【安保法制反対 特別寄稿 Vol.191~Vol.200】
昨日、国会前に行ってきました。平日はどうしても仕事の都合で行かれないので、日々ウズウズしていました。
誰もいなくても、まぁいいかなぁと思いながら、夫と2人で行きました。
戦争法案、戦後70年の節目に出すなど、なんで失礼な議員なんでしょう、と思いながら駅に着くと、やはり誰もいなかったらどうしましょう、といったご婦人達とすれちがいました。
何度かデモに行ったことはあるのですが、今回のはちょっと別格でした。団体さんが少なく、なんとなく集まった人たちが、静かに怒りを燃やしているという印象。
主催者の鳥越さんも、50人くらいしかいなくてもまぁ、仕方ないかなぁ、なんていう感じのことをおっしゃって。
特別に勉強してきた人たちばかりではなく、静かに嫌だと思った人たちの、静かな集まり。
なんかいいなぁと思いました。
あの中に動員で来た人なんて、いなかったのではないでしょうか。いてもたってもいられない、我が子を戦地に出したくない、彼を夫を出したくない、そんな感じがしました。
雨が降り始めましたが、立ち去る人はほとんどおらず、静かに話を聞き、静かに帰って行きました。
静けさの中に戦争法案、イヤなんですけど、何してくれちゃってるんですか?という気持ちが、じんわり伝わってきて、少し泣けました。
あー、他にも本当にいたんだなぁ、同じような思いの人がと。実際に行くことの大切さを学びました。
90代に入ろうとしている叔母から言われた、大戦前のような雰囲気がイヤ、という言葉を思い出し、できることをできる範囲で、無理なく続けようと決意しました。
もっとも、政治家がもっとマトモになって、自分の仕事をきちんとすれば問題ないのですが。
そんなことを考えた1日でした。
(山根壽子 墨田区)
先日の26日、国会議事堂の集会に初めて参加しました。その日も大変暑かったですが、大変おおくの人達が参加していました。
暑い中、自分も含め、60才以上の人達が8割がたを占めていたのが、頼もしくもあり心配でもあります。大学生を中心に、若者は盛り上がりつつあるようですが、40代50代がほとんどいません。大変響きにくい世代だとは感じていましたが、かなり深刻にダメですね。ほとんど自分のことしか考えていません。自分の将来を考えると、もっとも真剣にならなければならない世代のはずです。今でさえこれですから、10年先をかんがえると、背筋が寒くなります。
60代70代がなぜ元気か、60、70年安保や賃上げなどの運動を通して、世の中のことをそれなりに、考えてきた世代です。
しかし、その後の今に至る時代は、メディアの退廃のなかで、どんどん人間の質が低下していきました。
政治家を含め60才以上が良いわけではありませんが、ただこの先の選挙を考えますと、中間層のニブサは大変心配です。
このまま安倍内閣にやらせていたら、とんでもなく悪い國に成るでしょう。国民の声を全然きく気のない馬鹿政治屋達を引きずりおろす以外、今の流れを変えることはできないと考えます。選挙で勝つしかありません。
そこで、私たちがやるべきは、一人ひとりが周りに声をかけていくこと、特に40、50代の人には出来るだけしつこく説得すること。
この世代の人達は、自分の都合の良い情報しか見ていません。結構偉そうな顔をしています。今の安倍政権の本当の悪さを知りません。少しでも多くの40代50代の人達を、こちらの側の人間にしていきましょう。
また、頑張っているSEALDsや、制服向上委員会などの若者を応援しましょう。地域での反対集会にも積極的に参加しましょう。
来年の参議委員選挙はどうしても勝たなければいけないと思います。そのために一生懸命やりましょう。
(前田安之)
憲法の詳しいことはよく分かりません。
ただ、戦争を繰返すようなことがあってはならないことだけは、日本人なら誰でもよく解っている筈です。
世界中の国々の人が見聞きしても、納得出来る常識的な解釈を安倍総理が示すことが、日本の国益に最も叶う進み方だと思います。
安倍総理も、支持率を回復させたければ、そうするべきだと考えます。
(ブルームーン)
1.「安保法制」の内容に反対です。集団的自衛権に反対します。
2.この法案の違憲であることに、安倍、政府に抗議します。
反対の一人ひとりの声をあげよう!
