【安保法案反対 特別寄稿 Vol.291】 戦争と平和と経済 ―2015年の「日本」を考える― 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 東京大学教授・小野塚知二さん

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はじめに

 2010年代に入って日本は大きな曲がり角を迎えていますが、それは大多数の国民にとって、またアジアの人々にとっても、とうてい望ましいこととは考えられません。一方では、武器輸出三原則の改定(2011年、2014年)、特定秘密保護法(2013年)、そして「安全保障」法案(2015)と、戦争と軍事化への道を着実に歩み、他方では、鳴り物入りで喧伝された「アベノミクス」(2012年)の破綻は明瞭で、日本は経済的にはバブル破綻以後の「失われた20年」が相変わらず継続しています。では、これら二つのこと、つまり戦争と軍事化への道と経済の不調の間には、どのような関係があるのでしょうか。

 日本はいまどこに向かおうとしているのか、また、どこに向かうべきなのかを考えてみましょう。

Ⅰ 「集団的自衛権」はなぜ権利なのか、誰のいかなる権利なのか

1.集団的自衛権という問題設定
 「集団的自衛権」の行使が憲法上認められるか否かという問題設定は、もちろんありえます。むろん、周知の通り、それが合憲であるという議論はいかにも無理筋です。安保法案を強引に成立させるなら、法案の内容が違憲である(憲法を壊してしまう)だけでなく、国民の大多数が反対し懸念を表明していることについて、議会での多数を濫用してそうしたことがらを強行するなら、立憲主義を破壊することにもつながり、こうした二重の意味で、現在、安倍政権が必死で推進しようとしている安保法案は「壊憲」といわざるをえません。

 憲法には「自衛権」という概念は明示的には存在しません。では、今回の「集団的自衛権」というのはどこから出てきた概念なのでしょうか。

2.国連憲章と「集団的自衛権」
 「集団的自衛権」という概念は国連憲章に起源があります。しかし、国連憲章の中ではいささか居心地の悪い概念なのです。憲章前文には以下のように書かれています。

 われら連合国の人民は、[中略]一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いない[ことを原則として、]すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いる。

 つまり安全保障は国連によって集団的に確保し、安全保障のための武力行使の主体は国連であるというのが、国連憲章の本来の考え方だったのです。こうした国連憲章の基本原則は、国際連盟の時代(1919-1945年)に、集団安全保障・平和維持義務・戦争禁止規定にもかかわらず、国際連盟には規制力・強制力が弱く、結局、個別的・集団的自衛権の跳梁跋扈を許してしまい、第二次世界大戦にいたったという苦い反省を踏まえた上での熟慮にもとづいて立てられたものです。

 この国連憲章の草案は、1944年8月から10月にかけて米国ワシントン郊外のダンバートン・オークスに米・ソ・英・中の代表が集って作成されたものです。第二次世界大戦という未曾有の危機のさなかにこれら四国の代表たちの間では、国連による集団安全保障が原則と考えられていたということは、あらためて記憶されてよいことでしょう。そこには、個別的であれ集団的であれ、各国人民の「自衛権」という概念は現れていなかったのです。

 ところが、1945年4月末から6月末にかけて連合国約五十ヶ国の代表がサンフランシスコに、国連設立と戦後処理の方針を討議するために集まった際に、国連中心の集団安全保障の原則に、修正意見が表明されました。

 このサンフランシスコ会議が始まってまもなく、5月8日にはドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦争状態は5月上旬には終了しますので、この会議に集った連合国代表が共有していた最後の脅威が、日本の軍国主義であったということもあらためて記憶されてよいことです。ダンバートン・オークスで策定された憲章草案への異論はまず、オーストラリアとニュージーランドという、日本軍国主義の脅威に実際に曝されていた国から出されたのでした。日本の軍国主義が現に暴威を示している状況で、各国人民の自衛権が承認されないのならば、国連が設立されるまでの間、また設立後も、国連による集団安全保障が実際に機能するまでの間、誰が自分たちを守ってくれるのかと問い、各国人民の自衛権を原則として承認すべきことを要求したのです。この両国の修正提案はサンフランシスコ会議参加国の過半数の支持は得ましたが、三分の二に満たなかったため否決されます。

 しかし、周辺の強国の軍事的脅威からいかにして自己を守ればよいのかという問題提起は、小国にとっては死活問題でもあったため、中米諸国から、国連の集団安全保障(国連による武力行使)を原則とはするが、それが実際に発動されるまでの間は、個別的又は集団的自衛を各国人民の固有の権利として承認すべきではないかとの妥協的修正案が出され、これは採択されて、国連憲章第51条[自衛権]に盛り込まれることになります。以下の通りです。

 国連憲章第51条[自衛権]「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 しかし、これは読んですぐにわかるように、各国民の個別的/集団的自衛権よりも国連の平和維持の機能の方を優越・優先させる規定です。個別的であれ集団的であれ自衛権は、国連憲章の中では、例外的、一時的、補足的な位置付けを与えられているにすぎません。

3.憲法と国連憲章の関係
 日本国憲法は、こうした国連憲章が確定し、国際連合が実際に設立されたあと(1946年11月)に、それらを前提にして作られたものです。それゆえに憲法第9条は以下のように明瞭に、戦争も、武力行使も、戦力も、そして交戦権も否定したのです。

 日本国憲法第9条[戦争の放棄]「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。/第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 つまり、それは国連憲章を前提にして、かつての軍国主義的であった自己への反省を日本が表明したということにほかならないのです。国連憲章の精神にしたがい、戦争・武力・戦力・交戦権を放棄したと明瞭に宣言していますから、素直に読むなら、個別的自衛権も否定しているということにならざるをえないでしょう。しかし、その後、日本の再軍備の過程で、憲法は個別的自衛権までは否定していないという解釈が生み出されますが、集団的自衛権の行使は認められないという点については、歴代の内閣、法制局、そして最高裁の一致した見解として維持されてきました。「集団的自衛権は、国連憲章にも明記された各国の固有の権利なのだから、日本国も当然有している」という説がありますが、これは、日本国憲法と国連憲章との関係を理解しない ―あるいは意図的に無視した― 妄論というほかありません。

 もう一つ、ここで再確認しなければならないのは、日米安保条約と砂川判決の意味です。日米安保条約で、アメリカは日本を防衛する義務を負い、その代わりに、日本から基地その他の便宜を提供される権利を獲得しました。日本はそれに対して、アメリカに基地と便宜を提供する義務を負い、アメリカに防衛を要求する権利を得たのです。つまり、ここでは日米の権利義務関係は非対称で、日本側にはアメリカを防衛する義務は規定されていません。砂川判決も、こうした日米安保条約の枠組みの上になされたものであって、それは決して、日本の集団的自衛権の根拠にはなりえません。また、日米安保条約においても、国連憲章との整合性が明示されているということは、あらためて記憶されるべきでしょう。

