【安保法案反対 特別寄稿 Vol.298】 誇るべき日本の立憲主義ブランド 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 大阪大学教授・林智良さん

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 私は大学でローマ法史を勉強しております。今回の事態を受けまして、専門研究者の立場、大学教師の立場、市民の立場それぞれからどう意見表明をしたらよいのかに悩んでおります。ここでは法学部教師と専門の法制史研究者という二つの立場から、反対理由を申し述べます。

 憲法解釈学者の大多数が表明する見解も、多年にわたる内閣法制局の見解も、集団的自衛権の行使が憲法上認められないと解してきました。現在参議院で審議中の安全保障関連法案は、集団的自衛権の行使を容認するものであり、憲法を明文で改正すること無しには憲法に適合する法律として成り立ち得ないと考えております。たかだか一代の政権に属する国家安全保障会議・閣議決定によって、憲法の解釈を変更したと主張し、それに基づく法案を国会に提出して成立させることは、我が国における立憲主義と法治主義全体の根幹を揺るがせることだと考えます。

 安全保障分野での政策問題もさることながら、私は、この立憲主義と法治主義の動揺という問題を憂慮します。これは、1870年代に本格的に西欧法に接し、それ以来明治憲法期も含めて、営々と法を摂取して動かしてきた先人の努力を大幅に交代させるものです。立憲主義とは、明文不文の憲法によって国のあり方を定め、その時々の為政者も、その枠の中で権力を行使するよう枠をはめるものであり、あわせて政府の勝手な権力行使・干渉から、国民の自由を守るものです。

 私は、法学部の教員として大学を訪れる研究者や留学生と日々接しています。外国に出かけて現地の研究者や弁護士ら実務家と交流することもあります。それらの経験を通じて、特に日本国憲法下の憲法運用、すなわち立憲主義の現実化と憲法学が国際的評価を受けていることを痛切に感じます。中央アジアや東アジアの留学生が来日し、日本の大学で憲法研究により学位を取るのです。いわば、日本の立憲主義はブランドとして評価されてきたのです。

 時に、立憲主義は西洋的価値観の押しつけとして排撃の対象になることがあります。はたしてそれは健全な自文化尊重・自尊感情の表れなのでしょうか。私は、トルコやチリ、アゼルバイジャンや中華人民共和国など、様々な国の同僚と対話してきましたが、立憲主義への肯定は、これら非西欧の国々で働き学ぶ法曹・法学徒も共有するものでした(脱線になりますが、ピノチェトの独裁と反対者虐殺を経験したチリにおいて、伸びやかに学費値上げ反対デモをする大学生を目撃したときの感動は言葉に言い尽くせません。表現の自由、政治活動の自由は尊いものです)。

 今、このように誇るべき日本の立憲主義というブランド、そして普遍的価値として守るに値する理念が安倍政権の手で売り飛ばされようとしているのです。みずからそれを捨て去り、降りていくべき極北には(失礼ながら)アフリカのいわゆる「失敗国家」というお仲間たちが諸手を挙げて待っているでしょう。

 法制史研究者として語る余裕がなくなりました。民主政という理念が古代ギリシャに由来し、共和政という理念が古代ローマに由来することはよく知られています。これらの社会では、生身の人間を奴隷という商品・財産として合法的に取引・所有しており、そこでこれらの考えが生じたことはグロテスクに見えるかも知れません。でも、統治の責任者は暴走するかもしれない、その場合に被害を最小限に抑えるにはどうすればよいのかという工夫が古代ギリシャ・ローマにおいて既に試みられていたのです。そして時代も社会的前提も大きく異なるにもかかわらず、近代市民革命期以降の思想家・政治家が立憲主義を考え実践するにあたってしばしばこれら古典古代の理念を参照していたことは触れるに値すると考えます。立憲主義的な考え方の底には、その前史も含めて長い長い奮闘と犠牲の歴史が横たわっているのです。

 以上の理由から、私は安全保障関連法案の廃案と安倍政権の退陣を求めます。

林智良(大阪大学)

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