中国のある学者(銭鍾書1910‐1998)が、文革終結後に、作家である妻の楊絳(1910- )のエッセイ(『幹校六記』:知識人たちの労働改造体験を日常の些事の記述という側面から描いたもの)に序文を寄せ、「表に立って抗議の声をあげる勇気がなかった臆病者として(私も含めて)恥じるべき」という趣旨のことを述べています。
当時学生であった私は、これを読んだとき、「もし」同じようなこと(言論弾圧、迫害)がわが身に降りかかったらどう対応するだろうか、と自問自答したものです。(この二人のように、限界状況にあってもできる限り誠実に対処し得るだろうか、おそらくおびえて付和雷同するか、沈黙して自滅するのがおちではないか等々)
それが、311以降、「個」を押し潰す全体主義の脅威が、対岸の火ではなくなってしまった、安全地帯だったはずの場が目の前で崩れようとしているのです。実は危うい状況はずっと前から始まっていたわけなのですが、愚かにも私がそれに目を向けてこなかったのです。
私は、文学という領域において、個別の人間(作家)に注目し、その書く営みを歴史的な背景と関連付けながら見ていますが、時に細部に拘泥するために、危うい何かを感じても、とっさに簡潔に理論整然と語りかけることが不得手です。逡巡しつつ、考えつつ、恐る恐る(体調不良もありますが)歩を進めています。(「学者」にもいろいろおります。)
けれども、それゆえ国境の境界の感覚がうすれ、それこそ否が応でも地球規模(グローバル)で物事をとらえざるを得ない今日、(私にとって)お隣の国のある個の体験は、人類の共通の出来事として共有すべき性質を帯びるものであり、そこから歴史の教訓を汲むべきものだと思えます。
幸運にも、大学という場で、歴史の教訓をいくばくでも学ぶ機会を与えられた者として、今抗議の声を上げなければ、臆病者として卑屈な自己弁護の人生を選択することになる、それはできない、これが抗議の声をあげる理由です。
櫻庭ゆみ子 慶應義塾大学(中国現代文学)