2015/08/30 【全国デモ・抗議行動レポート43】国会議事堂前

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 30日にまた国会に行ってきました。

 今回は、市民運動の人が車を出すというので、便乗させてもらいました。

 往復の車代5000円で済み、ありがたかったです。

 朝6:30大曽根駅集合。12時近くに東京駅八重洲口に付きました。

 東京駅から地下鉄で「国会議事堂前」駅へ。

 この時はまだ普通に下車して、出口から出ることができました。

 でも、駅のトイレはすでに行列でした。

 地下鉄出口を出たとたん、主催者ほか、色んな人からビラをもらいました。

 主婦みたいな雰囲気の女性たちが、「顕正新聞」を配っていましたが、これはちょっと右翼っぽい変な内容。例によって革マルもいました。

 議事堂正面まで歩くと、交差点北側角の「本部」では、黄色い袈裟を来た日蓮宗のお坊さん達が、太鼓を叩いていました。

 私たちは交差点南側角に落ち着きました。

 13:00から高校生SEALDsが集会をするというので、見に行きたかったですが↓その場を動くと「いい位置」が確保できなくなるので、そのままそこに立っていることにしました。

 そこへ「赤旗」のカメラマンがやって来て、脚立の上から隣のグループを撮影しました。

 なんと、その日の集会が終わる頃に「赤旗号外」が出たのですが、1面にその写真が載りました↓

 前列の2人が着ている赤いTシャツは、私たち「命どぅ宝あいち」が作ったジュゴンTシャツで、その横に体の一部だけ写っている、プラカードを持って青の(ジュゴン)Tシャツを来ているのは私です。

 私達がここに着いた時には、すでに警察がたくさんおり、前回同様、歩道の端に頑丈な足止めが設置済みでした。

 段々人の往来が増えてきて、初めはまだ電動車椅子の人が何とか通れる状態でしたが、そのうち人一人が通るのも大変になり、警察に食ってかかる人が出てきました。

 私を含め、みんなから「車道を開放しろ(してください)」とブーイングが発生、人が一杯で蒸し暑く、ストレスがたまってきました。

 身動きとれない状態で、14:00の集会開始を待っていると、大きなハンドマイクを担いだ男の子がやってきて、「ここは静かですね。コールしていいですか?」と言って、コールのリードを始めました。

 マイクにSEARDsのシールが貼られていました。

 その後は、例の早いテンポのコールにみんなが続き、ほかでもあちこちからコールが始まりました。

 しばらくコールしていると、右手の方がざわざわして来て、北側寄りの車道を国会に向って、たくさんの人が歩いて来るのが見えました。

 SEARDsを先頭にした若い人達が、道路封鎖を突破してずんずん前に進んで来たのです。

 車道に人が出ている様子を見て、私たちも誰にも指示されたわけでもないのに、自然発生的に、三角コーンや鉄の足止めや警察の静止を無視して、「安倍はやめろ」等のコールを続けながら、車道に出ました。

 あまりに人が多いからか、(辺野古の様に)強硬な態度には出ない申し合わせになっていたのか、警察はたいして抵抗することなく、あっという間に車道に人が流れ出しました。

 ただ、国会議事堂側は、警察が大急ぎで、足止めと機動隊のバスと警察官の人の壁で封鎖しました。

 機動隊車の後ろで、パトカーのサイレンの音がしていました。

 応援が続々と駆けつけていたのでしょうか?

 「安部晋三から沖縄まもれ」とコールしていたのは、現場にいた私も、これ↑を見てはじめて分りました。

 国会前の道路は完全に「解放区」状態で、みんなそれぞれプラカードを高く掲げ、あちこちにいるハンドマイクを持ったSEALDsのスタッフを中心に、議事堂に向ってコールを浴びせ続けました。

 しかしそれ以上の暴力的な事は一切ありませんでした。

 あれだけの人がいたら、もしその気になれば、機動隊のバスをひっくり返して乗り越えていくことも可能でしょう。

 しかし今回そんな事は起らず、けが人も出ませんでした。(逮捕された人は2人?あるようですが、詳細は不明)

 気が付くと、いつのまにか議事堂に向って、黒と白の風船に持ち上げられた、大きな布がゆっくりと進んで来ていました。

 当日いずこかで準備されていた黒と白の風船↓

 そして、最前線まで到達して、野外映画のスクリーンの様に空中に「安倍やめろ!」の文字が掲げられました。

 風船巨大横断幕はすばらしい演出でした。(シースルーの生地?だったので、視界が遮られず、裏からも、またその向こうにある物も見えた)

 黒と白の風船の色は、安倍政権の「葬送」のイメージなんでしょうか…

 ただ、この演出には、やはりモデルはあったようです↓

 今回のSEALDs、「決壊」といい「横断幕」といい、見事でした。

 横断幕とともに、車道を国会に向って進んだSEALDsが、国会正門前中央を占拠し、道路右手の「本部」で、プログラム通りの進行を続ける「総ぐるみ行動(編注:原文ママ)」からデモ全体を「ハイジャック」したかのような形になりました。

