シリーズ: 百人百話
百人百話「第二十三話」佐藤幸子さん 2011.10.13
特集 百人百話
「戦場の中に子どもは置いてはいけない」
伊達郡川俣町在住。53歳。夫と営む有機栽培農家「やまなみ農場」の傍ら、福祉事業、ヘルパー派遣業も営む。「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」世話人。子ども4人。チェルノブイリ事故から、原発について学ぶようになった。今回の震災で、福島は戦場になったと思う。子どもを守れないのに「安全な原発」を言うのは卑怯だ。先祖代々の土地に愛着はあるが、いまは子どもを助けること、次の世代に命を繋ぐことを優先したい。
百人百話「第二十二話」渡部信一郎さん 2011.10.16
特集 百人百話
「お山というのは自分の命と同じなんだ」
三春町在住。56歳。郡山市で創業80年の家具商店「La Vida」を営む。妻と娘3人との4人家族。自身は店舗に留まるが、娘やスタッフ、お客さんも含めた疎開計画を考えている。原発は、何千年と続いてきた木の文化を根絶やしにする。東電への怒りもあるが、いまを生きる大人たちが、自然への感謝を忘れてはいないか。山は活力の源だ。その感受性を取り戻せるのが福島であり、そこに日本再生の可能性もあると思う。
百人百話「第二十一話」手塚雅孔さん 2011.9.1
特集 百人百話
「故郷を廃墟にしたくない」
郡山市在住。43歳。病院勤務(ソーシャルワーカー)。看護師の妻と子ども2人の4人家族。医療関係者でも、放射能のリスクについては意見が分かれる。子どもたちを避難させたいが、妻を説得することができない。親として、子どもが大切という思いは同じなのに、ついつい対立してしまう。都会とは異なる地縁血縁の強さを前に、愛する身近な人たちを傷つけまいと発言を躊躇う。けれどそれは、優しさではなく、自分の弱さではないのか。そう思い始めている。
百人百話「第二十話」千葉由美さん 2011.9.27
特集 百人百話
「孤立している人をつなげたい」
いわき市在住。42歳。会社員の夫と子ども3人の5人家族。震災後「放射能から子どもを守る福島ネット-ワーク」の測定班として活動している。口を閉ざす周囲の親たちは、健康被害をどう感じているのか。不安を抱えつつ、孤立を恐れて横並びの行動をとりがちな母親には、子どもを守りたいのなら声を上げるのは当然のことと伝えたい。今回の事故は、従来の社会システムをかえるきっかけになる。希望をもち、諦めずに動こうと思っている。
百人百話「第十九話」植木宏さん 2011.9.1
特集 百人百話
「僕たちは無力じゃない、微力なだけだ」
郡山市在住。40歳。「はっぴーあいらんどネットワーク」世話人。妻と子ども2人の4人家族。子どもたちの健康被害を思い、妻を説得して松本市への母子移住を納得させた。松本では安全な水、食料、空気、自然のありがたさを実感し、のびのび過ごす子どもたちの姿にホッとしている。救援活動のなかで、命優先、子どもたちを守ろうと、ネットワークを立ち上げた。子どもたちは大人の背中を見ている。1人1人が動くことの大切さを伝えたい。
百人百話「第十八話」佐々木慶子さん 2011.10.14
特集 百人百話
「シニアが頑張るしかないんじゃないかな」
福島市在住。60歳。元教師。子どもは独立し、現在は夫と2人暮らし。「ふくしまWAWAWAの会」代表。「沈黙のアピール」呼びかけ人代表。3つのWAは「環・話・和」の意味。対話による平和的手段での問題解決をめざす。理想は共存を超えた共栄。若い人たちは避難してほしい。自分たち世代には、こういう環境にした責任がある。このまま生涯現役で、会いたい人がいて、お気に入りの場所があるこの福島で、自分なりの役割を果たしていきたい。
百人百話「第十六話」齋藤英子さん 2011.9.28
特集 百人百話
「ママは帰っていわきを守って」
いわき市在住。出身は兵庫県姫路市。51歳。幼稚園園長。夫と高校・中学2人の子どもの4人家族。姫路の実家に一時避難後、職場再開に伴い夫と自宅に戻った。保育環境の安全に努めることが、結果的に避難の妨げになってはいないか。5年10年後を思いジレンマを感じている。母として、そばに居てやれない申し訳なさを思いつつ、いまは子どもたちの励ましを力に、彼らを育んでくれた福島で自分なりの社会的責任を果たそうと思っている。
