【安保法案反対 特別寄稿 Vol.355】 昭和天皇自ら天皇主権を否定し、大日本帝国憲法から日本国憲法へ橋渡しをした 近畿大学通信部短期大学・松永章生さん

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── 論文を書くにあたって ──

 この1年、憲法を無視する大変な事態がでてきました。明らかに憲法違反と分かっているのに、公然と安保法案を通しました。私はどうしてそのようなことができるのか、深く考えました。そしてふと気づきました。

 私は学生に憲法を教えています。残念なことに、日本国憲法の成立過程や性格については省いていました。心の中に「押しつけ憲法ではないか」とか「占領法規ではないか」とか、なんとなくやましい気持ちを持っていたからです。内容がよいからよいではないかとか、人権思想は世界史の流れであるからなどと考えても、なんとなくすっきりしません。そこで深く反省し、学問的にどうかと本気になって追究してみようと考えました。

 まずポツダム宣言、その他の文書を英文で読んでみました。日本国憲法も同じです。そうすると、意外なことに気づきました。英文では、「主権」と「権限」を厳密に区別していたということです。そしてより重要なことは、これまでの憲法論に主権者天皇の存在がすっぽり抜けていたということです。これでは日本国憲法の成立過程や性格を語ることができません。

 そのような事情で本論文は、できるだけ英文を入れ、また主権者天皇に視点をあてて論じることにしました。

論文の要旨

① ポツダム宣言を受諾しても、天皇主権は維持されていた。しかし権限はマッカーサーに従属した。主権を英語ではsovereignty といい、権限をauthorityという。この2つはポツダム宣言、マッカーサー元帥への通達、日本国憲法では厳密に区別されている。

② ポツダム宣言の目的は日本の武装解除であり、主権変更を目的としていない。主権変更は日本国民が決めることだからだ。マッカーサーは日本政府を通じて支配した。天皇を尊重し、日本政府に指示するという方法をとった。つまり間接統治である。主権者である天皇は自由に行動できた。

③ 天皇は戦前からイギリス型の立憲君主制を理想としていたが、ポツダム宣言受諾後、大日本帝国憲法のもとでは不備があると痛感した。すでにマッカーサーとの第1回会見前の1945年9月25日の記者会見で、天皇は「……立憲的手続きを通じて表明された国民の総意に従い、必要な改革がなされることを衷心より希望する」と述べている。その2日後がマッカーサーとの会見である。

④ 天皇は、1946年1月1日の「新日本建設に関する詔書」で天皇主権を否定した。天皇は、独立後の記者会見でこの詔書が自分の意思であることを表明している。マッカーサーの押しつけではない。主権が否定された大日本帝国憲法は形式だけになった。マッカーサー3原則が出たのは1946年2月3日である。その前の1月1日、天皇はすでに天皇主権を否定しているから、天皇主権をとる政府案(松本案)ではなく、国民主権をとるマッカーサー3原則が天皇の意思を表現している。

⑤ 国民は天皇を支持していた。大日本帝国憲法も、内容はわからないが天皇が与えるものだからよいものだと考え、喜んで支持した。終戦も天皇が戦争を止めるというから従った。日本国憲法も天皇が裁可したから喜んで支持した。

⑥ 憲法の分類には、君主が与える欽定憲法、市民革命などにより国民が制定する民定憲法、君主と国民が共同で制定する君民協約憲法がある。大日本帝国憲法は欽定憲法、日本国憲法は君民協約憲法である。従来の学説は君主と国民を対立的に考えていた。ここに誤りがある。日本の場合、天皇と国民は対立していない。

⑦ 天皇は戦前から「君臨すれども統治せず」というイギリス型の立憲君主制をモデルとしていた。政府の決定を尊重し、2・26事件と太平洋戦争終結以外は自分の意思で決めていないと1981年4月17日の記者会見で述べている。そうであるなら開戦の決断は天皇の意思ではない。しかし、天皇主権のもとでの立憲君主制は制度上不備がある。意思決定せず、責任だけ負う。つまり「君臨すれども統治せず。されど責任を負う」ということになる。そうであるなら国民主権のもとでの天皇制しかあり得ない。天皇は敗戦により制度の変更を痛切に感じたのである。

⑧ ところが政府は、天皇主権を維持することしか念頭にない。国民主権のもとでの天皇制即ち象徴天皇制があると考えることができなった。また戦前の天皇制を維持することの危険性に気づいていなかった。危険性とは何か。天皇の戦争責任である。

⑨ それに気づいていたのがマッカーサーである。天皇を敬愛していたマッカーサーは、何とか天皇を護らなければならないと考えた。そのためには1946年2月26日極東委員会の成立前に憲法改正に着手し、その後速やかに国民主権に変更して天皇に戦争責任がないことを示さなければならなかった。つまり天皇は戦前も戦後も意思決定者ではなかったことを示す必要があった。天皇の意思を理解していたのはマッカーサーのほうであった。