 シールズのコールのため、「本部」のスピーチは、近くでは聞き取り辛かった。

 但し、離れた所、経産省前辺りまで、各所に置かれたスピーカーからはよく聞こえました。

 暫くコールを続けた後、同行の人達に従って、「本部」の方に移動しましたが、そこでの著名人のスピーチは、SEALDsの力強いコールと比べると、何だか気の抜けたもののように感じてしまいました。(後でビデオを見ると、そうでもないのですが↓)

■「8.30 戦争法案に反対する国会前抗議行動」をまとめたハイライト動画

 でも、それからが大変で、「本部」前は立ち止まるわけにいかず、前が進めば、後ろからどんどん人が来る、で、およそ名古屋では経験したことの無いような「満員電車」状態。

 私の様に人と一緒だと、はぐれないように、間に人に入られないように、つい前へ前へと押し気味になります。

 汗だくの人の冷たい腕とくっつき合ったり、ズボンのすそを何度も踏またり。

 友人は靴の紐を踏まれて倒れそうになり、靴を脱いで歩いていた、と後で言っていました。

 それでも怒号が飛び交ったり、ケガ人が出たりすることなく、スタッフの人が、「周りに声をかけて通って下さい」と注意したり、憲政会館の石垣の上に座っている人が、「もう少し行けば抜けられるから」「あと5メートル位だよ」と声をかけたり、手を貸して、石垣の上に人を引き上げてくれたり、と、みんなで協力し合いながら、どうにかこうにか身動きがとれるところまで抜け出ることができました。

 あれだけの無秩序状態でありながら、将棋倒しなどの事故やケガ人が発生しなかったのはそれだけでもすごいことで、ああいう目的の下に集まった群衆だからこそだと思います。

 スタッフも大勢配置されていて、交通整理にあたっていました。

 警察は、少なくともあの時点では、人々の安全に何の役にも立っていません。

 私たちは何人かとははぐれてしまい、残った3人で沖縄の集会に立ち寄って帰ることにしました。

 信号のある辺りまで下ったところで、また道路の南側に戻り、その途中、袋をもってカンパ集めしている人に、わずかばかり協力したり、道路の真ん中で議事堂をバックに記念写真を撮ったりしながら、沖縄集会が開かれているという「日比谷公園」に向いました。

 途中、右手にあった憲政記念公園にも人が一杯で、トイレに長~い行列が出来ており、「霞が関」の官庁街の歩道にも人が一杯。

 地下鉄出入口も人が一杯。

 経産省前を通ったので、脱原発のテント小屋を始めて見ることができました。

 麦茶のサービスをしており、友人は熱々の麦茶をもらい、残念ながらゆっくりお話しする時間はなかったので、私はまた、わずかばかりのカンパだけしました。

 国会から日比谷公園は、地図で見て想像したより、ずっと遠かったです。

 憲政記念公園や霞が関一帯は、「団体」系のグループが「押し込められていた」(と私が勝手に思った)区域です。↓(のぼり旗を持った、労組とか共産党系団体の人々?)

(後から知りましたが、他県から来た人に正門前に行ってもらうため、関東圏の人はその外側で、という配慮からでした)

 なので、「国会正門前」だけでなくその周辺にも一杯人がおり、その数は計りしれません。

 今回の国会前抗議デモは、主催者発表12万人、30日のべで35万人(本当かいな?)と伝えられていますが、わたしも、これを見て、改めて人の多さを実感しました。↓

 「日比谷公園」の「沖縄の集会」にもたくさんの人があつまっており、終わりがけに間に合いました。

 最後に辺野古のキャンプシュワブゲート前で歌われている「座り込め」を歌ったので、一緒に歌いました。

 今回の一斉行動、SEALDsの活躍が目覚ましい。

 すべて周到に(?)準備された「仕掛け」が、「大成功」したのは確か。

 「決壊」は初めから練られていた「作戦」だったのではないか。

 たぶん、「総がかり行動実行委員会」は、知らされていなかったのでは?

 また、それが公安警察とかに漏れてなかったとは考えられない、とも思う。

 「仕掛け人」って「野間」とか、「bcxxx」とかっていう人なのだろうか…

 本人の勝手な思い込みか、本当の事なのかは分らないが、

 野間、bcxxxって何者?

 さらにその後ろに、何かあるのか?

 それは気になりますが、

 その場にいて、やはりSEALDsには「でかした!」と心の中で快哉を叫びたい気持ちでした。

 いずれにしても、数10万の人々が結集し、「民主主義」を体現したのは素晴らしい出来事だったと思います。

 警察のブロックが「決壊」し、みんなで車道にあふれ出た時、これこそが「自由」だ、という解放感のようなものがありました。とはいえ、これからの状況は厳しいと思います。

 ひょっとしたら、後から「決壊」の首謀者の逮捕もあるかもしれない。

 ですが・・・若い人達をはじめとする、多くの人々とともに、出来る限りの事をしたいと思います。

 100万分の1となって、今、力を尽くさねば・・・
(やぎどん@名古屋)