百人百話「第四十九話」布施大輔さん 2011.11.27
特集 百人百話
「もう、本当にここはまずいんだ」
郡山市出身 37歳。内装の仕事と運転代行の仕事。家族は妻と 1歳の娘。放射能は危ないと思ったが、テレビは「安全です」と言うばかり。まさか郡山まで放射性物質が降ってくるとは、思いもしなかった。以前からの不整脈も、事故後、症状が悪化し、映画「チェルノブイリ・ハート」に衝撃を受けたこともあり、妻子は新潟へ避難させた。いまは、妻子に会える週末を楽しみに、平日は郡山で、仕事と避難支援のボランティア活動に励んでいる。
百人百話「第三十三話」大山弘一さん 2011.11.26
特集 百人百話
「逃げる油がないっていうのが一番の恐怖」
南相馬在住。49歳。妻と小学生の子ども2人。高校で陶芸を教えていたが、2010年市南相馬市議会議員に。事故直後は、ライフラインの状況、津波の心配で頭のなかはいっぱい、原発については、ネットで情報を得るまで安全神話のなかにいた。大切なのは、命、家庭、経済の順だと思うが、現実には経済が優先されている。安心して食べることができ、子どもたちを育てられる環境が確保できない国に、将来はない。美術も宗教も無力、すべては形骸化していたと思う。
百人百話「第十四話」比佐千春さん 2011.8.23
特集 百人百話
「マスコミと同じく、私自身もなぜか自主規制してしまう」
東京在住。いわき市出身。47歳。マスメディアとネット情報の違いに気付き、姪や甥の避難に奔走した。震災を機に、故郷福島は自分を形づくる一部、大切な場所だと気付いた。実家に戻ろうかと迷うなかで、もしかしたら福島の内と外、橋渡し役ができるのは自分のような人間なのかもしれない。ならば、いまも被曝し続けている多くの子どもたちの力になれるよう、県外にいるからこその支援を考えていきたい。そう思い始めている。
百人百話「第十三話」タネイチヤスユキさん 2011.9.1
特集 百人百話
【お詫びと訂正】
以下、『百人百話 第1集』より引用
ニュースにもなっていますから、みんなわかっていると思うんで出しますけど、双葉町長が埼玉に避難していて、埼玉から国会に「7号機、8号機を作ってください」と陳情に行っていたという話。あと福島県知事の佐藤雄平さんが、さすがに追い込まれて「もう原発は動かせない状況になりました。1号機、2号機、3号機、4号機は廃炉にします。5号機、6号機は考えます」という結論を出したんですけれども、その時にも、その町長は「寝耳に水だ」というふうな発言されているわけですね。5号機、6号機がある大熊町長も、何かびっくりするような発言を確かしてたはずなんですよ。
百人百話「第十二話」サチコさん 2011.8.24
特集 百人百話
「メルトダウンて、今さら言われても」
いわき市在住。主婦。会社員の夫と子ども2人の4人家族。いったんは猪苗代に避難したが、小学校入学を機に自宅に戻った。線量は気をつければ生活できるレベルと判断し、家族がバラバラになるよりはとそのまま一家で自宅に暮らす。情報を後出しにする国と東電、真実を伝えないマスメディアに怒りを覚える。同時に、氾濫する情報をどのように精査すれば良いのかとも悩む。専門家には、科学的データが意味するところまで解説してほしい。
百人百話「第十一話」志田守さん 2011.9.1
「なんでもないことを奪われている」
郡山市在住。60歳。学習塾経営。妻と子ども2人の3人家族。福島の子どもたちを疎開させようと、「ハーメルン・プロジェクト」を立ち上げる。妻子の避難先である岡山県と郡山を往復しながら、事故により家族が分断されたことに怒りを覚える。原子炉を作っている会社の製品は買わない、原発を推進する政治家には1票を投じない。ささやかだが、意識して判断することが必要だと、機会あるごとに人に話す。いま、ひとりひとりの考え方、生き方が問われていると思う。
百人百話「第十話」遠藤浩二(DJ mambow)さん 2011.9.1
特集 百人百話
「気がついたら20km圏内にいた」