(久喜緑)
国会前に行った。
たくさんの人たちがいた。連れ立ってきている年配の人たち。友達と来ている若い子たち。幟を立てたさまざまな団体。憲法学者たちの幟もあった。一人で来ている人たち。小さな子連れの家族。西洋人と東洋人のカップル。さまざまなプラカード。
拡声器の主張が響き渡る。人びとは耳を傾け、時に喝采し、叫ぶ。
***
SEALDsのコールは、聴衆の心に届く。単純で強いメッセージを、リズムに乗せてたたみかける。
「自・民・党、感・じ・わ・る・い・よ・ね!」
「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロ!」
「い・の・ち・を・ま・も・れ」
「こ・ど・も・を・ま・も・れ」
「じ・ゆ・う・を・ま・も・れ」
「けん・ぽう・ま・も・れ」
「戦・争・反・対!」
「Tell me what democracy looks like!(民主主義ってどんなんか言ってくれよ!)」
「This is what democracy looks like!(これが民主主義ってやつだろ!)」
連続的に繰り出されるフレーズと、ドラムが刻むリズムに煽られて声を上げ続けるうちに、伝わるということ、そして人と人が和するということの強さを、身体が思い知る。
***
60年安保の時の思い出を語ってくれた先輩の研究者の言葉を思い出す。「大学1年だった私も、授業とデモで大忙しでした」。
国会前の、この街路、この並木には、そうした半世紀前の記憶が埋まっている。日本の各地の広場やキャンパスにも。
***
デモに出かける前に、その逡巡を話してくれた留学生の言葉を思い出す。「先生、外国人でも、行って大丈夫なんでしょうか」。
私たちは今、反安保の抵抗運動のために立ち上がりつつある。それは歴史的な瞬間だ。
ところで、「私たち」とは誰なのか?
***
デモには、誰が行ったのか。デモには誰が行くのか。声を上げる人々を見つめながら、そしてその場にはいない人々のことを思いながら、私は考える。
誰が腹を立てているのか。
誰が許しがたいと思っているのか。
何が踏みにじられているのか。
誰に、そして何に、危険が迫っているのか。
誰が立ち上がるのか。
誰と、立ち上がるのか。
***
大学の授業で設定した今年のテーマは、「戦争の記憶」。三島由紀夫の「英霊の声」と、田村泰次郎の「蝗(いなご)」についての学生の発表を聞く。
この教室には、日本人と中国人と台湾人がいる。反応するポイントが違う。学生たちは、各々異なる背景と異なる考えとをもって、ここにいる。授業ではしばしば、彼らの「奥行き」に出会う。
台湾の学生が、発表へのコメントで言った。「兵隊は人間が人間でなくなるものなのだから」。私はそのとき、まだその言葉の「奥行き」を知らなかった。
(2015.7.21 日比嘉高)
私は昨年からハンガリーで音楽を勉強しています。本来であれば留学中は日本のことは忘れ、現地でしかできないことを思う存分体験したいのですが、どうしても日本のニュースが気になりネットに張り付く毎日でした。
ハンガリーにいる身にとって、安倍政権の横暴には二重の意味で焦り・不安を感じます。ひとつは、海外にいるために、デモなどの直接的な行動に参加することができないということ。もうひとつは、日本の状況が近年のハンガリーの動向に重なるということです。
2010年にハンガリーの政権を握った保守政党フィデスは、2012年に、与党の数の力を以て、国民投票を経ずに自主憲法を制定しました。その内容は非常に民族主義的、反ユダヤ的なキリスト教中心主義的であり、また憲法裁判所の権限も抑えられています。
(平田オリザさんがまとめられています http://www.seinendan.org/oriza/2015/04/15/4392)
