【安保法制反対 特別寄稿 Vol.232】 安保法制および国民主権をめぐる議論は明治以来の政治と経済の歴史の流れの中にある 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 東京薬科大学教授・宮川博義さん

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─ はじめに ─

 憲法9条はアメリカが占領下に押し付けたものであり、10日間でこさえた出来損ないであるとする言説があります。そういう面もあるかと私も思っていたましたが、安倍政治のおかげで9条に関心を持つようになり、勉強してみました。その結果、

  1. 憲法9条は、世界的な戦争と外交の悲劇と絶望の歴史が昇華されて生まれたものであることを知りました。
  2. また、国民主権を謳う現日本国憲法が明治以来の日本の歴史に根差すものであることを知りました。
  3. さらに、現在では国家の主権および安全保障の問題がグローバル経済の、国境を越えてしまった資本の、道具にされてしまっている可能性を感じるに至りました。

 専門家の方々には常識的なことかもしれませんが、「理解を深めよう」としている他の方々の参考になるかと思い、一市民の私がこのように感じるにいたった勉強の過程を、皆さんと共有したいと思います。

I. 憲法9条は、世界的な戦争と外交の悲劇と絶望の歴史が昇華されて生まれたものであること

 教科書的には、連合国最高司令官(SCAP)マッカーサー元帥が、幣原内閣に自主憲法の草案を作成するように求め、憲法改正担当の国務大臣松本烝治を中心とする憲法問題調査委員会が「憲法改正要綱」(松本試案)を作成、しかし1946/2/1の毎日新聞によるスクープで、その内容が明治憲法の修正にすぎないことを知ったマッカーサー元帥が急遽、2/3に民政局長ホイットニーに命じて10日間ほどで草案(マッカーサー草案)を作成させ、2/13に幣原内閣の示した松本試案を拒否し、マッカーサー草案を示したことになっている。

 このとき、マッカーサーがホイットニーに指示した3項目の1つが、戦争放棄であったために、現憲法第9条がアメリカの押しつけであるという認識になるわけです。もちろん、松本試案を却下し、マッカーサー草案を押し付けたというのは事実であって、無条件降伏した日本に対して、占領軍が新憲法を押し付けたという状況はそのとおりでしょう。しかし、憲法9条の戦争放棄および前文に謳われている国民主権・立憲主義がアメリカの押しつけであり、日本の歴史あるいは日本国民の意に反するものであるとの言説は正しくないようです。

I-1. 憲法9条は幣原喜重郎首相の提案をマッカーサーが受け入れて生まれたもの

 マッカーサーは回想録(Reminiscences)の中で、戦争放棄の文言を憲法に入れることを提案したのは幣原喜重郎首相であったと述べています。p.302-3にこうあります。

 「It has frequently been charged, even by those who should be better informed, that the “no war” clause was forced upon the government by my personal fiat.That is not true, … Long before work was completed on the new document by Dr.Matsumoto, I had an appointment with Prime Minister Shidehara,… He arrive at my office at noon on January 24th and thanked me for the penicillin, but I noticed he then seemed somewhat embarrassed and hesitant. … He then proposed that when the new constitution became final that it include the so-called no-war clause.He also wanted it to prohibit any military establishment for Japan-any military establishment whatsoever. …I could not have agreed more.」

 このマッカーサーの思い出話は疑わしいといわれていたようですが、内閣憲法調査会の資料として国会図書館に所蔵されている「資料請求番号165」『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について−平野三郎氏記』(平野文書)は、これを裏づけているそうです。その一部を抜粋します。

「(第九条は現在占領下の暫定的な規定ですか、何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか)一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。…(憲法は先生の独自のご判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています)そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、〈中略〉憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。〈中略〉幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ」

 真実は闇の中ですが、二人の話はよく合っています。

I-2. なぜ幣原首相は戦争放棄というとんでもない条項を提案したのか

 平野文書を抜粋して引用します。

「…果てしない堂々巡りである。誰にも手のつけられないどうしようもないことである。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景 — それが軍拡競争の果ての姿であろう。要するに軍縮は不可能である。絶望とはこのことであろう。…ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだのである。…何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。…非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ」