 明文の憲法改正(第9条の改正)はとても無理そうだから、安保法案で第9条に風穴を開けようというのが安倍政権の姑息な目論見ですが、その論拠に引き出された砂川判決が日本の「集団的自衛権」の行使を容認しているなどという解釈はとうてい成り立つものではないことは明らかです。

 しかも、当の同盟国アメリカにおいては、現在にいたるまで、日米安保条約とは日本が独自に軍事大国になることを未然に防止する「瓶の蓋」のようなものだという認識が支配的です。つまり、アメリカはいまでも、サンフランシスコ会議の時の雰囲気を忘れていないのです。したがって、安保法案の成立を安倍首相はアメリカで約束してきましたが、アメリカ側から見るなら、日本の安全保障関連諸法によって、日本の「集団的自衛権」が成立したとしても、それはあくまでもアメリカの完全なコントロールの下に収まるべきものであって、日本が対等の同盟国としてアメリカと軍事同盟を結ぶということは、先方は些かも考えいないのです。

4.「集団的自衛権」という権利
 以上見てきたように、「集団的自衛権」という概念は、確かに国連憲章の中に存在しますが、それは国連憲章の中では、鬼っ子のような、例外的権利ですし、それを前提にしてできた日本国憲法も、また日米安保条約も、日本が「集団的自衛権」を行使することを承認していないのは明瞭です。

 しかも、国連憲章の基本理念からいっても、憲法論からいっても、「集団的自衛権」とは人民(people)ないしは国民(nation)の権利であって、国家[機関](元首、政府、軍隊)の権利では断じてありません。国民の大多数が反対し、懸念を表明しているのに、政府がごり押しできる国家の固有の「権利」などではないのです。主権在民を明示的に規定する日本国憲法はそのような「国権」は一切認めていません。

 「集団的自衛権」という問題設定の危うさは以上の点からも明らかですが、さらに、次のようなことを考えるなら、それがとうてい容認すべきことでないのは明らかです。

Ⅱ 「集団的自衛権」とは軍事同盟を意味する

1.国連以前の「集団的自衛権」=「軍事同盟」
 国連憲章以前に「集団的自衛権」という概念は世界の憲法学説に存在していませんでした。いま「集団的自衛権」と言われていることは、国連憲章以前には端的に「軍事同盟」と呼ばれていましたた。A国はB国の危難の ―たとえば第三国から侵略された― 際にはB国を防衛する義務を負う代わりに、自国の危難の際はB国に相互防衛を求める権利を与え、B国にも同様の権利義務を発生させるのが、軍事同盟の基本的な姿です。

2.「集団的自衛権」論の落とし穴:義務を欠いた権利だけの物語
 以上見てきたように、「集団的自衛権=軍事同盟」とは権利だけでは成立しません。契約関係も条約も同盟もすべて、権利と義務との関係で成立しており、権利だけの「集団的自衛権」などありえません。「集団的自衛権」とは、相互防衛義務(国民が相手国を防衛し、相手国の戦争に巻き込まれる義務)と表裏一体の関係にあってはじめて成立するものなのです。

 もし、相手に防衛を求める権利だけがあって、相手を防衛する戦争に巻き込まれる義務がないのだとするなら、それは、自我に目覚めた小学生か中学生が、「私のことはほっといて」と主張しながら、いざとなると親を頼るような、子どもじみた発想ということにならざるをえません。日本は、それほどに未熟な国ではないし、またそうした発想で物事を決めるような民主主義の成熟していない社会でもありません。「集団的自衛権=軍事同盟」とは、国民(憲法の主権者であるnation)が、相手国の防衛に義務を負うということを明晰に認識しなければなりません。

 「集団的自衛権を実際に行使するか否かは、個々の事態に即して、日本の自主的な判断に委ねられている」といった程度の手前勝手な緩い軍事同盟では、相手国は日本が相互防衛義務を確実に履行すると期待できませんから、相手国もまた、日本をまじめに防衛しようなどとは考えないでしょう。したがって、日本側の都合に合わせて「集団的自衛権」の行使を決定できるというのなら、そもそも、軍事同盟(=「集団的自衛権」)は成立しえないのです。

 このように、「集団的自衛権」とは、軍事同盟であり、義務の側面を決して免れないことなのに、なぜ、安倍内閣の説明では軍事同盟の義務の側面が無視されているのでしょうか。また、メディアはなぜそこに目を瞑って、いつまでも、「集団的自衛権」だけの議論に終始しているのでしょうか。「集団的自衛権」の本質が軍事同盟であることを了解したならば、こうした議論のあり方ははなはだしく均衡を欠く、不思議なことといわざるをえません。

Ⅲ 軍事同盟の実態は何であったか?

 では、人は義務を押し付けられそうになったら、どう行動するでしょうか。

1.「事情変更の原則」
 古来、契約関係であれ、条約や同盟関係であれ、おのれに好都合なときはそれを守り、また相手に守らせようとするが、おのれに不都合にな場合は、契約・条約・同盟の義務を守らないことを正当化する理屈が用いられてきました。それを「事情変更の原則(Clausula rebus sic stantibus)」といい、契約や条約の締結時に前提とされていた条件が変わってしまった場合に、契約の解除(つまり義務からの解放)や契約内容の修正を請求できるという理屈です。

 たとえば、第一次世界大戦が1914年8月に開戦した際に、イタリアは三国同盟にしたがって、盟約国のドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国側に立って参戦するよう両国から求められましたが、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアを攻撃したのであって、オーストリア=ハンガリー帝国が攻撃されているわけではないから、攻撃された同盟国を支援する義務は発生していないとして、参戦を拒否し、中立を保ちます。ドイツとオーストリアからはその後も参戦要請が続くのですが、イタリアは9ヶ月間ほどの中立状態を経て、翌1915年5月に、英仏側に立って、ドイツとオーストリアに宣戦布告することとなります。イタリアは三国同盟条約によって期待された通りにふるまわなかったどころか、まったく逆向きに、同盟国と敵対するという方針に転換したのです。