また、それに先立つ2010年には、新しいメディア法が制定され、政府は主要メディアを監視下に置き、報道の自由を制限しました。これらの動向に対し、他のEU加盟国や、諸外国がいかに批判しているかは、ウェブを検索すればすぐに出てきます。現在の日本がハンガリーといかに酷似しているかに、驚きと不安を禁じ得ません。
現在私は夏休みを利用し、一時帰国しています。先日、早速国会前抗議に参加しました。海外にいることで、情報の獲得も抗議もインターネットを通してしか方法がありませんでしたので、個人的な感情の問題になりますが、その時に感じていた不能感やもどかしさは少し解消しました。
しかし、一歩冷静になると、様々な疑問が浮かびます。デモやウェブ署名は本当に有効なのか。次の政治を担うオルタナティヴ勢力があるのか(数に関しても、政策に関しても)。安倍内閣が退陣した後、我々の運動はどこにむかうのか、等々。これらの問題については、様々な論者が様々な意見を述べており、素人の私には一体何が正しいのか正直なところ分かりません。
しかし、先日のデモで感じた人々の熱気や、「学者の会」をはじめとする反対団体の活動には、勇気づけられ希望を持つことができました。現在の最悪と言っていい状況を変えなければならないことは明らかです。明確な有効性や結果はわからなくとも、その時に出来るやり方で、安保法案反対を訴え続けていくことが重要だと考えます。平和と民主主義を重んじる国民のひとりとして、今後も考え、抗議していくつもりです。
新野見卓也(在ハンガリー、プダペスト・リスト音楽院)
IWJ読者・視聴者のみなさま
私が安保法案に反対するのは、第一に現在の憲法との整合性がとれないまま一連の法が成立しようとしているからです。「学者の会」の賛同者のなかには、憲法改正の可能性を完全には排除しない方、「護憲」一筋ではない方がおそらく多数いらっしゃいます。そのような方を含めての反対論が高まるのは、国の根幹を定めているはずの憲法を軽んじる現政権の態度に、共感が得られていないからでしょう。
しかし私は上記とともに、一連の動きのなかで浮上した「専門性の軽視」について、大学で研究・教育を行う立場から指摘したいと思います。
現政権は、長谷部恭男さんの言葉を借りれば、「都合のいいことを言った時は『専門家』、都合の悪いことを言った時は『素人だ』と侮蔑の言葉を投げつけます。」(2015年6月15日、日本記者クラブ) これは、専門を深める厳しさと価値を権力者たちがわかっていないということです。
ちょうどいまは多くの大学で期末試験・レポート提出の時期です。レポート1つ書くにしても、卒業論文をまとめるにしても、大学では学生が、小さくても1つの専門の宇宙を探求します。私たち研究者の活動もその延長にあります。人が時間をかけて学んでいくこと、その蓄積によって確立される専門性を軽視することは、学ぶことの否定であり、そのような社会は決して豊かになりません。
文部科学省による教育、人文・社会科学系学部・大学院に関する組織改編についての通達(2015年6月8日)も、政府・与党に都合のいい成果(お金を生み出す)を出せば「専門」として認め、そうでなければ素人の集団とする見方に基づきます。自然科学系を一括して予算重点配分の価値ありと言えるのかという問題もありますが、ここでそれは措くとして、立憲主義とともに、「専門軽視」によって、憲法で保障されている「学問の自由」(第23条)が問われています。なお、私は文化政策・マネジメントを専門とする大学に所属した経験があり、その立場からすると、教育・人文・社会系を統合して地域社会・文化をマネジメントする学部や専攻の設置に誘導することは、「学問の自由」に抵触する可能性とともに教育の劣化を招く危険があります。この分野の教育プログラムの構築と実践には研究と教育の蓄積、つまりは高度な専門性が必要だからです。