郡山市在住。35歳。DJ、東北関東大震災支援隊本部“BOND&JUSTICE”のメンバー。妻と子ども3人の5人家族。事故直後、いわきを中心に炊き出しや物資の配達に音楽仲間と走り回る。5月末、子どもが通う郡山の小学校に掛け合い、線量測定を実施したところ、「はかるくん」と持参した最新鋭のガイガーカウンターとの数値の違いに驚く。避難は自分で判断するしかない。子どもの将来を思い、後悔だけはしたくないと妻子を新潟に避難させた。
百人百話「第九話」有馬克子さん 2011.9.16
特集 百人百話
「なんでこんなに無防備なの?」
須賀川市在住。52歳。夫、夫の両親、母親、子ども5人の10人家族。穀物菜食レストラン経営。原発の危険性を考えると、末娘だけでも県外に避難させたい。けれど危機意識の差により、舅姑から心配し過ぎと言われ果たせずにいる。地元農家でも、責任をもって出荷できないと歎く有機農家の一方で、出荷の可否に一喜一憂する農家もある。そうした現実を前に、何より自分たちの土地が汚染されてしまったことに、悲しみと怒りを感じる。
百人百話「第五十三話」鈴木則雄さん 2011.11.16
特集 百人百話
「震災時に役立つ情報を提供する」
郡山でコミュニティFM放送を経営。53歳。妻と子どもの 3人家族。事故でネットはダウンしたが、放送を続けた。災害時に必要な生活情報は足で稼ぐしかないと、あちこちに出かけるうちに、パーソナリティが各所の情報とともに局に集まってきた。原発への考え方が変わったのは妻の妊娠を知ったとき。10年後の子どもの健康を願い、妻子を避難させることにした。復興の前に、安全、健康があるべき。すべての人が幸せになる道を考えたい。
百人百話「第八話」島村守彦さん 2011.9.28
特集 百人百話
「とにかく南に逃げろ! 100km以上逃げろ!」
いわき市在住。出身は兵庫県。53歳。自営業(自然エネルギー)。母親と2人暮らし。阪神淡路大震災に遭遇したのを機に、悔いのない生き方をしようと思うようになった。たまたま転勤先となった福島が気に入り、8年前にいわきで独立開業した。仕事がら東電社員には知り合いも多く、事故直後にはすぐに逃げろと連絡も受けた。故郷に戻ることも考えたが、自分を信頼し受け入れてくれたこの地で、自分のできることをしようと留まることにした。
百人百話「第五話」アンナさん 2011.8.25
特集 百人百話
「自分が夢を捨てられないんです」
福島市在住。29歳。小学生と園児、4人の子どもをもつシングルマザー。現在職業訓練中。子どもたちの将来を考えると、すぐにでも避難したほうが良いと思う。けれど知らない土地で、ひとり育てていけるのかと考えると、不安が先に立つ。避難することで県の援助が打ち切られ、学校に通えなくなれば、就職のチャンスも失う。自分の夢を捨てたくないという思いと、親としての責任が果たせていないのではという思いに、自分を責めてしまう。
百人百話「第四十話」タナカさん(仮名) 2011.10.24
特集 百人百話
「とても人がいちゃいけない事故が起きてる」
浪江町出身 27歳。事故後、仙台市に避難。原発関連の仕事に携わる父や叔父たちから、原発は安全、大丈夫だと聞かされて育った。地縁血縁など、原発とのしがらみもあり、人間関係も複雑なので、内心脱原発であっても、外からは分からない。長年原発に依存してきた町は、今後どうなるのか。何十年も住めないと言われても、何かしら声を上げないと、と思う。町民としてのプライドを失わず、町民だからこそできることを考えていきたい。
百人百話「第三十四話」ヨシダさん(仮名) 2011.10.23
特集 百人百話
「原発の話をすると帰るお客さんが多い」
原発関連で働く父と専業主婦の母、姉と妹の5人家族。浪江町の自宅は現在立ち入り禁止。周囲は原発推進派に入れば安泰というような環境で、安全神話をすり込まれたが、情報漏洩もあり、ずっと不信感を抱いていた。原発マネーで育ったことが後ろめたくもあった。けれどその原発のために、故郷や多くのモノを失った。事故は現実だが、何となく夢のなかの出来事のような気がする。今後は世の中の動向を見つつ、自分の心のなかも、ゆっくりと整理していきたい。