現在、多国間による紛争防止を理由として、実質的に無制限に海外派兵を可能とする集団的自衛権の立法が模索されています。しかし、現在までに欧米諸国による軍事介入などで世界に平和がもたらされているでしょうか? 多国籍軍によるイラク侵攻、続くシリアへの軍事介入は、イスラム国の出現による治安の絶望的なまでの悪化、軍事的緊張を引き起こしています。
また、それは欧米各国で相次ぐ宗教的原理主義者による残虐なテロリズムの遠因ともなっています。軍事力は平和構築に何ら寄与しない、ということを世界は学ぶ時期に来ています。
広島は世界で初めて、原子力爆弾が実戦投下された場所です。原子力爆弾の投下は、その威力を世界に知らしめるためのデモンストレーションであったことが、指摘されています。日本政府は、米国の核の傘という、抑止力を認める態度を崩していませんが、核抑止力を認めることは、広島•長崎への爆弾投下を正当化することに他なりません。核抑止力からの決別は、日本人としての尊厳を取り戻すことでもあるのです。
核戦争時代、そして技術の発展を背景とした通常兵器の拡散による地域紛争、テロの激化という状況は、軍事的威嚇が平和構築には無力であることを証明しつつあります。憲法九条は、破滅的な敗戦という状況の中から生まれた、時代を先取りした平和構築の知恵なのです。解釈改憲によりこれを無力化し、軍事力による威嚇への道を開くことは、時代に逆行した愚かな行為です。
世界は軍事力による抑止という幻から目覚めなくてはならないのです。
(栗木雅夫 広島大学教授)