地域は、しばらくすると文化もコミュニティも壊れてしまう。東海村の将来を考えた場合、厳しいかもしれないが、脱原発を目指すことにした」と、自らが原発肯定派から脱原発に転じた理由を語った。
足利脱原発デモ 2012.7.15
2012年7月15日(日)、徳正寺から、「足利脱原発デモ」が行われた。
NPO那須希望の砦キックオフ~緊急集会 今一度考え、話し合おう 住民にできること 2012.3.4
2012年3月4日(日)、栃木県那須で行われた「NPO那須希望の砦キックオフ~緊急集会 今一度考え、話し合おう 住民にできること」の模様。