【岩上安身のツイ録】 歪められた歴史―日本軍・日本政府による朝鮮半島侵略の驚くべき史実 2013.2.15

記事公開日:2013.2.15 テキスト
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 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、2000万部も売れたという。NHKでもドラマ化された。日露戦争の時代を描き、「明治の栄光」を讃える『坂の上の雲』の歴史観=司馬史観は、日本国民の隅々に刷り込まれてきた、と言っていい。

 司馬遼太郎氏は戦前の日本軍の暴走には批判的だったと広く信じられている。実際、『この国のかたち』の中で、1931年(昭和6年)の満州事変以降の日中戦争〜第二次大戦敗戦までの時代を「あんな時代は日本ではない」と、「灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい」と述べている。

 司馬氏は、日露戦争以降、日本は勝利に酔いしれて「民族的に痴呆化」したと手厳しく批判する一方、それまでの日本はいじらしく、武士道の倫理が生きていた、と誉め讃える。だが、本当に日清・日露戦争を勝ち抜いた明治の時代は、栄光の時代だったのか。歴史家の中塚明氏は疑問を呈する。

 『日清戦争の研究』『歴史の偽造をただす』『現代日本の歴史認識』などの著書のある、奈良女子大学名誉教授の中塚明氏は、『司馬遼太郎の歴史観』という著書の中で、司馬は日清・日露戦争の舞台となった朝鮮について何も書いていない、と批判する。

 二つの戦争の勝利の陰で「大韓帝国」は日本に併合されたが、それは地理的に仕方がなかったのだ、と片付けてしまい、1875年(明治8年)の江華島事件に始まり、1910年(明治43年)の日韓併合までの間に、日本が何をしたのか、という事実を記そうとしなかった、という。

 東アジアにおける軍事的緊張の高まりにあわせて、東アジアの近代史の資料を調べていくうちに、中塚氏の著書に出会った。日清・日露を戦った明治の時代、日本軍と日本政府が朝鮮半島において、いかなる作戦行動をとったか、驚くべき史実が書き連ねられていた。

 「明治の栄光」について語りながら、朝鮮については目をつぶり、黙して語らずだった、と批判されるべきは、ひとり司馬遼太郎だけではなく、他の多くの知識人も、教育も、報道も、同じである。明治の当時、何が行われたのか、日本国民のほとんどは知らなかった。昭和も、平成の今も、知らない。

 史実が広く知られなかったのは、無理もない。1894年に、ソウルの王宮を日本軍が武力占領した事件も、日本軍は事実を歪めて発表してきた。公刊された作戦史も、偽造されていた。嘘が「定説」化していたのである。中塚氏は、偽造される前の作戦史の草稿を発見し、「定説」を覆してみせた。

 明日、中塚明奈良女子大学名誉教授のご自宅にうかがい、インタビューを行う。尖閣問題や北朝鮮の核実験など、目の前に大きく感情を揺さぶる大問題が山積しているが、目前の問題に取り組むためにも、近過去の事実を証拠にもとづいて、正確に知っておきたい。ぜひ。ご視聴を。

 征韓論が、尊皇とともに、吉田松陰の中で結びついていたことはよく知られている。しかし松陰の以前にも、朝鮮侵略を唱えた学者はいた。江戸時代の思想家・佐藤信淵は、文政年間に『宇内混同秘策』の中で、朝鮮のみならず、満州、支那を攻め、南京に皇居を移し、全世界を皇国の郡県とせよ、と書いた。

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