こうした諸問題を引き起こす「専門性の軽視」を、安保法制についての議論は端的に示しており、そのような現状がこれ以上続かないことを強く願い、私は今回の声明に賛同しています。
最後になりましたが、報道の自由のために日々尽力されているIWJの活動に敬意を表します。
「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者
一橋大学大学院言語社会研究科准教授・小岩信治
(参考)
・安全保障関連法案に反対する 一橋大学有志の声明
わたしがIWJに触れるのは台所が多い。流しの横のオーブントースターの上に、友達の娘が作ってくれたタイルがおいてあり、その上に小さなカゴがあり、生姜やニンニクがいれてある。その中にiPhoneかiPadをたてて、Bluethooth経由イヤホンで聞いている。日常のなかで情報をとるとはそんな感じだ。パソコンの前にずっと座っているヒマは主婦にはない。ヒマがないから情報は入らないではなく、ヒマがなくても情報をとらねばならない。
冷戦終結後、世界がどうなるのだろうと不安だった。危ういバランスの上になりたっていた世界が、新しい着地点を見いだすまで、なにが起きるのだろうと怖かった。その答が発見されないまま3.11が起こり、いよいよもう逃げられないところまで追い込まれたと、身体が縮こまった。
それから、そこここで頑張って自分の仕事をしている人は多くいて、そのこと自体はうれしいのだが、大きな仕組みの組み替えはまったくない。為さねばならぬのはそのことなのに、ことはすすまない。そして第二次安倍政権。もう坂道を転げ落ちているようだ。
戦争について考えるとき、わたしにとってそれは地続きである。
わたしの父母は戦争経験者であり、子どものころから戦争の話を山ほど聞かされた。祖父は日露戦争の203高地にいた人で、ロシア兵とわたりあったとき、ロシア兵の銃剣が刺さり、その柄を切り落として戦い続けたという。その場で抜くと出血多量で動けなくなってしまうから、刺したままだった。そのため刃に肉が巻き付いて、いざ抜いたときには、肉が一緒にとれてしまい、祖父の横腹にはこぶし大のくぼみがあった。203高地という、歴史的事柄に直につながっている身体がそこにあった。父の語る悲惨な行軍は大岡昇平の野火につながり、さまざまな歴史的資料ともリンクした。母の引き揚げ経験もまた悲惨を極めたが、そこで語られる事態はわたしの身体につながってきた。
満州の寒さ、蚤虱をとるために脱いだ衣類を水からぐらぐらになるまで煮て、さらに屋根の上において凍らせること。満州人にたったひとつ与えられた饅頭の暖かさ。機銃掃射があって溝にふせたこと。引き揚げの途中、どんどん子供が死んでいって、せめて赤いものを着せたいという母親の気持ちがわかるので、大急ぎで赤い毛布でコートを縫って着せたこと。それらは女がいきる日常であり、わたしの身体に迫るものだった。
なかでも厳寒の駅舎でのお産の話は、わたしの人生を変えた。
ある女性が厳寒の駅舎で子供を産んだ。母はその人に頼られたが、二人とも死ぬか、自分ひとりでも生き残るかの、二者択一でひとり生きることにかけたのだ。女性は残されて、厳寒の駅舎で身二つになった。衣類だけでは凍えるので、新聞紙を服の中につめたり、段ボールを集めたりしたが、どうにもならず、母子は時をおかずに凍え死んだ。産後の母子ならずとも、多くの人が凍えてなくなっていた。それらの死体は、町をながれる川に投げ込まれた。川は凍りついており、多くの死体が冷凍されていた。毎日毎日死体が投げ込まれ、雪が積もり氷の厚みをまし、川は死体を飲み込んでいた。それらの死体は春になって、川岸の氷が緩むにつれ、凍ったまま海へとゆっくり流れていったという。
