みんなで語る「改憲への危機感」寄稿文 Vol.48 障がい者として伝えたいこと でぐちこうじさん

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 私は身体障がい者です。幼い時にポリオを患い、幸い公務員として勤めることはできましたが、永年の身体酷使に耐えられなくなり、定年を待たずに退職しました。

 相模原市で起こった知的障がい者施設での事件は、ただでさえ生き辛い弱者に対する日本を象徴するような出来事でした。参議院選挙後、改憲勢力勝利のショックも冷めやらぬなか、追い打ちを掛けるように衝撃を受けました。

 植松容疑者の詳細が明らかになる中で、個人単独での凶悪犯罪にとどまらず、容疑者を取り巻く、現代日本が内包する危うさが浮き彫りになったと思います。

 小泉政権以来、新自由主義に象徴される強者の論理で不況下の日本は、生産性第一主義を掲げ、いつの間にか効率だけを追い求める社会になっていました。人は、安らぎより快楽を求め、平和や安全よりお金を求める経済至上主義が蔓延る社会に。そしてヘイトクライムを助長し、弱者を差別して憚らない人、人、人。近い将来、植松容疑者に賛同し行動する者が出てきてもおかしくない、先日の東京知事選挙での桜井誠氏の11万票獲得がそれを物語っています。

 麻生財務大臣は「90歳、いつまで生きるつもりなのか」「ナチスの手口に学んだらどうか」などと公然と考えを述べますが、世論の批判は大きくなることはありません。社会は、政府や御用学者等の言うことにはいつも寛大です。植松容疑者も、この狂気にも似た発言に呼応した一人ではなかったのか。そう思えてなりません。

 ヒトラーがホロコーストを実行する前段として行ったT4作戦(ティーアガルテン通り4番地、安楽死管理局の所在地)は、優生学思想のもと、知的障がい者や精神疾患者を「生きる命に値しない」として、また身体障がい者を労働力や兵役にならない国益に反する者として20万人以上を殺害したと言われています。

 私は、現在の日本で、このようなことは起こらないと思っていましたが、現実には内閣の一閣僚の意向を先取りしたような行為が起こり、植松容疑者の考え方に同調する動き、共感を覚える価値観が広がって行くことに大変危機感を抱いています。この思想には終わりはなく、障がい者の次は、高齢者、その次は、病弱な人、子供、子供を産めない女性へと連鎖し、行き着くところは一握りの権力者への帰結です。

 最後に付け加えることがあります。相模原市の事件で被害に遭われた方々の個人名が公表されていないという事実です。何某かの事件や事故で成人者の氏名は基本的に公開されます。一部にはご家族の意向があったのかもしれませんが、しかし、日本の社会には、既に障がい者に対する個人的人権の尊重などはなく、自民党の改憲草案にある「個人ではなく人として尊重されるもの」として、国民の中に広く定着している。これが悲しい現実かもしれません。

 自分は強者側だと思っている人、社会に無関心な人、それ以外の人も、結局は障がい者の置かれた道を辿るのではないか。障がい者は、現代のカナリアでしょうか?もしそうだとしたら、力のある限り、力尽きるまで大きな声で鳴き続けたいと思います。

 今、書きながら止めどなく流れる涙は、同情を乞うものではありません。ひとりでも多くの人に、自身の生き方をもう一度見つめ直してほしいと切に願うからです。

(でぐちこうじさん)