昭和を代表する映画スターで、映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」「太陽を盗んだ男」などで知られた菅原文太さんが、11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため、都内の病院でお亡くなりになりました。
近年は映画界を離れ、山梨県で農業を営みながら、「いのちの党」を結成。3.11以後、原発反対の姿勢を明確にした菅原文太さんは、秘密保護法、集団的自衛権など、きな臭くなる一方のこの国の行く末に、警告を発し続けてきました。
(記事構成:佐々木隼也)
昭和を代表する映画スターで、映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」「太陽を盗んだ男」などで知られた菅原文太さんが、11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため、都内の病院でお亡くなりになりました。
近年は映画界を離れ、山梨県で農業を営みながら、「いのちの党」を結成。3.11以後、原発反対の姿勢を明確にした菅原文太さんは、秘密保護法、集団的自衛権など、きな臭くなる一方のこの国の行く末に、警告を発し続けてきました。
今年の11月1日には、沖縄県知事選に出馬した翁長雄志候補の集会に出席。沖縄の仲井眞前知事や安倍政権を見据えて、「弾はまだ残っとるがよ」と「仁義なき戦い」の決めゼリフで喝を入れました。
安倍政権の軍事国家化を批判し、「戦争だけはしちゃいかん」と、全国を飛び回って講演したり、東京、福島、沖縄の知事選では候補者の応援に立ったりと、声を枯らして訴え続けてきた菅原文太氏。IWJでは、癌と闘いながら精力的に走り回り、国民一人ひとりに警鐘を鳴らし続けたその姿を、何度も目撃してきました。
以下、IWJが配信した、菅原文太さんの登場記事を掲載。平和といのちの大切さを訴える菅原文太さんのメッセージをまとめました。最後の最後まで、くじけず、戦う姿勢を見せたその生き様に、たくさんの人々が勇気づけられました。謹んで哀悼の意を表します。
「政治の役割はふたつあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」
「本土の政府と仲井真知事は、まさに戦争が起きること、戦争をすることを前提に、沖縄を考えていた。前知事は、今、最も危険な政権と手を結んだ。沖縄の人々を裏切り、公約をほごにして、辺野古を売り渡した。映画『仁義なき戦い』の最後で、『山守さん、弾はまだ残っとるがよ。一発残っとるがよ』というセリフをぶつけた。仲井真さん、弾はまだ一発残っとるがよ」
「アメリカにも、良心厚い人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国が違えど、同じ人間だ。みな、手を結び合おうよ」
「福島と沖縄、(知事選で)見事に勝利して、新しい思いがけない衝撃を日本中に与えたら、今のこのおかしくなっている日本の国が、だいぶ良くなるんじゃないのかな」
「(選挙では)ゆっくり喋った方が良い。日本人というのは割と早口なんですよね、喋るのが。だからトータルしてみると何を喋ったのか分からない。噛み締めるように、力を入れるのを強弱をつけて、ゆっくり喋ると浸透していくんですよね。これは俳優を50年やってきて会得したもの。特に選挙での語り口というのは、そういうのが現地の人々に染み通っていく。これがある意味で勝敗を分けると言ってもいいと思います」
「原子力ムラと並び、農薬ムラと呼ばれる世界的に巨大なグループがある。一般市民からは見えにくいが、(ネオニコチノイド系農薬の問題は)人々の暮らしに密接に関わっている今日的で重い課題だ」
「当年80歳になった。生まれる前に満洲事変、後に支那事変があった。少年時代はずっと戦争だった。立派な皇国少年の年月を過ごした。父は四人兄弟で、一番上の父の兄は一銭五厘で戦争で南洋に行き、帰ってきたときにはマラリア。死ぬまでマラリアだった。父は北海道から樺太、キスカへ。その後中支へ。23年に帰還した。三男の叔父は五輪代表にまで選ばれたが、戦争でルソン島に行ったきり帰らなかった。父は6年戦争に行っていたが、その後、脳いっ血などになり一生棒に振った。戦争だけは絶対だめだ」
「今の日本の状態を何とかしないと駄目だという、細川さんの命がけの気持ちは間違いない。死に物狂いで知事選を闘い抜いて知事になり、日本の転換のため、スタートをきってくれると信じている。東北を昔の東北に戻すのは、神懸りのような困難を伴うが、細川さんとともに闘っていきたい」
「選挙の行方は日本中、世界中が注視している。安全と誇りを守る知事が、中央政府の脅しに屈服し、捨て去った以上、誰が未来にわたり沖縄の誇りと安全を守れるというのか」(メッセージのみ)
「戦後初めてでしょう。戦争中の時代を私はちらっとかすっていますので、その頃はもう戦争という異常な時代だから、いろんな考えられないようなことがたくさんあった。しかし、ずいぶんと戦後、時代が変遷してきていたところへ、どうもこれ(秘密保護法)。とどめになるのかと思うくらい悪法だ」
「評論家の鈴木邦男氏が、『日本は今まで、本当に正しい道を歩いてきたか』と疑問を呈した一文を、毎日新聞に寄せていたが、同感である。東日本大震災では、2万数千人が亡くなっている。あの時、福島の村長、町長たちが一致団結して戦えば、もう少し被害も減ったのではないか。しかし、逆にそれはなく、(国に対して率直に意見を言ってきた)井戸川氏は、むしろ批判すらされている。福島の実情は、いまだに判然としない。井戸川氏が当選したあかつきには、福島の現状を明らかにしてくれると期待する」
「最近は凍ることがなくなった河口湖も、数十年前までは荷馬車が渡れるほど氷が張っていたという。私の地元の宮城でも、冬は湖で子どもがスケートをしているのが普通の光景だった。そういう悠久のいのちもあった。孫やひ孫の時代になったら、そういう光景はどうなっているのだろうか」
「自分はいま、農業をやっているが、日本は、アメリカの7倍の農薬、40倍の抗生物質を使ってきている。抗生物質は40倍も使ってきた。ビニールハウスにも固定資産税がつく。こんなときに増税なんてバカなこというな」
菅原文太さんは、高校の新聞部の1年後輩・井上ひさし氏のベストセラー「吉里吉里人」の映画化権を持ち、シナリオまで出来ていたが、映画化は実現できなかった。
この小説は、日本政府に反旗を翻した東北のある寒村が日本国から独立を目論むという物語。
当時から福島原発事故に至るまで、高度成長の犠牲になってきた東北への思いが続いていたのだろう。
『仁義なき戦い』シリーズは、「戦後民主主義」の美名のもと、時代が経済優先の高度成長へ向かう中で、私利私欲・損得勘定に走る日本社会を、戦中派の眼を通して見た映画だ(特に第一作)。戦争体験者の笠原和夫、深作欣二、菅原文太の協同作業とも言える(笠原は実際に軍隊に行き、広島原爆投下のさいには広島県にいた。『仁義なき戦い』が広島原爆のキノコ雲の映像から始まるのはそのためだろう。)
政治にコメントするのがタブーになっている日本の芸能界で、菅原さんのような重鎮が平和をストレートに訴えてくれたのは大きな力だったと思います。11月の沖縄知事選で翁長さんの応援演説をした動画がありますが、独特の語り口と言葉の強さに涙がこぼれそうでした。
惜しい方が亡くなりました。残念です。