みんなで語る「改憲への危機感」寄稿文 Vol.20 自由な権力者と普通の日本人 広告デザイナー/ディレクター 卓司さん

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Democracy-Tshirts

 IWJの番組や書籍の「前夜」により知っていたので、私は改憲与党に投票する気は微塵もなかった。改憲について、自公は選挙後に言い出だすのはわかっていたので、何ともなかった。都知事選挙でもそうだが、手段を選ばない自公等は概知の事実であり、自公に対してはとうの昔から怒りは通り越している。

 選挙管理委員会は総務省所轄で、委員長などはどうせ公明あたりの議員のはずである。「ドロボウに見廻りさせている」のと同じであり、どう転んでも野党には不利である。何でもできるし、やらないわけがない。

 沖縄県民が選挙で「NO」を突きつけたのにも関わらず、選挙翌日から、高江のヘリパッド強行建設を始めているが、これも計ったかのように都知事選のドサクサに紛れて問答無用とばかりに、着工し始めた。

 矢部宏治さんの本でも気づけたが、そもそも日本に民主主義などなかったのだと確信し、その思いは3.11以降から、時が経つに従い底知れず深まるばかりである。国民投票にもっていかれたら、大方成立するだろう。「日本人の命日」になる。

 また、高江の人たちに対しての機動隊(紺の制服だが、こんなもの既に軍隊だろうが)のやり方には、怒りしか出てこない。なもんで1日中イライラしている自分に気づき、「あっマズイ」とコントロールするのがやっとである。

 高江周辺においては、憲法改正草案審議もまだであるにも関わらず「緊急事態条項」発令って感じで、既に戒厳令状態である。なので今後の日本、推して知るべしである。

 あんな憲法が成立したら庶民の暗黒時代再び、である。人間扱いされなくなること必至。第二次世界大戦中に大日本帝国上層部が言ってたと、聞いた言葉がある。

 「兵士の命は羽より軽い」

 何につけこれが日本人のメンタルなのか。そのメンタルは上層部発想の筈なのに、一般の多くの日本人もなぜか、微妙な暗黙の了解をしているように感じる。

 今は実際、国民はヤバイ状況なので、私は身内や友達に選挙や改憲について話を振ったりするが、あまり気にしていない様子がまざまざである。毎回、温度差の大きな違いを思い知らされる。まぁまぁ耳を貸してくれる友人もいるが、しかし、ほぼ右から左である、やはりそれほど気にしてないし理解もしてない。相対的に自分ひとりが「おかしな奴」的である。

 そのため、高江のことを話すのは抑えている。高江は要素が多岐で広く、聞く耳を持ってくれないと話にならない。同じ身近な日本人であるにもかかわらず。どういうつもりなのか理解できない。マジョリティの日本人に民主主義は無理なのか、と考えさせられることが多い。

 みんな忙しい日常ではある。しかし、そんな調子で政治に無関心だから、人生が権力により、きつく忙しく余裕なくなる悪循環になる、と私は思う。彼らはそんな関連性を微塵も感じていないように見える。

(広告デザイナー/ディレクター 卓司さん)