 こうした行動をイタリアは事情変更の原則などさまざまな理屈で正当化してきましたが、その背後に作用していたのは、イタリアの領土的な野望でした。オーストリア=ハンガリー帝国領内にあるイタリア語話者の多い地域を「未回収のイタリア」と称して、それらをイタリア領に編入することを強く主張する勢力が当時のイタリアには存在しており、この要求を実現するために、三国同盟側に立って参戦してオーストリアから領土的な譲歩を獲得するのか、それとも英仏露の三国協商側に立って参戦してオーストリアから領土を奪い取るのが有利なのかを見定めるために、イタリアは約9ヶ月間、戦争の推移を観察しながら、独墺、英仏双方とそれぞれ秘密に交渉を重ねるという二股外交の結果、英仏側の方が有利な条件を提示したので(1915年4月ロンドン秘密条約)、三国同盟を裏切って英仏側に付いたのです。むろん、オーストリアは自国領土を切り取ってイタリアに与えなければならないのに対して、英仏はオーストリア領の一部をイタリアに約束したところで何の損失もありませんから、気前のいい条件を提示できたのです。

 このように、軍事同盟とは、常に遵守されるわけではなく、そのときどきの都合によって、いかようにも解釈され、変更され、破棄されてしまうものなのです。これに対して、同じ第一次世界大戦に、ヨーロッパ以外では最初に参戦した日本は、おのれに好都合な場合は同盟関係を拡張解釈してまで参戦する事例となっています。当時、日本とイギリスの間には日英同盟が締結されており、イギリスはそれにしたがって日本の参戦を促します。当初イギリスは、アジアでの戦争がイギリスの関与しえないほどに拡大するのをおそれて、日本の参戦範囲は中国のドイツ植民地(膠州湾租借地)と西太平洋に限定するつもりだったのですが、日本はアジア・太平洋地域でのさまざまな野望を果たすために無限定な参戦を要求します。アジアにまで手の回らないイギリスは結局、日本の無際限な参戦を容認し、日本はドイツに対して宣戦布告して、膠州湾や西太平洋にとどまらず、中国全域およびインド洋にまで拡大した形で、日本の軍事行動が展開することになります。おのれに好都合な場合は相手側の思惑を越えてまで同盟関係が利用されたことになります。

2.軍事同盟の実態
 軍事同盟とは、過去を観察する限りでは、自国の義務はできるだけ忘れ、怠り、相手国の義務履行を必ず求めてきた歴史です。それは、同盟の規定通りには守られないのが常態でした。恋の駆け引きと同じで、相手の実績を見ずに、こちら側が一方的に義務を負い、約束を守り、「愛を貫く」などということはありえないのです。軍事同盟や恋の駈け引きに比べるなら、世間体や実利で縛られる婚姻関係の方がはるかに安定的でしょう。軍事同盟は権力者の都合で生み出されるものですから、「世間体」も「実利」もときどきの事情でいかよう変わり、当てにならないのが、その本質です。中国や日本の戦国時代の合従連衡と裏切りの歴史を見ても、中世から現代までのヨーロッパでのさまざまな同盟関係をみても、それは自国の都合次第で、反故にされ、また拡張適用されるものでした。

 しかし、日本では、国家とはその名誉のために条約や同盟の義務を堅持するものと根拠なく考えがちです。たとえば、日独防共協定(1936年)の締約国ドイツが、日独同盟の交渉中であるにもかかわらず、防共協定の事実上の仮想敵国であるソ連との間にも不可侵条約(1939年)を結んだのに驚き、「欧洲の天地は複雑怪奇」との理由で平沼騏一郎内閣が総辞職するほどでした。実は、日本もその二年後にはソ連と中立条約を結んでいるのですが、今度は、1945年8月にソ連が日本に宣戦布告したことを条約違反と非難する見解もあります。しかし、ソ連の宣戦が不当であるか否かを論ずる以前に、そうした条約が常に無条件に守られてしかるべきという発想そのものを疑うべきなのではないでしょうか。

 軍事同盟や軍事的な抑止力で自国の安全保障を確保しようとしても、それは、相手がこちら側の軍事同盟・軍事的抑止力を恐れるか否かに掛かっており、相手次第の発想になってしまいます。相手がこちら側の軍事力を恐れずに、それに対抗する軍事力を整備するなら際限のない軍拡競争に陥ってしまうのです。したがって、軍事同盟や軍事的な抑止力で自国の安全保障を確保しようという発想はすでに時代遅れなのです。ところが、国連の機能不全(殊に常任理事国拒否権)とテロの横行やBRICSの軍備増強という環境の中で、再び軍事同盟に依存しようという動きが出現していますが、それらは自国の安全保障と世界の平和に本当に役立つのでしょうか。冷静な考察が必要とされるところです。中国の軍事的脅威の増大に対して、同盟強化と抑止力強化が必要不可欠という議論については、第Ⅸ節であらためて検討することにしましょう。

3.独走する軍事同盟
 軍事同盟とは時代遅れなだけでなく、ひとたび成立すれば、それは国民・人民の権利を超越して、政府の統制すら及ばず、軍事と秘密外交の問題として処理されてしまう危険性が高いのです。第一次世界大戦直前の英仏協商下でフランスとの軍事協力関係を推し進めたグレイ外相に対して、アスキス内閣が、軍事協定に押し流されることがないようにしばしば牽制していたのは、アスキス首相がこの危険性を熟知していたことを示しています。

 最近の日本でも安保法案をめぐって、軍部独走というべき事態が発生しています。昨年12月の総選挙直後に訪米した自衛隊の河野克俊統合幕僚長が、米軍高官との会談で、来年[2015年]夏までに法案は成立するとの見込みを伝えていたと報じられています。これは、安倍首相が本年4月末にアメリカの上下両院合同会議で今夏までの成立を表明したのよりも5ヶ月ほども先行して、法案すら確定する前に、制服組の頂点に立つ人物が立法予定を外国軍の幹部に「約束」していたことになります。参院平和安全法制特別委員会でこの問題を問われた防衛省は調査の結果、統幕長と米軍高官との会談記録は省内に残っていないと報告していますが、防衛省が関知しないところで制服組がこのような「軍人外交」を行うのは完全に文民統制を逸脱した事例といわざるをえません。

 また、自衛隊の統合幕僚監部が、安保法案の国会審議に先立って、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)及び平和安全法制関連法案について」(2015年5月末)という文書を取り纏めていたことが参院特別委員会で暴露されましたが、そこには、同盟調整メカニズム(ACM)という機構が盛り込まれ、その中心的な機能は自衛隊制服組と米軍との「軍軍関係」が握ることとされていたのです。中谷防衛相がこの内容を関知していなかったため、参院特別委員会の審議が停止するといった事態に陥りましたが、軍事同盟が文民統制の原則を踏み外して、「軍部」の独断専行になりがちであることを如実に示しています。

 さらに、米陸軍ナイトストーカーズ(第160特殊作戦航空連隊)のMH-60ヘリ事故(2015年8月12日、沖縄沖)では、日本が同盟関係にない第三国の特殊戦部隊との共同演習がなされていたことが暴露され、軍事同盟の統御し難い側面を浮き彫りにしました。