 大正デモクラシーの時代に、国際協調路線のリベラルな外交官として、日本を代表して第一線で活躍した幣原(1931のTIMEの表紙には、幣原の写真の下にJapan’s man of peace & war とあります)。しかし、軍拡路線の挙句に、軍部が独走して起こした満州事変で、政界から身を引いた幣原。その後、大戦の終結まで14年間も隠遁していたが、米軍の占領下の首相に任命された幣原。

 憲法9条は、パリ不戦条約(戦争放棄を規定した多国間条約)の文言にとてもよく似ています。 幣原は1907年のハーグ平和会議における重要人物であり、1928年のパリ不戦条約にも関わっていて、調印のために奔走したとのことですから、9条が幣原の提案であることに不思議はありません。

 (⇒まだ私は入手できていませんが、Japan in the world: Shidehara Kijuro, pacifism, and the abolition of war. Volumes I, and II. Schlichtmann, Klaus (2009)という本があるそうです。書評によれば著者は国会図書館の資料等を読み込んで調べ、9条のauthorが幣原であるとの結論に達しているようです。是非読んでみたいとおもいます。)

I-3. なぜマッカーサーは幣原の提案に賛成したのか

 なぜ軍人であるマッカーサーが戦争放棄などという理想主義的な9条に賛成したのでしょう。回顧録にこうあります。

 「For years I have believed that war should be abolished as an outmoded means of resolving disputes between nations.Probably no living man has seen as much of war and its destruction as I had. A participant or observer in six wars, a veteran of twenty campaigns, the survivor of hundreds of battlefields, I have fought with or against the soldiers of practically every country in the world, and my abhorrence reached its height with the perfection of atomic bomb.」

 戦争・政治・外交の現実の中にいたマッカーサーが、このように書いているわけです。戦争の悲劇は十分に見た、原子爆弾も見た。もう戦争はたくさんだということでしょうか。

 しかし、マッカーサーは数百万の人々が死んだ朝鮮戦争の指揮官でもあり、その際には原爆の使用を提案して更迭されています。マッカーサーは、戦後の日本には天皇制維持が必要だと考えており、他の連合国がそれを受け入れるようにするには、理想主義的な戦争放棄条項が必要であったという説明があります。そうかもしれません。上記の回想録にあるのは、後になって抱いた感慨なのかもしれません。それでもその感慨は本当でしょう。

I-4. 9条は戦争と外交の悲劇と絶望の歴史が昇華され結晶化したものといってよいのではないか

 戦争放棄条項の提案は、戦争の時代を外交官として第1線で働き、挫折して「要するに軍縮は不可能である」「果てしのない堂々巡り」と観じた幣原が、外交官としての絶望の中から発したものだったのでしょう。他の誰よりも戦争に関わってきたマッカーサーがそれに同意した。二人だけの会談の後の去り際に幣原がこう言ったとマッカーサーが書いています。

 「Tears run down his face, and he turned back to me an said, “The world will laugh and mock us as impractical visionaries, but a hundred years from now we will be called prophets.”」

 彼らは、9条が理想主義的であることを誰よりもよく知っていた。しかし、戦争こそ狂気の沙汰であることを誰よりも深く経験していた。夢想家、理想主義、現実を知らないなどと嘲笑されることを十分にわかっていた。彼らほど沢山の世界レベルの戦争の中で、軍事と外交に奔走した者はいなかったのではないか。彼らほど戦争の「現実」を知ったものはいなかったのではないか。7000万人が死んだ戦争の直後、原子爆弾が使われた戦争の直後のこの瞬間でなければ、一国の憲法に戦争放棄・交戦権否定を盛り込む機会は、もう二度とないと感じたのではないでしょうか。

 私自身、これまでは、9条をいつまでも堅持することには無理があるように感じていました。しかし今はちがいます。9条は、7000万人の人々が死んだ現実の中から生まれた奇跡であって、とてつもないモニュメントなのだと今は感じます。戦争の狂気を乗り越えるための狂気の沙汰の条項なのだと思います。

 少し皮肉に言えば、第2次世界大戦の収束から冷戦の始まりまでの間に、一瞬だけ列強の力関係のエアーポケットが生じて、そこに生まれた奇跡なのだとおもいます。「普通の国になりたい」からといって取り壊してよいような、できそこないのバラック建築ではなく、人類の希望のモニュメントであるように感じます。一旦9条を改定してしまえば、戦争放棄の理想を掲げた憲法なり条約が再び生まれるためには、WWIIよりも多くの人間が死ななければならないでしょう。