子供の時、わたしは生まれて数時間で死んだであろう子供に、自分を重ねていた。その子供に何の罪も咎のあろうはずがない。そして高度経済成長期に子供時代を送ったわたしに、なんの功があろうか。どちらもない。それなのに、片や死に片や生きる。これはまったく理解できないことだった。いわば偶然にすぎないと思った。
わたしがその子でないことも、わたしがわたしであることも、まったくもって偶然である。そうでないとこの事態を説明できない。
これがまさに戦争の暴力である。
その暴力の前に個人はまったく無力だ。そこで国家やなんらかの集団が利益を得たとしても、個人にはただただ暴力が吹き荒れる。
まったく報われることのない努力、それが戦争。母は繰り返しそう語っていた。
その暴力に抗うもの。それは富ではなく、頭と魂である。多数派に流されず、見て、考えねばならない。そうでないと生きられない。これも父母から教わったことだ。身についた知識、技術、意識は奪えない。財産は奪われる。財産だけでは「だまし」とられる。
生きるのには、平和で安全に生きるのには、望むだけでなく祈るだけでなく、知識と技術がいる。だれだって戦争はいやだ、望む人はない。だから平和を望むことはあたりまえで、何をどのようにするのかと考え、行動しなければ平和はない。
伊勢崎賢治さんと岩上さんの対談は重いものだった。それは憲法9条に対する、「判断停止」に切り込むものだったからだ。戦争反対ということ。それはまったくその通りだ。戦争したいという立場は論外だろう。だれも戦争は望まない。そこは異論のないところだろう。だから、戦争反対ということは、論理上ではほとんど何もいってないに等しいのだ。どうやって戦争を防ぐか/どことの戦争をどのように防ぐか。次にその議論を、政府はどのように国民と共有していくのか。考えるべきはそこだ。
庶民はそんなこと考える必要はないとも思う。
ノブレスオブリージェといわれる人たちにしっかりやってもらいたい。それなのに、きちんとやってないのが現在だ。だから、IWJのようなメディアがあって、市民が考えているのだ。そういう市民が多いにこしたことはない。
岩上さんのインタビューに、新宿バス放火事件弁護人の安田弁護士へのものがあった。犯人は、福祉を当然のサービスと意識できず、負債と感じてしまった。貧困と知識のなさが、偶然を悪いほうに組み合わせてしまった。組み合わせの時点では不幸な偶然だが、火をつけて人がなくなってしまった事態は確定しており、覆すことができない。
これもまた暴力である。
他者に対し暴力的関係をつくるように、暴力的に追い込まれる。
わたしたちも同様の暴力をふるうことになってはならない。
今の政権担当者があてにならない以上、わたしたちもできるだけ自覚的になるしかない。今期の国会だけでなく、すくなくとも来年の参議院選挙で、自民党に勝つまでは正念場だ。出来るだけ周りの人と話し合い、平和を求める道をともに考えよう。
情報をもとに、誰が悪いかではなく、どうすれば良いのかをともに考え合おう。
それがいまなすべきことだと思う。
死体の川のように何も考えず流れてしまってはいけない。
盥の水と一緒に赤子まで流してしまった、戦後70年ではなかったか。
わたしたちは、今こそ、本当の民主主義をここからはじめるのだと思う。
(竹薮みさえ・竹薮組)
さる7月26日、台風が九州上陸か? という日曜日、「安保関連法案に反対するママの会@福岡」のデモに参加してきました。(当日は晴れでした)
デモのあとの集会で数人がスピーチしたのですが、一人のお父さんのお話に、胸をつかれました。
・息子さんが親の反対を押し切って自衛隊に入隊したこと
・専門学校卒業後、就職がうまくいかず入隊を決断したこと
・毎日が心配でたまらないこと
