【安保法制反対 特別寄稿 Vol.197】 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 一橋大学大学院言語社会研究科准教授・小岩信治さん

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IWJ読者・視聴者のみなさま

 私が安保法案に反対するのは、第一に現在の憲法との整合性がとれないまま一連の法が成立しようとしているからです。「学者の会」の賛同者のなかには、憲法改正の可能性を完全には排除しない方、「護憲」一筋ではない方がおそらく多数いらっしゃいます。そのような方を含めての反対論が高まるのは、国の根幹を定めているはずの憲法を軽んじる現政権の態度に、共感が得られていないからでしょう。

 しかし私は上記とともに、一連の動きのなかで浮上した「専門性の軽視」について、大学で研究・教育を行う立場から指摘したいと思います。

 現政権は、長谷部恭男さんの言葉を借りれば、「都合のいいことを言った時は『専門家』、都合の悪いことを言った時は『素人だ』と侮蔑の言葉を投げつけます。」(2015年6月15日、日本記者クラブ) これは、専門を深める厳しさと価値を権力者たちがわかっていないということです。

 ちょうどいまは多くの大学で期末試験・レポート提出の時期です。レポート1つ書くにしても、卒業論文をまとめるにしても、大学では学生が、小さくても1つの専門の宇宙を探求します。私たち研究者の活動もその延長にあります。人が時間をかけて学んでいくこと、その蓄積によって確立される専門性を軽視することは、学ぶことの否定であり、そのような社会は決して豊かになりません。

 文部科学省による教育、人文・社会科学系学部・大学院に関する組織改編についての通達(2015年6月8日)も、政府・与党に都合のいい成果(お金を生み出す)を出せば「専門」として認め、そうでなければ素人の集団とする見方に基づきます。自然科学系を一括して予算重点配分の価値ありと言えるのかという問題もありますが、ここでそれは措くとして、立憲主義とともに、「専門軽視」によって、憲法で保障されている「学問の自由」(第23条)が問われています。なお、私は文化政策・マネジメントを専門とする大学に所属した経験があり、その立場からすると、教育・人文・社会系を統合して地域社会・文化をマネジメントする学部や専攻の設置に誘導することは、「学問の自由」に抵触する可能性とともに教育の劣化を招く危険があります。この分野の教育プログラムの構築と実践には研究と教育の蓄積、つまりは高度な専門性が必要だからです。

 こうした諸問題を引き起こす「専門性の軽視」を、安保法制についての議論は端的に示しており、そのような現状がこれ以上続かないことを強く願い、私は今回の声明に賛同しています。

 最後になりましたが、報道の自由のために日々尽力されているIWJの活動に敬意を表します。

「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者
一橋大学大学院言語社会研究科准教授・小岩信治

(参考)
安全保障関連法案に反対する 一橋大学有志の声明
 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