 アメリカとの同盟によって経済成長(GDP肥大)を目指そうといった近視眼的な目的のために捻じ曲げ、捨ててよいような条項ではないのです。 憲法9条は全世界の財産であって、なくしてはならない、無意味にしてはならないものだとおもいます。 今後の世界が平和への道を模索してゆくための大事な大事な「種」なのだとおもいます。

II. 国民主権を謳う現日本国憲法は明治以来の日本の歴史に根差すものであること

II-1. 憲法草案の源は明治の民権運動にある

 憲法起草当時、GHQは日本のいくつかのグループが作成していた14以上の憲法案を知っており、そのなかで民間の「憲法研究会」の作成した国民主権・立憲主義・象徴天皇の「憲法草案要綱」が当時の日本国民の感情にもポツダム宣言にも合うものと考えていたことがわかっています。これは鈴木安蔵、杉森孝次郎、森戸辰男などの法学者たちが明治の私擬憲法やフランス憲法、アメリカ合衆国憲法、ソ連憲法、ワイマール憲法、プロイセン憲法等を参考にして作成したものです。

 国会図書館に所蔵されている「ラウエル」文書には、この文書の英訳およびそれに対する所見があり、要項の内容は”democratic and acceptable”であるとかかれていることから、マッカーサーの民生局長への指示の際あるいは「マッカーサー草案」作成時に参考にしたと考えられているようです。

 明治政府は憲法を明治22年に制定しましたが、そこに至るまでの間に日本中で自由民権運動がおこりました。全国に2000社を超すだろうという民権結社が結成され、人々は西洋の民権思想を学び、政府に対して国会開設・憲法制定を要求する運動を起こしました(「自由民権」色川大吉)。1880年の第2回国会期成同盟大会での決議を受けて、民間で40以上の憲法草案が作成されたそうです(私擬憲法:植木枝盛による「東洋大日本国国憲案」など)。

 1880年、政府は国会開設を宣言しますが、その後、自由民権運動を弾圧します。政府は民間の草案を採用せず、ドイツから法学者ロエスレルを招き、プロシア憲法を基にして憲法を作成します(明治憲法は国学や神道を基にしてできたのではない。例えば3条「天皇は神聖にして侵すべからず」も君主制プロシアの憲法の翻訳のようです)。

 大正時代から満州事変勃発までの間には大正デモクラシーと称される民主主義的な運動・思想が高まった時代がありました。その後、日本は軍国化し、満州事変、日中戦争を経て、太平洋戦争に向かい、敗戦によって駐留軍の支配下に新しい憲法を作成することになりますが、民主主義・立憲主義はアメリカが戦後に唐突に植え付けたものなどではなく、すでに明治、大正の時代に日本には全国的な民主主義の歴史が存在していたわけです。民権運動を牽引した明治の自由党(信じがたいことに自由民主党の前身)は明確に主権在民、思想・言論・集会・結社の自由を主張していたのだそうです。

 「富国強兵により万国対峙する」という明治政府の方針のもと、国権が強調されて民権思想は抑え込まれ、政府は専制的になり、その後の軍部の暴走と人々の認識のゆがみによりアジア諸国の侵略、さらには太平洋戦争へと進みます。中国では1000〜2000万人以上、日本では300万人以上、世界では7000万人以上の人が死んだ後、連合軍占領下に現日本国憲法が作成されました。

 作成された憲法の内容は、アメリカに押しつけられたものというよりもむしろ、西洋及び日本のデモクラシーの歴史の本流を受け継ぐ内容であるようにおもわれます。プロシアの欽定憲法を手本とした明治憲法と、その背景にある「富国強兵による万国対峙」の考え方を信奉する者は、民権運動の中で作成された草稿を源とする現憲法は「押しつけ」と見たいのでしょうか。私は終戦をまるで宇宙のBig Banのようにおもってしまっていて、それ以前は暗闇の世界であったかのように感じてしまいがちですが、実際はそうではなく、日本には民主主義の長い歴史があるということのようです。

