かつての軍都にして被爆地=広島には数々の戦争遺産が残されているが、そのうち異色なのが、竹原市沖に浮かぶ小島=大久野島の3カ所の砲台跡。島そのものは、かつて日本陸軍の毒ガス製造施設が置かれたことで名高いが、これらの砲台が築かれたのは、もっと早い19世紀末の日清戦争の頃。
日清戦争をいささかも肯定するつもりはないが、当時の軍部は、日本が清朝北洋艦隊に攻め込まれて、瀬戸内海を蹂躙される事態を見越していたことになる。この意味で、日清戦争は近代史上唯一、大日本帝国が冷静な眼で負けること、攻め込まれることを見通して計画した戦争であった。
しかし、日清戦勝で当時の国家予算の3年間分の賠償を勝ち取ると日本人は変わった。アジアを軽蔑し、戦争にたいしては不敗神話が生まれた。
それから、50年でこれが誤っていたということを310万同胞の血の犠牲で思い知ったはずであった。
しかし、今回、安保法案に関する政府の説明も、これを支持する有識者の意見も、戦争というものに対するリアルな洞察の痕跡をいささかも感得できない。あたかも、「敵(そもそも日本国民は敵など求めてはいないはずだが・・・)」が自分の思い通りに引き下がってくれることばかり想定しているように思われて仕方がない。
今年は1895年の日清戦勝から120周年、敗戦70周年、その間50年間、日本の指導者層が患っていた「病気」がまたぞろ現れてきたように思われてならない。
(広島大学大学院総合科学研究科 市川 浩)