東京藝術大学では、学生・院生、教職員に加え、卒業生アーティストや研究者などが協力して安保法制に反対する「自由と平和のための東京藝術大学有志の会」が9月9日から正式に会のWEBサイトを立ち上げ、国会前抗議行動や学者の会の共同記者会見等に臨んできました。国会で暴力的な強行採決がはかられたあとは、安保法の即時廃止を求める改定アピールを発表し、現在WEBサイトにて賛同署名を集めるなどしています。戦争は芸術・表現の自由とは決して相容れないとの立場から、今後市民とも連携し、さまざまな活動を行っていきたいと思っています。
東京藝術大学有志からのアピール
私たちは東京藝術大学で学び、教育・研究に携わり、表現する者として、また一人の国民として、いまこの国で進行している深刻な出来事を、しっかりと見据え、学び、思考することをやめず、行動していくことをここに宣言し、安全保障関連法の即時廃止を求めて声をあげます。
2015年9月19日、安全保障関連法は参院本会議で強行採決されました。本会議に先立つ参院特別委員会では、地方公聴会の報告や野党の反対討論など、議会の取り決めで必要とされてきたはずの手続きをことごとく飛ばし、議事録に「聴取不能」としか記録が残らない怒号と混乱のなかで、いつ採決が行われ可決成立したのかすら、誰にもわかりませんでした。多くの憲法学者らから憲法違反の疑いが指摘され、国会前や全国各地で連日数万人規模のデモが続くなど、国民各層からの反対や疑問の声が強かった法案が、このような乱暴なやり方で可決とされた経緯を、私たちは深く記憶にとどめないわけにいきません。
衆参の審議の中では、この法律により、自衛隊が地理的制約なく世界中どこにでも米軍と行動をともに出来ること、自衛隊は日本を攻撃する意志を表明していない第三国に対しても先制攻撃を加える可能性が排除されないこと、米軍に対する兵站活動で自衛隊が輸送する弾薬としては、化学兵器、クラスター爆弾、さらには核ミサイルまで、時の政権の判断次第では運搬可能な法律となっていることなどが、次々と明らかにされました。
「国民に丁寧に説明する」と言いながら、戦後最長の会期延長をした夏の国会の間じゅうを使い、その言葉の意味を深く傷つける不誠実な答弁を一国の首相が繰り返すさまは、国民にはまるで悪夢か、悪い冗談でも見せられているかのような光景でした。戦争を平和と言い換え、乱暴を丁寧と言いつくろう空虚な言葉は、平和憲法と子どもたちの未来を真面目に心配するこの国の多くの人々の気持ちを傷つけ、私たちの心に息づいた美しい日本語にすら、いまや疑いと絶望の目が向けられるようになっています。
教育基本法改定、特定秘密保護法制定、武器輸出の解禁、大学や政府研究機関での軍需研究の推進、集団的自衛権行使容認の閣議決定、侵略の歴史に目を閉ざした首相の戦後70年談話、そして今回の安保法制など、安倍政権が進めてきた施策のどの一つをとってみても、私たちはそこに戦後政治の一大転換となる軍事への偏重、戦争の可能性を感じずにはいられません。
戦争は無数の人の命を無残に奪う、最大の人権侵害であるとともに、私たちの表現の自由、言論と思想の自由を奪います。
歴史的に見ても、国が戦争を始めるときは、国民のあらゆる生活が戦争一色に塗り込められ、言論・表現の自由は極度に制限されました。芸術は国民を戦争に駆り立てるプロパガンダの道具として利用され、戦争の推進役を積極的に果たす芸術家たちも少なくなかった反面、それに異を唱えようとする芸術家は非国民として徹底的に弾圧され、意に染まない作品を作ることを強いられたり、創作を禁じられたり、獄中で拷問を受け殺されたりしたのです。
東京藝術大学の前身、東京美術学校や東京音楽学校の学生たちも、戦争のため卒業を早めて勉学や創作の機会を奪われ、大ぜいの若者が戦場で無念の死をとげました。
戦後、これらの深い反省の上に立って作られた日本国憲法は、その第九条に「戦争放棄」を定めて政府の行為をしばり、自由と人権の下支えとして、私たちの芸術と学問の自由、国民ひとりひとりが人間らしく生きる権利を支えています。もう戦争を許す社会にだけは、どんなことがあっても二度としてはならないという、戦火を生き延びた人々の強い思いが、この日本国憲法に反映されているのです。
安全保障関連法は、そうした憲法の平和主義と、世界の民主主義諸国が歴史的に共有してきた立憲主義の理念に立つ、この国のありかたを根本から否定し、法秩序さえ無視して、戦争と独裁への道を開くものです。
私たちはこの法律の即時廃止を求めます。
2015年9月19日改定 自由と平和のための東京藝術大学有志の会