II-2. 憲法9条は日本国民がアメリカの圧力から守り続けてきたものといえるのではないか

 マッカーサー占領時のアメリカは、日本を武装解除・脱軍事化することを目指していたわけですが、その後の冷戦と朝鮮戦争勃発によりアメリカは急遽方針を変え、日本の再軍事化を図ります。その中で、憲法9条の拡大解釈、できれば破棄をアメリカは望んだようですが、日本政府・日本国民は、自衛隊は保持するものの、専守防衛という言い逃れで憲法を拡大解釈して9条を維持する選択をしてきました。日本の首相でも、岸信介は自主憲法制定を目指しましたが、国民は反対の選択をしました。アメリカの議会図書館の文書にも「The United States also has pressured Japan to amend article 9 of the constitution persistently」と書いてあります。
http://www.loc.gov/law/help/JapanArticle9.pdf

 例えば近年では、2007年の第2次アーミテージレポートと呼ばれる文書の、日本への5項目の提言の一つに”The ongoing debate in Japan on the Constitution is encouraging …”とあります。憲法公布当初は日本が遠からず憲法改正をすることをアメリカも想定していたし、日本政府も想定していたようですが、日本国民は平和憲法を選び取ってきたといえるのだと思います。日本の憲法をアメリカの押し付けた間に合わせの憲法だという言説は正しくなく、むしろ日本国民はアメリカの圧力に抗して70年もの長きにわたって9条を守ってきたのだと思います。戦後の憲法は、日本国民の望んだ内容ではあっても、国民が闘い獲ったものではなく、ポツダム宣言により日本に与えられたものであったといえるでしょう。しかし、60年安保、70年安保などを通じて、日本国民は9条を持つ国民主権の平和憲法を闘い獲ってきた歴史をもっているといえるのではないでしょうか。

III. It’s the economy, stupid

III-1. 米シンクタンクCSISと日本経済界との密接な関係

 集団的自衛権の行使、原発再稼働、秘密保護法案など、第2次安倍政権の政策の多くがアメリカのシンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)の提言の内容そのものであることは、いまでは多くの人が認識しています。

 CSISの活動を支えているのがアメリカのどのような機関であるのか、ということに興味をひかれてCSISのWeb siteを見てみたところ驚きました。アメリカ政府ではないのです。CSISの活動をささえているのは企業が32%、財団が29%、各国政府19%です。企業としてBank of AmericaやExxonMobilなどが入っているのは当然として、日本の多くの企業が寄付をしています。日経、経団連、東京海上日動火災、キャノン、伊藤忠、京セラ、三菱、住友…財団として笹川平和財団、日本経済研究センター。日本政府も寄附をしています。CSISのJapan Handlersの方々はアメリカに限らず、世界中の企業や財団のサポートの元に、日本のとるべき方向性についての提言を行っているということになります。

 日経新聞社は日経・CSISバーチャルシンクタンクというものを2011年にCSISと共同で設立し、日米関係の未来に関する研究を行っているそうです。経団連は2005年に「わが国の基本問題を考える〜これからの日本を展望して〜」を発表し、そのなかで「戦力の不保持を謳う第9条第2項は、明らかに現状から乖離している」「集団的自衛権に関しては、我が国の国益や国際平和の安定のために行使できる旨を、憲法上明らかにすべきである」として、憲法9条および96条の改正を提言しています。経済同友会も「憲法問題調査会意見書」を2003年に発表し、その中で憲法改正、有事法制整備、集団的自衛権行使に関する政府見解の変更、「憲法改正のための国民投票手続法」の整備などを提言しています。

 アメリカの政権が、共和党であろうが民主党であろうが、資本の走狗になってしまっているという指摘は以前からありましたが(堤未果:「(株)貧困大国アメリカ」など)、現状はさらに進んで、その状況が国境を超えてしまっているということなのではないでしょうか。安倍政権の安保法制整備・特定秘密保護法案・原発再稼働は、アメリカという国家の要望というよりは日米のグローバル資本の要望なのではないでしょうか。

III-2. 「現実を見よ」ということ

 昨今、「現実を見ましょう、軍事力が無ければ国を守れないでしょう。9条なんて夢物語」といった言説を述べる人たちがいます。2005 年の経団連の「わが国の基本問題を考える〜これからの日本を展望して〜」には、「戦力の不保持を謳う第9条第2項は、明らかに現状から乖離している...」と書かれている。話はさかさまであって、9条は現実をいやというほど知った人たちが作ったものです。戦争は多くの人を殺す。軍隊は人を守らない。軍隊は国を、利権を守ると称して多くの人を殺す。その「現実」への深い絶望と嫌悪から9条が生まれたのだと思います。