Ⅳ 武器輸出三原則の改定

1.武器輸出三原則の基本的な理念
 武器輸出三原則とは、他国が武力を保持することに日本が加担しないことを定めた原則で、日本経済が武器の生産と輸出に依存しないように歯止めを掛ける効果がありました。

 この武器輸出三原則の起点は、1962年に通産省通商局長が共産圏向けの武器輸出については対共産圏輸出統制委員会(COCOM)の規定に従う、すなわち禁輸との答弁から始まります。さらに、1965年外務省アジア局外務審議官が紛争当事国への武器・軍需物資の輸出は承認しないと答弁することで、およそ後の三原則の骨格が完成し、1967年に佐藤栄作首相が、「①共産圏諸国向け、②国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向け、③国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向け」の武器輸出は禁止すると答弁することで三原則が確定しました。その後さらに1976年には三木武夫首相の答弁で、④三原則対象国以外への輸出も慎み、⑤武器製造関連設備の輸出については「武器」に準じて取り扱うものとされた。また、1981年には、通産省の承認をえずに砲身を韓国に輸出した堀田ハガネ事件をきっかけとして、「政府は武器輸出について厳正かつ慎重な態度をもつて対処すると共に制度上の改善を含め実効ある措置を講ずべきである」との国会決議がなされました。

2.抜け道・例外規定
 むろん、武器輸出三原則には、対米輸出・技術協力については、抜け道も容易されはしました。たとえば、1983年には中曽根内閣の後藤田正晴官房長官が「対米武器技術供与についての談話」を発表し、アメリカは明白に「国際紛争当事国」だが、日米安保条約の観点から例外扱いすることとし、また、2005年には小泉内閣が、アメリカとの弾道ミサイル防衛システムの共同開発・生産は三原則の対象外とするとの官房長官談話が発表されました。いずれも日米安保条約の相手国であるアメリカを例外扱いする抜け道規定でした。

3.改定への動き
 しかし、2007年になると、防衛庁の総合取得改革推進プロジェクトチームが、「効果的・効率的な研究開発に資する国際協力を推進するため、各国との技術交流をより活性化するとともに、国際共同研究・開発に係る背景や利点・問題点などについて一層の検討を深める必要がある」との提言をして、アメリカ以外の国も含む国際共同研究・開発という三原則改定の方向性を打ちだします。防衛庁としては国際共同によって兵器の調達価格が下がることを期待するとともに、日本経済団体連合会は逆に輸出需要や技術移転の可能性に期待して、この方針に賛意を表明します。ここでは、アメリカだけを同盟国として例外扱いする抜け道から、国際共同開発の一般化が目指されるようになります。国際共同が用兵側と財界双方の利益の一致点となったのです。

 2010年1月には、民主党鳩山内閣の北沢俊美防衛相が日本防衛装備工業会で、「2010年末に取りまとめられる防衛計画の大綱(新防衛大綱)において武器輸出三原則の改定を検討する」と発言し、見直しの内容としては「日本でライセンス生産した米国製装備品の部品の米国への輸出」や途上国向けの武器輸出をあげました。ここでも、やはり輸出志向という財界の要求を先取りする方向性が示されたのですが、このときは、民主党政権と連携関係にあった社民党の反対があったため、この議論は先送りされました。

4.改定
 こうして1960年代以来の武器輸出を禁止する原則はからくも半世紀近く守られてきたのですが、これに大きな風穴を開けて、実質的に三原則を改訂したのが民主党の野田内閣です。2011年12月27日という年の瀬の押し迫った時期に、同内閣の藤村修官房長官の談話として、①平和貢献・国際協力にともなう案件は、防衛装備品[=武器]の海外移転を可能とする、②目的外使用・第三国移転がないことが担保されるなど厳格な管理を前提とする(目的外使用・第三国移転を行う場合は日本の事前同意を義務付ける[=武器貿易条約案(ATT)との整合性]、③安全保障面で協力関係にある国で、共同開発・生産がわが国の安全保障に資する場合はそれを推進するとの新方針を発表したのです。

 従来の三原則を大幅に逸脱する内容が、こうした年末に、それも官房長官談話という軽い形式で発表されたのには理由があります。この一週間前、12月20日の閣議で、政府は航空自衛隊の次期戦闘機としてF-35を導入することを決定したのです。航空自衛隊はもともとはF-22がほしかったのですが、アメリカがどうしても輸出を許可しなかったため、導入機種をF-35に変更したのですが、これは国際共同開発・生産の戦闘機であるため、武器輸出三原則を改定しなければ導入できなかったのです。ここでは、買い物を先に決めてしまってから、それに適合するように慌てて武器輸出三原則に風穴を開けるという姑息な手段が採られたことを記憶に留めるべきでしょう。

 この三原則の実質的な改定を前提にして、2014年4月1日に安倍内閣は従来の武器輸出三原則に代えて、「防衛装備移転三原則」を閣議決定します。①原則的な輸出禁止から禁止する場合(67年佐藤首相答弁②・③に相当)の限定への変更、②移転を認め得る場合(ⅰ平和貢献・国際協力の積極的な推進に資する、ⅱ日本の安全保障に資する)の限定、厳格審査、情報公開、③目的外使用と第三国移転について日本国政府の事前同意を相手国に義務付け(武器貿易条約(ATT)との整合性)の三点を主たる内容として、日本の武器輸出は原則禁止ではなくなります。ちなみに、「防衛装備」は「武器」の日本政府官庁用語ですが、原則的に輸出できないときは「武器」という通常の語で差し支えなかったのに、輸出できるとなるととたんに、自衛隊の武器と同様に「防衛装備」という言葉遣いに変更されたところが注目されます。「武器」を「防衛装備」に言い換えれば、その保持も輸出も許されるという発想がここに現れています。

Ⅴ 三原則改定と戦争法案と特定秘密保護法

1.三原則改定と特定秘密保護法
 武器輸出三原則の改定によって、兵器の共同開発・生産・輸出が可能になると、兵器やその製造・整備技術に関する「秘密」を守る義務も、当然の結果として、国際化します。国際兵器と輸入兵器を用いるだけなら、自衛隊法や防衛省納入の契約で秘密は守れましたが、国際共同開発・生産となると、「秘密」の及ぶ範囲は圧倒的に広がるのです。

