【安保法案反対 特別寄稿 Vol.285】 不適切な「戦争と平和」の概念に追従する愚行 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 東京外国語大学教授・中山智香子さん

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 安全保障関連法案における集団的自衛権を認める根拠は薄弱であり、専門家が指摘するとおり、憲法に反するものです。それだけでなく、この法案において前提とされている戦争と平和の概念そのものに問題があります。それらは、法案成立を目指して語られる「国際情勢の変化」に応じるものではなく、むしろ武力攻撃の被害者や難民を増大させる潮流に加担する愚行です。

 想定されている戦争は、国民国家単位の、とりわけ二国間の戦争のようですが、現代世界においてより深刻なのは別の形態の「戦争」、たとえばISのように国家ではない集団に対して、いわゆる先進諸国が「テロとの戦い」という大義名分で空爆を行うといった事態であると思われます。ISは特定の領土や国境、国民をもつ国民国家ではなく、先進諸国の内部にもISメンバーが存在するなど、ここには国民国家単位での敵—友関係は存在しません。にもかかわらず、いわゆる「国際社会」が国民国家単位での同盟や連盟を結成して、あたかも「敵国」が存在するかのように武力行使を行っていることは、状況にそぐわないだけでなく、無辜の被害者を不必要に増大させています。ましてここに日本が、自国の憲法をないがしろにして後方支援などを行い、相手方に反撃の理由を与える必要は、まったく認めることができません。

 安全保障関連法案が「戦争法案」であるとする批判に対して、これはあたらないという反批判がありますが、そこで前提とされている平和は、緊急の場合の武力行使の可能性と能力を顕示することで「抑止力」が働くとする抑止論的平和の概念であると思われます。抑止力は相手方が脅威を感じなければ機能しません。日本を敵とする相手方があるとして、日本に軍事的な脅威を認めるとは思えません。

 ところが現行の政策では、経済活性化という大義のもと、日本の先端的科学技術を軍事に生かすこと、武器の輸出、販売の販路を拡大すること、実質的には軍事予算にあたるものを増大させることなどに腐心しています。これらによって日本の軍事力が実質的な脅威となりうると誇示することは、時代遅れであるばかりか、近隣諸国を含め国際社会からも歓迎されない戦略です。

 日本の敗戦後が、制度設計や復興のあり方を含め、数々の問題を含んでいたことは確かですが、敗戦が20世紀前半の誤りを仕切り直す契機となったことも、歴史的に共有された事実でしょう。戦後70年の節目に泥を塗るような政策転換には、一市民として全力で抗いたいと考えています。

(中山智香子 東京外国語大学教授)

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