 世界各国の経済は相互に強く依存しあっていて、その状況はさらに進むように思われます。現在、経済はグローバルになり既に国家の枠を超えています。経済成長(GDP肥大)によって得られた利潤は税金に還元されずにタックスヘイブンから循環して資本の自己増殖を起こしているようです。自己増殖の目的のために日本でもアメリカでも政権は資本に支配され、国家の世界戦略が決定されているように見えます。

 アメリカを中心とするメガFTAと呼ばれる広域の経済連携への動き(TPPもその一部)と、中国を中心とするAIIB設立・FTAAP実現への動きがあり、2大経済大国の戦略がぶつかり合おうとしています。その一方でアメリカと中国は経済的な相互依存を進めようとしているように見えます。 中国の脅威を日本の安全保障の懸念事項として再軍備・日米同盟強化を主張する言説がありますが、経済的に見れば近視眼的であり、より大局的な視点を欠いているように思います。軍事自体が安全保障を目的とするものではなく、経済成長戦略(資本自己増殖)の方策と認識されているように思えます。

 経済成長神話のもとで果てしないGDP肥大・自己増殖を目指し、集団自殺の先陣争いとも知らず、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た「資本」が、成長(肥大化)のために安全保障をも利用しようとしているように思えます。虚妄の「危機」が演出され、国家体制も民族主義者もメディアも資本に利用されているように見えます。国家体制および安全保障の問題がグローバル資本の道具にされてしまっているように思えます(日米欧アラブ、さらに言えば中国・ロシアの国家資本?)。

 その一方で貧富の差の拡大(『21世紀の資本』ピケティ)、アフリカ・イスラム諸国の国家破綻、地球環境の破壊が進行しています。これからの世界を不安定にする要因は国家間の(見せかけの)争いではなく、むしろこちらでしょう。世界的な安全保障の懸案事項として現実的に重要視すべきなのはこの問題ではないでしょうか。国家間・階層間の貧富の差が拡大し、何かのきっかけで騒乱が起きればWWIIをはるかに超える人々が死ぬことになるのではないでしょうか。「現実」を良く見なくてはならないと思います。「富国強兵により万国対峙する」といった100年前の考え方では現実の世界に対処することは出来ないでしょう。たっぷりと「周辺」が存在し、そこを収奪すれば可能であった「経済成長」神話にしがみついていては「現実」に対処できず、再び「狂気の沙汰」が起きるかもしれません。

 「現実」を直視すれば、変えるべきは集団的自衛権行使についての見解でも憲法9条でもないと思います。世界が列強国家のものでもグルーバル資本のものでも「1%」の人のものでもなく「99%のわれら」のものだというように人々の認識が変わるべきだということでしょう。 ソ連邦が崩壊した際に「歴史は終わった」(民主主義と自由経済が最終的に勝利し、社会制度の発展が終結した)という意見がありました(フクヤマ)。とんでもない誤りだと思います。反対に資本主義の終わりが来ているのだという説もあります。

 まだ勉強不足で自分なりの認識が持てないのですが「成長神話」に根拠はあるのでしょうか。宇沢弘文先生の著書を読む限りでは根拠はなさそうに思えます。「西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?」(ムヒカ大統領)。民主主義と整合性のある新しい経世済民システムの歴史を拓いてゆく事が必要なのだと思います。貧しくても一人一人がI am the King of the world (Jack in “Titanic”)と叫ぶことのできる公平な世界に向かうべきなのだと思います。

 
─ 終わりに ─

 慌てて勉強していますが、知れば知るほど自分がこれまで充分に関心を払ってこなかったということに呆れます。「我々の人類に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であることだ。それは非人間性の真髄だ」。(Bernard Shaw)、「”この社会の変動期における世界最大の悲劇は、悪人たちの暴言や暴力ではなく、善意の人びとの不気味な沈黙と無関心であった”と歴史に記録されるべきだろう。」(Martin Luther King, Jr.)、「愛の反対は憎しみでなく、無関心である。」(Mother Teresa),「史上最悪の罪業といえども、それを引き起こしてしまったのは一人の特異の極悪人(ヒットラー)がいたからではなく、それを支えた無数の普通の人々がいたからだ」(Hannah Arendt)。

一市民・東京薬科大学生命科学部分子生命科学科 脳神経機能学研究室
宮川博義

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