・たとえ一人でも街頭に立って、安倍政権を許さない訴えをしていくこと
といったお話でした。
最後は涙を浮かべられ、「みなさん、お力をお貸しください」と言われたのでした。
安倍政権が進める安保法案が廃案にならない限り、さらに深刻な苦悩が、これからどんどん増えていくのです。
戦争とは、普通の人が普通でなくなることです。
ごく普通の会社員だった人、商売をしていた人、ものを作っていた人が、やらないとやられる極限状態の中で「人を殺す」ことが戦争です。安倍さんの考えるような「お花畑」であるわけがありません。
日本の国が、根底から変わってしまうのではないかという状況にもかかわらず、40代以降の大人は、狭い範囲の利益にとらわれている人が多いように感じます。
子どもや若者をつぶす社会、多様性を受け入れない社会は、共同体ごと壊れてしまうという、この切実な命題を大人たちは忘れてしまったのでしょうか。それに比べ、SEALDsはじめ若者たちが自分の言葉で語り、行動している姿は、雄渾で希望の光を感じます。
「だれの子どももころさせない」ー先日のデモの合言葉です。
自分の子どもだけでなく、よそさまの子ども、そして世界中の子どもを守る努力を、1ミリずつでも続けていきましょう。そして、自由にものを考え言える社会、さまざまな個性をもった人々が否定されることのない社会を守っていきましょう。
私にできることなど本当に微力ですが、あきらめることなく、「できることをできる形で、でも一歩踏み込んで」やっていこうと思います。
(井上秀子 株式会社IAED建築・環境設計)
※「安保関連法案に反対するママの会@福岡」のデモ参加、「安全保障関連法案に反対する学者の会」の署名ほか
月夜に ニーナ・シモンの「Strange Fruit」なんか聴きながら、書き出しました。
なぜか、戦前、戦中の権力による虐殺、思想犯と言われた平和主義者の人々が想われて、私、今、怒髪天どころか太陽までぶち抜きそうです。
なんという書き出しでしょうと思いつつ、取り繕いたくないのです。悲しみや、怒りまで押し込めて、あらゆる依存症、魂の破産状態を、多々引きずり今にいたったのが、この国ではありませんか。
さて、本題に入りましょう。 一連のこの「戦争法案」の強引なプロセスこそが、その目的の本質をむき出しにしていると思います。つまり、誠実に言葉を尽くしてコミュニケートすることなく、マスコミ操作して、強権的に押し切り決まったことにしていく。そこには、国民に対しての、最低限の人間的な尊重さえない。それが、「安全保障」を語るなどまさに「カタリ」、なんと下劣で卑しい振る舞い。
この構図をあてはめれば、お定まり路線、そのうち日常のあらゆる自由を規制し、内外の目くるめくピラミッド「ポチ」構造を強化し、社会保障費を削り、軍事費を増やし、金と権力と「お祖父ちゃん」のために、自分を豊かに育ててこなかった、思想的自立をなしえなかったアベ君、前世紀の遺物、借り物の「信念」で、やりたい戦争に突っ走るは必定。あなたも「幼児期の虐待(およびネグレクト)を国家規模で再現」するつもりか。
千歩譲っても、もう、微塵も信頼関係などない以上、話しあう必要もなく、そもそも、これ違憲でしょう。心ある憲法学者のみなさん応援しています。
あるは、廃案と現政権退陣のみ。改憲など話すべくもな~い。私は、「戦略」とやらに疎いけれど、正攻法から、びっくりするようなクリエイティブな解決方法まで、知恵を絞り共に行動しましょう。今、こうして、より平和を志向する転換点にいることを誇りに思います。
下がりおろ~ぅ!アベ政権。廃案にしよう「戦争法案」。愛と自由と正義の名において。
・・・ほら、マグノリアの香り。あの「strange fruit」のマグノリアです。
(Ms.つる姫じゃ~ 8/3/15)