ちょうど800年前のイングランドに、ある王様がいた。
彼は、王国の法と慣習を無視して人々に重税を課し、教会の人事に介入してローマ教皇と対立し、フランスにおける領地をめぐって仏国王と争った。そしてその結果、全てを失うことになったのである。
凋落の要因は、彼のわがままで傲慢な性格が大きく災いしているが、それだけではなく、多くの人々の声に耳を傾けずに少数の側近の助言に頼って、父祖伝来の領地ノルマンディーの喪失という取り返しのつかない過ちを犯してしまったことにある。彼こそが「悪しき国王」の代名詞として歴史に汚名を残すジョン王である。
悪政に怒りを爆発させた貴族たちの反乱と、教会や商人たちの抵抗にあい、1215年6月15日、ついにジョン王はロンドン郊外の平原ラニミードにおいて、63箇条に上る誓約書に署名させられた。これがマグナ・カルタである。
直後に「貴族たちにより押しつけられたもので無効である」とのジョン王の訴えを聞き入れたローマ教皇により無効と宣言されたものの、ジョン王が死去しその子ヘンリー3世が即位すると、部分的に修正されてその後数十回も確認され、英国の制定法の一部となった。14世紀後半以降、一時的に忘れ去られることになるが、17世紀に入り、マグナ・カルタこそが英国の「古き良き法」、コモン・ローの結晶であると信ずる誇り高き裁判官、エドワード・クックによって再評価され、権利請願、権利章典、そして米国の独立宣言、合衆国憲法、権利章典、南北戦争修正を経て、日本国憲法(31条・84条など)にもその精神は受け継がれている。
今月15日に英国は国を挙げてマグナ・カルタの800周年を祝った。キャメロン首相が演説の中で「支配される者と政府とのバランスを永久に変更し、正義と自由の議論を発展させ、何世紀にもわたって、人権を進展させ世界中の苦難を緩和するために引用されてきた」と述べているように、マグナ・カルタは政府の権力を法で縛るという「法の支配」の原点、、そして人々の自由の礎として英国憲法の最重要の一部と位置づけられているからである。
歴史的教訓から何も学ぼうとせず、戦後70年間の「法と慣習」を軽視し、マグナ・カルタについて国王(および彼の官吏)でなく国民が守るべきものだ、などと答えるならば、そのような人物、そのような政党や政府は、自国民のみならず、自由と正義を希求する他国の人々からも尊敬を受けることはないであろうし、究極的には「歴史の審判」を免れないと私は確信している。
日本のメディアでは一言程度しか紹介されていませんでしたが、さすがは「法の支配」の象徴、マグナ・カルタの発祥の地であるイギリスの首相だけあって、とてもよいことを言っていると思います。私はイギリスで6月15日の式典に立ち会い、このスピーチを聞いてぜひ学生に紹介したいと思い、日本語版を作って授業(憲法1、憲法2および英米法)で読み上げたところたいへん好評でした。イギリスのメディアによると、第4節(人権)のところで現代の状況を述べているのは現在の欧州人権条約体制に反対する姿勢を暗示したものという批判もあるようですが、その点を差し引いたとしてもマグナ・カルタの歴史的意義、その重要性については正しく述べられていると思います。
――マグナ・カルタ800周年記念式典におけるキャメロン首相演説(2015年6月15日)――
800年前のこの日、ジョン王は世界を変えることになる書類に署名しました。
我々は「国法(国土の法)」について語りますが、まさにこの土地において法とそこから生まれた権利が根を下したのです。
執行権(行政権)の制限、裁判を受ける権利の保障、法の支配と呼ばれる信念、裁判なしに収監されないこと---マグナ・カルタは我々がこうした事柄を書き記し、それによって生きる考えを最初にもたらしたのです。
こうしたことは今日の我々にとっては小さなことかもしれません。しかし、その当時それは革命的なことであり、支配される者と政府とのバランスを永久に変更することになったのです。
この平原で800年前に起きたことは、当時と同じく、今日にも影響を与えています。そしてその影響は、イギリス一国をはるかに超えるものとなっています。
世界の至る所で、人々は今なお法の支配によって生きるために、そして彼らの政府を法に従わせるために悪戦苦闘しています。こうした問題を抱える国々でも、長い目で見れば、成功を収めることができるでしょう。逆に、法の支配に向かわない国々は長期的には失敗に終わるでしょう。
そして、ここイギリスで当然だと考えられていることは、とても深く我が国の土台に組み込まれているので、我々はそれを問うことすらしませんが、それは他国の人々がそれを求めて叫び、望み、祈っていることなのです。
どうして人々は、マグナ・カルタにそれほど重きをおくのでしょうか。
それは、彼らは歴史に目を向けているからです。彼らは、ここ1千年間の最良の時期に、どのように大憲章が正義と自由の議論を発展させるのに貢献したかに注目しているのです。
私が不思議に思うことは、これらの貴族たちは、マグナ・カルタの条項が時代を超えて反響し続けるのを知っていたのだろうかということです。
イギリスの内戦を戦った人々を勇気づけ、チャーチスト運動の糧となり、選挙権拡大運動を励まし、不正義に異を唱え、恣意的な権力を抑制しようとする人々に武器弾薬を与えてきました。
この地に播かれた種が世界中に育つことを彼らは知っていたのでしょうか。
アメリカのことを考えてみましょう。初期の州における憲法や法典において、マグナ・カルタに言及し、それをほのめかし、あるいはその条文がそのまま写し取られているのを我々は目にします。
インドについて、ガンジーについて考えてみましょう。彼が外国にいるインド人により多くの権利をもたらそうとしたとき、彼の提案したインド人救済法において、彼は「この地における我々の自由のマグナ・カルタ」という特別なものを手にしたのだと宣言しました。
南アフリカについて考えてみましょう。リヴォニアの法廷で、ネルソン・マンデラが被告人席に立ち、終身刑が科されようとしていたとき、彼が引用したのはマグナ・カルタでした。
彼にとってこの憲章は、イギリスの自由の本質をなすものであり、彼が尊敬し、南アフリカの人々のために求め、それが得られるならば死んでもよいと考えた理想でした。
マグナ・カルタは今日さらに影響力を増しています。
何世紀にもわたって、人権を進展させ世界中の苦難を緩和するために引用されてきたからです。
しかし、最初にこの考え方が打ち出されたここイギリスでは、皮肉なことに、人権という「大義名分」が時に歪められ、軽んじられてきました。
これらの権利の名誉、そして我々の法制度における決定的基盤を回復する任務は現世代の我々にかかっています。
この遺産、この思想、そしてこれらの貴族たちのなした偉大な業績を守ることは我々の責務です。そうしてこうした関与・献身を再確認するのにこのような記念式典ほど最適のときはありません。
マグナ・カルタはイギリス人が誇りに思うべきものです。
その現存する副本こそ色褪せていくかもしれませんが、どの法廷、どの教室でも、王宮、議会から教区の教会に至るまでその原理はこれまでと変わらずに光り輝いています。
自由、正義、民主主義、法の支配、これらは我々が大切に保持するものですが、それらがまさにここテムズ河畔で形作られたという事実のゆえに、我々はそれを一層大切にすべきなのです。
それゆえ、この歴史的な日に、これらの原理をまっすぐに守り通すことを誓おうではありませんか。
これからもずっと、マグナ・カルタを生かしていきましょう。
なぜなら、これらの貴族たちがはるか昔にそうしたように、我々の今日していることが、今後長い間世界を形作ってゆくであろうからです。(中村による試訳、原文)
中村良隆 明治学院大学講師(英米法)
※ 安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