郷土史家(歴史社会学)である著者の水谷英志(みずたに・ひでし)氏より、新著『薩摩義士という軛 宝暦治水顕彰運動の虚実』をご恵贈いただきました。
「宝暦治水(ほうれきちすい)」とは、1754(宝暦四)年から1755(宝暦五)年にかけ木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域で行われた治水工事であり、江戸幕府の命で工事を担当した薩摩藩は、四十万両にわたる多額の経費と、千人近い藩関係者を派遣し、80人を超える犠牲者を出したとされています。
水谷英志著『薩摩義士という軛 宝暦治水顕彰運動の虚実』
(ブイツーソリューション)
のちに「宝暦治水顕彰運動」を通じて讃えられることとなる「宝暦治水」は、「三百二十九か村が恩恵を受け、水害は減少しました。川の周囲に住む人々は薩摩藩に大変感謝し、現在、岐阜県と鹿児島県は姉妹県となってさかんに交流が行われています」と記述された歴史教科書からもうかがえるように、肯定的側面に強く光があてられてきました。
木曽三川下流域に関する豊富な歴史的史料をもとに検証を行った著者は、疫病による死者と工事のトラブルにより切腹する者を出すなどした負の側面もすくいあげると同時に、史実とかけはなれた「薩摩義士」が作り上げられた過程を丹念に追っています。
犠牲者である薩摩藩士に「薩摩義士」という名称が用いられ、治水工事の責任者であった薩摩藩家老の平田靱負(ひらた・ゆきえ)の死因が確かな検証もなく「切腹」とするなどとされたその過程では、「『忠臣蔵』をも上回る『物語』を生み出そうと試みた営為が見られる」と、著者は指摘しています。
加えて、岩田徳義(いわた・とくよし)に代表される教育者や代議士らによる「薩摩義士表彰会」の開催に発展していく「薩摩義士」の存在は、大規模公共工事を正当化する「錦の御旗」として、それまで利害対立を続けていた流域住民を結合し、流域住民の守護神となるとともに、「住民の歴史意識を拘束する軛(くびき)」ともなったと、鋭く分析しています。
著者はあとがきにおいて、初版発行日を12月8日とした理由について、「ローカルな話題であった『宝暦治水』という話題を全国区に引き上げた象徴的な1日であった1912(大正元)12月8日に、岩田徳義が『薩摩義士顕彰会』を東京の帝国教育会館で行った日にあわせたため」と語るとともに、「事実を元にした新たな宝暦治水像を生み出す」という、未来へ続く研究への展望も明かしています。
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