2.戦争法案
 「集団的自衛権」は、外交的・軍事的には、軍事同盟(相互防衛義務)にほかなりませんから、軍事同盟によって、やはり「秘密」の義務は国際化します。防衛省統合幕僚監部が今年5月末に作成した「日米防衛協力のための指針及び平和安全法制関連法案について」という内部文書は、は国会審議で取り上げられたので特定秘密保護法違反に問われませんでした(また、それゆえにこそ内部告発があったものと思われます)が、個人であれジャーナリストであれ、防衛省関係者からそうした文書の有無や内容について聞き出そうとするなら、特定秘密保護法違反とされる可能性がありますし、また、第三国を含む特殊戦部隊との共同演習も、米陸軍ナイトストーカーズMH-60ヘリ事故(2015年8月12日)によって「たまたまばれ」て、国民の知るところとなりましたが、これも、防衛省や米軍関係者から聞き出そうとするなら違反を問われることになるでしょう。軍事同盟とは国民の知らないところで進む性格が強いのです。

3.特定秘密の肥大化の危険性
 特定秘密として指定しうる事項のうち、第1号(自衛隊法や国家公務員法による守秘義 務)は特定秘密保護法がなくても守れるはずの秘密ですが、武器輸出三原則改定と戦争法案によって、同法指定の第2号(外交に関する事項)、第3号(外国の利益を計る目的で行われる安全脅威活動の防止に関する事項)、および第4号(テロ活動防止に関する事項)が際限なく、国民のチェックの及ばないところで肥大化して、民主主義的なチェックと知る自由を形骸化させる危険性があるのです。

Ⅵ 成長戦略と軍事 ―アベノミクスという隘路―

 さて、以上見てきたように、日本の軍事と兵器産業を巡る状況は2010年代以降、大きく変化しつつあるのですが、それらの変化は、日本経済や経済政策の現状とどのような関係にあるのでしょうか。

1.成長戦略の二類型
 不況を克服し、経済を成長軌道に乗せるための政策には大別して二つの型があります。第一は、消費・生活主導型で、普通の人々の日々の暮らしに直結した需要を伸ばすことで停滞基調から成長に転換させる政策です。さまざまな消費財への国内需要を伸ばすことがその基本にありますが、物的に必要なものがほぼ行き渡っている先進国の場合、余暇や自己啓発に関わる支出や、介護・子育て支援などの対人サービス(生活保障関連ビジネス)への支出を伸ばすことに、大きな効果が期待されます。この消費・生活主導型の成長戦略の実例としては、1930年代後半にアメリカで採用された後期ニューディールの経済政策、同時期のフランス人民戦線政府の経済・社会政策、さらに、戦後、欧米および日本の各国で高度成長に採られた政策などがあります。

 第二は、投資主導型の成長戦略です。投資環境を整え、投資を先行させて生産性・生産力を高めることで、経済を成長に導こうとする政策ですが、国内の消費・生活に根ざした分厚い需要に支えられない場合、伸びた生産力はそれ以外の需要を求めざるをえなくなります。この投資主導型の成長戦略の実例としては、1920~30年代のイタリア・ファシスト政権の経済政策や、同時期のソ連の二度の五カ年計画、1930年代中葉以降のドイツ・ナチス政権の経済政策があります。これらは例外なく、消費・生活需要の充分な伸びをともなわなかったため、例外なく、輸出依存(通貨切り下げをともなう近隣窮乏化政策)、公共事業依存(ファシスト・ナチズム・スターリン時代に共通する巨大建築計画や、ナチスのアウトバーンや1936年ベルリン・オリンピックにともなう建築・土木需要)、そして経済の軍事化と国民の消費に直結しない無駄な生産をもたらしています。2012年の総選挙前に鳴り物入りで登場した「アベノミクス」もこの投資主導型の成長戦略の弱点に完全にはまり込んでいます。

2.アベノミクスと「異次元緩和」
 アベノミクスは金融の「異次元緩和」で通貨を大量に市場に供給することで投資が進むことを期待するとともに、異常な円安環境に経済を誘導しましたが、輸出は思ったほど振るわず、また、原油安という天佑にもかかわらず、国民の消費・生活に結び付いた需要も伸びていません。将来の雇用と生活に根本的な不安を抱えているため消費が伸び悩んでいるだけでなく、介護・子育て支援・男女共同参画などに結び付く新たなビジネスモデルを構築するという方向に投資がなされていないのです。投資は日本経済を革新する方向には向かわず、海外に逃避する傾向を強めています。

 したがって、異常な通貨切り下げにも拘わらず輸出増加にそれほど期待できないとなると、アベノミクスは、これまでの投資主導型の事例からわかるように、公共事業(「オリンピック景気」と巨額の借金)と経済の軍事化に否応なく進まざるをえないのです。武器輸出三原則の改定が防衛省と財界とのキャッチボールを通じて徐々に用意されてきた背景には、バブル破綻後の日本経済が消費・生活主導型の成長軌道に乗ることに失敗し続けてきたという背景が作用しているのです。

3.課題先進国日本のチャンスが逃げていく
 現在の日本は課題先進国であるといわれています。課題というのは、単に問題や弱点があることがわかっているということではありません。課題とは、解法や解決の方向性の見えている問題を指します。日本は、そういう意味で、多くの課題を抱えた、それゆえに、社会と経済の大きな革新を期待できる国なのです。

 ところが、バブル破綻後の日本は、高齢化・少子化社会対策、男女共同参画の推進、労働時間低減と余暇(=消費)の拡大(ワークシェアリングとワーク・ライフ・バランス)、脱炭素・脱原発へのエネルギー転換等々の課題を解決する方向には、残念ながら向かいませんでした。未曾有の被害と恐怖を引き起こした東日本大震災と原発事故もエネルギー転換の引き金にならず、相変わらず行き詰まったエネルギー政策に固執しています。日本はこうした解決可能な問題群を解く機会を無駄に失っているのです。これらの諸課題で、新しいビジネス・モデルと雇用スタイルを創出できれば、無駄ではない投資機会も生まれるでしょう。介護や子育て支援など、いわゆる福祉の諸分野は、しばしば社会のお荷物と考えられがちですが、その分野で新たなビジネス・モデルと雇用スタイルを生み出せるなら、それはお荷物ではなく、日本経済にとって大きなチャンスになるのです。男女共同参画も、労働時間削減・余暇拡大も、再生可能なエネルギー資源への抜本的な転換も、すべてがにほんにとっては非常に大きなチャンスとなる課題なのです。

Ⅶ 「日本」の曲がり角

1.近現代日本経済の三つの時期
 以上のような二つの成長戦略の型を措定して考えてみると、幕末開港期以降の日本は大きく三つの時期に分けることができます。第一期は、生産力が発展しても国民は貧しかった時代で、ほぼ1860年から1950年までの90年間がこの時期です。この時期には、何よりも近代産業の移植・確立のために殖産興業・富国強兵策が採られ、そうした分野への投資が重点的になされたのです。その結果、日本経済は輸出依存と軍需依存を特徴とした成長を遂げました。日本の世界遺産(文化遺産)のうち近代に関係する4件(原爆ドーム、石見銀山、富岡製糸場、明治日本の産業革命遺産)がいずれも輸出産業か軍備・戦争に関連する遺産であることは、この時期の日本の特徴をよく表しています。

