心理学の研究から、人間は、何度も繰り返される同じ言葉には親しみを覚え、熟知していると感じ、それを正しいと錯覚する傾向があることが明らかになっています。安倍首相の常套句である「丁寧な説明」がまったく説明になっておらず、また、そのことを多くの人が承知しているにもかかわらず、省エネを心がける私たちの脳は、何度も同じことを繰り返されると、ついついそれを信じてしまいます。安倍政権は、人間の脳のこの弱点を巧みに利用して支持率を維持しています。
安倍首相が駆使するもう一つの手段は、恐怖の感情に訴えることです。不安や恐れもまた、われわれの限られたワーキング・メモリーを侵食し、冷静に考える視野を狭めてしまいます。確かに、こうした負の感情も私たちの生存のために必要なものではありますが、それに支配されてしまうと、私たちは疑心暗鬼に陥り、「やるかやられるか」という選択肢しか見えなくなります。
現在、参議院で審議中の安全保障関連法案自体が、この「やるかやられるか」という硬直した二者択一に基づき、可能な最善の方策を冷静に模索する人間の優れた知的能力を退化させる方向性を持っています。
それに対して、平和の実現に向けての徹底的努力を訴える日本国憲法は、対話による解決という人間のみがもつ優れた能力を信じ、それを最大限に活かす力を秘めています。平和の力を信じる時、私たちのワーキング・メモリーは、恐怖の束縛から解放され、より優れた方策をより容易に発見できるようになるのです。
しかし、恐怖に囚われないためには冷静に現状を把握し、考えぬく勇気が必要とされます。確かにそれは困難な道ではありますが、暴虐や残酷な争いが続いてきた長い歴史の中で、私たち人類がなお滅びずに生存できているのは、その道を求め続けたからです。そして、そのためにこそ教育も学問もあるのです。
しかし、嘆かわしいことに、現在の安倍政権は、圧倒的多数にのぼる法律の専門家の優れた見識を一顧だにしないばかりでなく、広く人文社会系の教育と学問の基盤そのものをも弱めようと企てています。2015年8月10日付、日本経済新聞において下村博文文部科学大臣は、「旧態依然たる大学のままで、新しい時代に対応する教育は難しい」と断じ、「社会が大きく変わる中で、単なる知識の暗記ではない、判断力や思考力、創造力といった「真の学ぶ力」」を養うためには、「大学教育の質の転換が欠かせない」と主張しています。あたかも、「旧態依然たる大学」は「単なる知識の暗記」のみを事としているかのごとくです。
このような現政権が得意とする粗雑な決まり文句も、そこになんら確かな検証も反省も加えられないまま、何度も繰り返し聞かされることによって、私たちはあたかも自明の事態の表明であるかのような錯覚に陥ってしまうのです。
しかし、「真の学ぶ力」は、同じ言葉の反復を「丁寧な説明」と称して、特定の考えを国民に擦りこもうとするような政治姿勢や教育政策からは絶対に生まれてはこないでしょう。「真の学ぶ力」は、世界とそこに生きる人間のあり方を根本から粘り強く探究する「大学」本来の研究と、教育活動から生まれてくるのです。人文社会系を中心とする学問が養う「真の学ぶ力」が、「繰り返し」や「恐怖をあおる」手段に訴える悪しきレトリックを暴露することを嫌って、現政権は、「大学教育の質の転換」=大学再編を唱えているようにも思われます。
(金山弥平 名古屋大学教授)