⑩ 1946年1月1日、天皇自ら「新日本建設に関する詔書」で天皇主権を否定した。この時、大日本帝国憲法の根幹は崩壊し、形式だけになった。4月10日女性の参政権を認めた総選挙が行われた。4月17日憲法改正草案が公表された。この草案は国民主権に基くもので、天皇の意思を表現したものであった。形式化した大日本帝国憲法の手続きに従い、10月7日可決成立した。天皇はこれを裁可し、11月3日公布した。よって日本国憲法は天皇主導の君民協約憲法である。

資料の評価

 法的に評価できるものと補足的に評価できるものがある。①法的に評価できるものは、憲法、詔勅、法律、条約、宣言、通達、指示、覚書などの公式文書(または行政行為)である。②準法的に評価できるものは、天皇の記者会見などの公的発言である。公的存在である天皇の場合、一般人と異なり、記者会見は本人の意思を表明したもので法的効果を持つ。③補足的に評価できるものは、マッカーサーとの会談、回想録、同席した者の発言・日誌、当時の政治家の発言・日誌などである。背後を知るのに重要だが、私的なものもあり補足的に評価した。法的にみると重要度は①②③の順である。

 2014年、『昭和天皇実録』が公開された。この中に夥しい量の資料があるが、回想録、日誌、私的発言などは③になる。貴重な資料ではあるが、法的効果から見ると、①②に劣る。たとえると、①②は水面上の氷山であるが、③は水面下の氷山である。法的に効果を有するものは、下部にある個人の見解や心の動きではなく、上部にある明示された文書あるいは公的発言である。目に見えない部分には利害、思惑、感情が錯綜しているが、目に見える部分はそれが抜けたり、往々にして美辞麗句で語られたりする。それでも目に見える文書や発言が法的効果を持つ。また『昭和天皇実録』は、編集者の態度や論者のとらえ方で評価も変わる。その意味でこの論文では、筆者の見解を補足するものとして、補充的に取り上げた。なお、論文中の傍線は筆者による。

論文

1.ポツダム宣言受諾で主権に変更はないが、権限は連合国最高司令官に従属した

 ポツダム宣言で主権が連合国最高司令官マッカーサーに移ったという考えがある。しかし、これは主権の性質から言って誤りである。一般に主権には3つの特徴があるといわれる。①国家の統治権 ②最高性(内にあっては最高、外にあっては独立性) ③最高意思決定がそれである。意味は多様だが、この主権の保持者は広い意味の国民である。外国人ではない。歴史的にみると国民または君主である。それならマッカーサーの支配で何が移ったのであろうか。

 ここでまず、英文日本国憲法をみてみよう。

……do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
Government is a sacred trust of the people ,the authority for which is derived from the people …… そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し……、

 主権はsovereign power と表現されている。一方、権威をauthorityと表現している。authorityはthe power or right to give ordersと説明される。「命令を与える権威または権利」のことである。日本国憲法で考えると、国民に主権があり、それから出たものが国会、内閣などの国政の権威または権限である。主権というのは、国民あるいは君主が根源的に有するもので、だれにも譲れない。しかし、それから派生する権威や権限は譲ることができる

 そこでポツダム宣言に帰ってみると、次のようになる。

⑧……Japanese sovereignty shall be Limited to the islands of Honshu, Hokkaido,Kyushu, Shikoku, and such minor islands as we determine.日本国の主権は、本州、北海道、九州、四国、およびわれらの決定する諸小島に限らるべし。

 Japanese sovereigntyは日本の国家主権である。占領されても主権はマッカーサーに移るものではない。日本国にある。

 ところで1945年9月6日のマッカーサー元帥への通達によると、次の英文が見られる。

①The authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the State is subordinate to you as Supreme Commander for the Allied Power. 天皇および日本政府の国家統治の権限は連合国最高司令官としての貴官に従属する。

 ここに使っている単語はauthority(権限)であって、sovereignty(主権)ではない。つまり主権から派生した統治の権限がマッカーサーに移っただけで、主権が移ったのではない。主権は占領されても委譲できないものだからだ。命令できる権限が移っただけである。この点の区別は重要である。

2.マッカーサーの支配は原則として日本政府を通じた間接統治

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【IWJ特別寄稿】として寄稿全文をUPしました。

【IWJ特別寄稿】昭和天皇自ら天皇主権を否定し、大日本帝国憲法から日本国憲法へ橋渡しをした(近畿大学通信部短期大学・松永章生氏/憲法、社会保障法、生活保護法) 2015.10.22

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