 第二期は、国内の大衆消費に支えられた経済成長の時代で、1950年から1980年代いっぱいの約40年間です。これは、いうまでもなく、戦後の高度成長期であり、「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)、「新三種の神器」(カラーテレビ、クーラー、自家用車)に象徴される耐久消費財が普及し、映画・漫画・出版文化が栄え、ドル・ショックとオイル・ショックという1970年代の二度の外的な混乱も、他国に比べてうまく乗り切った「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代でした。この時期にも、公害や、過大な労働時間、通勤地獄などさまざまな問題はありましたが、日本に暮らす人々の多くが、生活の物的な質が目に見えて向上することを実感できた時代でもありました。

 この第二期の末期が土地バブルと証券バブルとに踊らされて、狂奔のすえにはじけた後が第三期で、1990年代以降、現在までの四半世紀です。第二期とはうってかわり、大衆消費が伸び悩み、第三の「三種の神器」は登場せず、課題先進国のビジネス・チャンス(介護・子育て・エネルギー転換等々)も活かせなかった時代です。日本の国内市場の規模は相対的に小さくなり、輸出依存・軍事化へ逆戻りする危険性が、2000年代以降、徐々に増してきた時代です。武器輸出三原則改定・特定秘密保護法・戦争法案とアベノミクス失敗の歴史的・経済的な根拠はこうしたところにあったのです。

 こうした逆戻りをそのまま定着させるのか、それとも課題先進国のビジネス・チャンスを活かす方向に転換させるのか、今がまさに曲がり角ということができます。

2.機会の逸失と大学の役割
 日本の財界はこうした機会を、この四半世紀の間、ほとんど活かすことができずに、旧来型のモノを作って輸出するというビジネスのあり方しか追求できませんでした。それゆえに、ますます規制緩和を進めて、企業が身軽になる方向性しか見てこなかったのです。財務省は、こうした財界の発想に強く制約されています。文科省はその財務省の誘導に対してまったく無抵抗にしたがって、日本の教育・研究環境に本質的に望ましい変化をもたらすことに失敗してきました。

 本年6月8日付で、文科省より各国立大学法人に対して、「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」の通知が出されました。そこでは、「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」という、大学の教育・研究内容に大きく容喙する内容が明記されています。ここに作用しているのは「財界」の発想です。眼の前にある課題と足許のビジネスチャンスがわからず(それを活かせず)、それゆえ、「国立大学としての役割」や「社会的要請」の何たるかを理解できず、「教員養成」や「人文社会科学」の役立て方に頭も回らず、相変わらずモノや建物を作ることと輸出することしか考え出せない財界の発想が反映しているのです。

 文科省独自の発想が作用しているとするなら、政府を批判するような学者への嫌悪感が表出しているとみることができるかもしれませんが、全体としては財界に引き摺られた財務省に、文科省が引き摺られた結果がこの通知ということができましょう。

 ここには、どこか、学徒出陣との類似性が感じられます。戦局が厳しくなった1943年10月以降、文系および農業経済学科などの学生への徴兵猶予を停止して、在学中の徴兵が始まり学徒兵が大量に動員されたのですが、「当面の役に立つ[と権力者が思い込んでいる]もの」以外は切り捨てることで、国家百年の計を誤る同型性を看取することができます。学徒出陣が今回の文科省通知と大きく異なるのは、教員養成系の学生の徴兵猶予は継続したことです。むろん、当時は子どもが多かったので、教員養成は当面の役に立つ分野だったのですが、今は少子化しているために、教員養成系学部のゼロ免課程が狙い撃ちにされたわけです。

 すでに見てきたような課題先進国の問題を解決し、新たなビジネス・モデルを構築するためには、いわゆる「理系」の人材だけでは不充分です。そもそも、「文系」、「理系」といった学問的にも実務的にも本質的ではない区分に安易に依拠している点に、今回の通知の底の浅さが露呈しているのですが、先述の諸課題を達成するためには、いずれの課題についても、文理融合の新しい知と技が必要なことはいうまでもありません。また初等・中等教育の効果を高め、社会教育・成人教育を充実させるためには、むしろ、教員養成系の役割はますます大きくなると考えるべきですが、相変わらず、先進国中で教員一人当たりの生徒・児童数が際立って多く、社会教育が浸透しない状況を変えるところにこそ、新たなビジネス・チャンスを見出すべきなのです。

Ⅷ 右翼の伝統と「美しい日本」

1.「美しい日本」
 日本には、美しい面と醜く汚い面の両方があったし、いまもあります。どの国にも、たとえばアメリカであれ、中国や韓国・北朝鮮、ソ連・ロシアであれ、美しい面と醜い面の両面があるのはごく当然のことです。それにもかかわらず、「美しい日本」をことさらに強調することにはどのような意味があるのでしょうか。「美しい日本」とだけ言って、「愛国心」と国旗・国歌義務と「積極的平和主義」を唱えても、それだけでは何の意味もないのではないでしょうか。では、「美しい日本」とは何でしょうか。

2.右翼思想の衰退・解体
 かつての日本には、「日本とは何か」、「日本(あるいはアジア)の守るべき価値は何か」、「日本を日本たらしめているのは何か」をそれなりに真剣に考え続けた右翼思想の伝統がありました。それは、たとえば、江戸時代の賀茂真淵や平田篤胤の国学に始まり、幕末の吉田松陰を経て、宮崎滔天、井上日召、北一輝辺りまで連綿と続いてきたのです。こうしたまじめな右翼思想の末期が、テロを正当化する思想に変質してしまったのは、近代日本が先述の通り、投資主導型の発展は遂げたものの、国民の安寧を保証し、生活の質を向上させる方向には発展しなかった ―「美しいはずの日本」を実現できなかった― ことへの絶望的な、しかし強烈な批判が内在していました。ところが、その後、赤尾敏から児玉誉士夫、さらに三島由紀夫にいたる過程で、まじめな右翼思想は完全に腐敗堕落してしまいます。彼らは、「美しい日本」がなぜ実現できないのか、日本にはなぜ醜く、弱く、劣った面があるのかを真剣に考察することを放棄して、一方では権力と利権に擦り寄り、他方では観念的に肥大した自己意識に押し潰されていきます。

3.右翼思想の空洞化・無内容化 ―日中両国にとっての問題―
 安倍晋三やその取り巻き、また自由主義史観を唱導する論者たちは、上述の意味での右翼の真髄を完全に喪失してしまっています。したがって、彼らは、①日本の醜かった面をひたすらなかったことにすること(と、それに加えて、植民地支配や従軍慰安婦など醜かった面は日本だけでなく欧米諸国にもあったと強調すること)と、②際限なく「アメリカ」に擦り寄る以外に、「美しい日本」を表現できないのです。歴史問題(日本の過去にあった醜い面を直視せず、「深刻な反省」を続けることを「自虐的」と貶めて放棄することによって、日本とアジア諸国の双方の国民を失望させ続けている問題)と戦争法案とは、右翼の空洞化という点で同根の現象です、戦争法案で擦り寄られる当の米国は、日本の軍事化と武器輸出は歓迎するが、日本が歴史問題を直視しないことにはきわめて冷淡です。

 しかも、上述の①と②は、日本に反省を求める正当性などさまざまな口実を中国の支配層に与えて、一方では民主化や腐敗是正を遅らせる一要因となっていますし、他方では、中国の絶え間なき軍事力強化を正当化する要因ともなっているのです。つまり、空洞化した日本の右翼思想は、日中両国の国民にとって負の影響を及ぼしているのです。

Ⅸ むすびにかえて ―「中国の脅威」と日本の安全保障―

 過去を反省しない日本が中国にさまざまな口実を与えている裏返しで、中国の軍事力強化は日本に違憲立法を正当化する口実を与えています。

1.「中国の脅威」論
 「集団的自衛権」の行使が合憲か違憲かという問題設定とは別のところで、増大する中国の脅威から日本を守れなくなってきているのだから、軍事同盟を強化して、抑止力を高めなければならないという戦争法案賛成・容認論があります。中山義隆石垣市長、村田晃嗣同志社大学長などはこうした方向性で発言していますが、新聞の投書欄などにも、「中国の脅威」に対応して軍事同盟・抑止力を強化する必要があるのではないかという意見はしばしば登場します。実際に中国の軍事力強化、殊に南シナ海、東シナ海への海洋進出には目を見張るものがありますので、こうした脅威論にはある種のリアリティを感ずる方も少なくないでしょう。

 では、戦争法案とヴァージョンアップするであろう日米安保で、「中国の軍事的脅威」から日本を守れるのでしょうか。米中全面戦争にでもなれば、中国は真っ先に日本にある米軍基地(沖縄、佐世保、岩国、厚木、横須賀、横田、三沢等々)を核ミサイルで叩き、日本は壊滅的な被害を被るでしょう。しかし、それは、日本に米軍基地が存在しているという前提条件のもとで米中全面戦争という破局的な事態を想定した場合です。日本に米軍基地がなければ、日本は米中の軍事的な対立や衝突に巻き込まれる危険は低減します。では、アメリカとの間の軍事同盟がなければ、日本は弱いから、中国が日本本土を軍事攻撃・侵略する可能性はあるといいうるでしょうか。今後、中国が軍事力を強化し続けて、そうした潜在的な能力を獲得する可能性は否定できませんが、そのように日本を攻撃し、侵略しても、国際社会から強く非難されるだけで、中国には何のメリットももたらさないでしょう。日本とはそれほど天然資源の豊富な国ではありません。中国にとっての日本の魅力とは、その技術であり、市場でしょう。つまり、中国にとっては日本との経済的関係を平和的に維持し、発展させる方が大きなメリットがあるのです。したがって、日本も中国に、軍事的な野心を発揮させるような口実を与えなければいいのです。

2.沖縄と「兵士の生命の政治的・社会的コスト」
 では、中国が沖縄ないし宮古・八重山・尖閣を軍事侵略する可能性はどうでしょうか。その場合、米軍は沖縄を守るでしょうか。この点について、軍事の専門家たちは、アメリカは沖縄ないし宮古・八重山・尖閣を守るつもりはないと考えています。米軍は自衛隊と合同で仮想敵の着上陸阻止演習を行ってはいますが、米軍兵士の政治的・社会的コストは非常に高いので、これらの島々を護るために米軍兵士が多数死傷することになったら、米国内世論を収めることができないというのがその主たる論拠です。本年8月16日に普天間基地の辺野古移設問題について中谷防衛相と会談した翁長沖縄県知事は、「辺野古が唯一の解決策」との防衛省側の説明を却けましたが、その背景には、米海兵隊が沖縄に駐留し続ける合理性はほとんどないという専門家たちの見解が作用しています。もし、米海兵隊が沖縄を守るために沖縄に駐留しているのだとするなら、海兵隊の諸機能が一元的に沖縄に配備されていなければなりませんが、実際には強襲揚陸艦は佐世保の海軍基地に、航空兵力も岩国やグアムに分散配備されて、沖縄を守る配備状態にないことは明白なのです。万一、沖縄県島嶼部をめぐる軍事情勢が不利になった場合、米軍は海兵隊も含め、日本本土やグアムに退避することに、すなわち沖縄は見捨てることになるでしょう。

 このように沖縄駐留米軍が、「中国の脅威」に対する抑止力たりえない理由は、直接的には二つあります。すなわち、第一に、先に述べたように、米軍兵士の政治的・社会的コストが高い点に、第二に、抑止力論がそもそも相手次第の不確かな安全保障思想であるという点に求めることができます。アベ君が「喧嘩の強いアソウ君」と組んでも、相手がそのアソウ君を恐れないなら、アソウ君との同盟は抑止力として効果を発揮できないでしょう。相手がアソウ君よりも圧倒的に強ければ相手はアソウ君を恐れる必要はありませんし、相手の兵士の政治的・社会的コストがこちら側よりもはるかに低い場合、相手は多数の兵士を動員し、大量の戦死者が出ても、「愛国英雄」に祭り上げれば政治的・社会的には済むわけですから、相手はアソウ君を恐れずに突き進んでくるでしょう。したがって、相手の兵士の生命の政治的・社会的コストを高くすることが、確実にこちら側の安全を保障する道なのです。

3.沖縄と日本の安全保障
 以上見てきたように、戦争法案で軍事同盟を強化しても、沖縄ないし宮古・八重山・尖閣は守れないのです。

 日本の外務省は、中国との間に軍事的緊張状態はないとして「中国の脅威」の存在を否定していますが、それでも「中国の脅威」を主張しようとするなら、その脅威に対応する最善の道は、こちら側の軍事力を強くすることではありません。中国の兵士の政治的・社会的コストがこちら側よりはるかに低い状態が、脅威の源だからです。

 中国では、人権と自由と民主主義を求める声があとをたたずに現れていますが、他方で、人権と自由と民主主義が充分に尊重されていないこと、また、階層間および地域間の格差が非常に大きいことも、また、残念ながら否定し難い事実です。中国の支配層である中国共産党は自分たちこそが日本帝国主義から中国人民を解放した主体であると「自負」し続け、過去を反省しない日本の政治家たちを非難することで自らの正当性を維持し続けることが可能になっているのです。また、中国の海洋進出には、アメリカ帝国主義に対する当然の自衛という「正当性」の理屈が作用しています。

 こうした状況では、もし仮に「中国の脅威」があるのだとしても、こちら側の軍事力と軍事同盟を強化することは逆効果ではあっても、安全保障に有効に結び付く手段でないことは明らかでしょう。安全を保障するための確実な道は、中国が人権と自由と民主主義の尊重される社会になるように促すことなのです。中国兵の政治的・社会的コストを低く留め、また中国の軍事力強化を正当化している要因(「アメリカ帝国主義の野望」や「軍国主義の過去への反省を欠いた日本」等々の口実)を中国に与えないこと、つまり、中国の民衆心理を好戦的で冒険主義的な方向(反日世論と海洋資源への実利に煽られる方向)へ向かわせず、国内の格差縮小・民主主義・腐敗粛正の方向に向かわせることが、日本の安全保障への道です。

 つまり、「深い反省」と、平和への強い意志と、国連憲章・日本国憲法の理念を実現することこそが安全保障の確実な道なのであって、「自虐史観」や「謝罪外交」からの脱却を唱え、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」などと傲慢に言い放つことが、むしろ「謝罪を続ける宿命を背負わせ」ることになるという自家撞着に気付くべきでしょう。なぜならば、侵略と軍国主義についての謝罪に対して、赦すことができるのは、直接的には、害を被った東アジアの諸人民であって、「日本国」ではないからです。先方が赦すという前に、こちらから一方的に謝罪も反省もやめてしまったら、喧嘩を売るようなものでしょう。安倍首相には国内とアメリカの支配層しか見えていません。2014年にダヴォスで、日中関係を第一次世界大戦前の英独になぞらえたのも同断の短慮な発言でした。

 「自虐史観」や「謝罪外交」からの脱却を唱え、閣僚が靖国神社に参拝することは、相手国の支配層に「正当性」の口実を与え、兵士の生命の政治的・社会的コストを低く留め、愛国的で好戦的な世論を培養する結果になりますから、却って日本の安全を脅かすことにつながるのです。相手をより民主的で、豊かで平和愛好的な国民にするためにも、日本は ―天皇だけでなく、政治家も、国民も― 「深い反省」を続けなければならないのです。

4.「密接な経済的相互依存関係」だけでは危うい
 現在の東アジア・東南アジア諸国間にはきわめて密接な経済的な相互依存関係が成立しているのだから、多少の政治的摩擦はあっても、戦争にまで発展することはないという見解を、いまもときに眼にすることがあります。しかし、本稿が見てきたように、武器輸出三原則の改定も戦争法案も経済的に密接な関係と併存しているのです。それらは、日本のビジネス・チャンスをものにできない貧困な発想しかもちえない財界と、日本とはなんであるかについてまじめに思考することを放棄した堕落した右翼たちの妄想から発生しているたわごとなのです。中国や韓国等での「反日・嫌日世論」なるものも、密接な経済的関係と完全に併存しえていることに注意する必要があります。戦争の危機は、国内政治と世論と民衆心理の裡にこそ潜んでいるのです。

 第一次世界大戦はヨーロッパ諸国間の極めて密接な経済関係にもかかわらず、むしろ、密接な関係ゆえに経験するさまざまな「繁栄の中の苦難」の原因を他国に帰し、自国を被害者とするナショナリズムの世論が同時に鏡像的に高まって、戦争原因を形成しました(拙編著『第一次世界大戦開戦原因の再検討 ―国際分業と民衆心理―』をご参照ください)。「経済」は平和を守る「自動装置」ではありません。戦争原因はナショナリズムの世論と、それを利用する政治と、それらに動員される愛国的な民衆心理との相互作用の中に、つまり外交的にではなく、また、経済的にでもなく、国内的に用意されたのです。

 百年前のイギリスで、「密接な経済的関係ゆえに、いまや国境も戦争も過去の幻影になった」と考えた自由主義的平和思想(N.Angell, The Great Illusion, 1910)は数年後に大戦が勃発し、その結果、密接な経済的関係が壊されてしまった事実によって、破綻しています。社会主義の大義にしたがって「万国の労働者が団結する」ことで戦争を防止しようとした社会主義的平和思想も国民の愛国熱狂の前に脆くも崩れ去ったのです。日本でも、中国でも韓国でも、われわれがいま戦争を回避するためにしなければならないのは、国外の軍事的脅威に力で対抗することではなく、被害者的なナショナリズムと、それを利用しようとする政治に対して、冷静で現実的な安全保障の途を指し示すことです。戦争法案・軍事同盟、武器輸出、「中国脅威論」やヘイトスピーチ、「自虐史観」・「屈辱外交」・「謝罪外交」からの脱却は日本の安全保障の途ではなく、東アジアの危機を増幅させる途であるといわざるをえません。

(東京大学教授 小野塚知二)

文献リスト

  1. 小野塚知二「大人になってもわからないこと」『評論[特集・戦後70年]』第200号、2015年7月、日本経済評論社、pp.18-19.
  2. 小野塚知二編著『第一次世界大戦開戦原因の再検討 ―国際分業と民衆心理―』 岩波書店、2014年
  3. 小野塚知二「戦間期海軍軍縮の戦術的前提 ―魚雷に注目して―」 横井勝彦編著『軍縮と武器移転の世界史 ―「軍縮下の軍拡」はなぜ起きたのか―』 日本経済評論社、2014年3月、pp.167-201.
  4. 「経済史からアベノミクスを考える/小野塚知二が語る」(『EMPower』第8号、EMP倶楽部、2013年9月14日)
    http://emp-office.sakura.ne.jp/office/empfile/EMPowerVol8_Final_Web.pdf
  5. 小野塚知二「兵器はなぜ容易に広まったのか ―武器移転規制の難しさ―」 創価大学平和問題研究所『創大平和研究』第27号、2013年3月、pp.65-91.
  6. 横井勝彦・小野塚知二編著『軍拡と武器移転の世界史 ―兵器はなぜ容易に広まったのか―』 (横井勝彦と共編著) 日本経済評論社、2012年3月、viii+296p.
  7. 奈倉文二・横井勝彦編著『日英兵器産業史 -武器移転の経済史的研究』 日本経済評論社、2005年2月、pp.111-153.
  8. 奈倉文二・横井勝彦・小野塚知二著『日英兵器産業とジーメンス事件 -武器移転の国際経済史-』 日本経済評論社、2003年7月、xi+324p.

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