なるほど、あなたは安保法制に反対するぼくのような人たちのことを、頭んなかが「お花畑」だって言いたいわけだ。自分たちはシビアな国際政治のリアルを知っていて、なんだかよく分からないところから引っ張ってきた数字なんかを持ち出してきて、これが合理的な結論なんだ、それをみとめないお前らはおめでたい夢想家だ、と。
ぼくはいま、自分はちゃんと目覚めてるって思ってるけれど、でも自分が夢見がちなのはみとめよう。ふだんから、なぜひとは偶然の中に必然を見てとったときに生きる勇気がわいてくるんだろうとか、これだけ技術が発達したんだから、一日のうち4時間ぐらい働けばあとはぐうたらしててもいいんじゃないかとか、それこそ寝言みたいなことばかり考えたりしてるし。
たしかにぼくは夢想家かもしれない。でも、たぶん、それはぼくだけじゃない。あなたたちだってそうでしょう。だって、ぼくも、あなたも確かに少しはリアルなものや出来事を知っているのだけれど、リアルは圧倒的にそこからはみ出してしまうからだ。そしてぼくもあなたも、そのはみ出したところについては想像力をせいいっぱい働かさなきゃいけないからだ。
ぼくたちが知らないリアルを知っている人はいる。たとえばひげの隊長さんは、現場の人間として、PKO部隊は武装してNGOの警護にあたれるようにならなきゃいけないと言う。でも、NGOの人は、法案が通ると命の危険が出てきてしまうと言う。ぼくは、あなたは、どっちを信じるべきだろう。ひげの隊長さんがきちんと説明できたためしはないし、あかりちゃんにもぜんぜん応えられなかったし、誠実に語っているのか疑う理由は山ほどある一方、NGOの人がわざわざそういう嘘をつく理由は思いつかない。
だからぼくとしては、NGOの人の言うことを信じたい。でも、結局それは僕にとってのリアル――日本に住んでいて、クーラーの効いた部屋で、キーボードをたたいてこの文章を書いている――に基づく判断で、アフガニスタンや、シリアや、イラクやガザのリアルそのものではない。たぶん、あなたには、ここでぼくが夢を見ているように見えるんだろう。
でもそれなら、ひげの隊長さんの言うことを信じているあなただって、夢を見ていることになる。だって、あなたのリアルは、ぼくのリアルとほとんど変わらないでしょう。「いや、だからさ、そういういろんなリアルを集めて、数値化して総合して、リスクと利益を比較して合理的に決定しなきゃいけないんでしょ。それをするための学問なんでしょ。学者なんだから、学者の言うことを信じなさいよ」と言われるかもしれない。
それで、政治学者だとか経済学者だとかが、頼んでもいないのに不安になるようなことをいろいろと教えてくれたりする。そりゃあぼくだって、学者さんの言うことは信じたい。でも、たとえばぼくのような青二才の哲学者から見ても、あきらかにでたらめな人が「日本を代表する哲学者」扱いされて、首相のブレーンまでつとめてたりする。じゃあ、あの「政治学者」は、あの「経済学者」は、本当に学者と言っていいんだろうか。彼らの言うことにうなずくとき、ぼくの、あなたのまぶたは降りているのかもしれない。あるいは、彼ら自身が夢を見ているのかもしれない。それに、マクロな視点からは見えなくなるリアルだってある。エノラ・ゲイの乗組員に地上の地獄が見えなかったみたいに。
ぼくもあなたも、ぼくたちのほとんどは、これまでずっと、長い長い夢を見てきた。2011年3月11日、あの大きな揺れのせいで目が覚めた、そう思った人は多いだろう。ぼく自身がそうだ。でも、そのあと、二度寝をするためにベッドに戻った人もいる。ぼくがそうじゃないといえるだろうか。そうじゃないって言いたい。でも、そうなのかもしれない。いや、そもそも夢から覚めた夢を見ていたのかもしれない。ぼくたちはみんな、いまもまだ、それぞれに夢を見ているのかもしれない。
でも、はっきりしていることはひとつ。たとえ夢を見ているのがぼくだとしても、それともあなただとしても、そのぼくやあなたにだって決める権利はあるということ。主権者は、ぼくたちだ。だからぼくたちで決めよう。安保法案が成立して、どんなにまずいことが起きたとしても、どうせいま法案を通そうとしている人は、だれも被害を受けないし、責任はとらない。自衛隊員やNGOやフリー・ジャーナリストが死んでも、東京でテロが起こって一般市民が死んでも、たぶん安倍首相も中谷防衛大臣もひげの隊長さんもその他の自民党議員も公明党議員も官僚も経団連の人たちも櫻井よしこや日本会議の人たちもアメリカの日本を操る人(ジャパン・ハンドラー)たちも、痛くもかゆくもない。責任をとる気もないし、そもそも人が死んだ責任なんてとりようがない。だから、つけを払わされるぼくたちが決めるんだ。戦わされ、殺させられ、殺され、苦しい生活に追い込まれるぼくたちで。
安保法制に賛成する人たちに言いたい。ぼくが間違っているのかもしれない。あなたが間違っているのかもしれない。だからこそ、あの人たちに任せきりにするのはやめよう。あの人たちに、本当に思っていること、知っていることをすべて吐き出させて、考える機会をつくろう。もっと時間をかけて、ぼくたちできちんと話し合おう。ひょっとしたら、今よりあなたたちに賛成する人が増えるかもしれないけれど、それはそれで構わない。ぼくの目だって覚めるかもしれない。それで、ちゃんと話しあっても同意できなかったら、そのときには民主主義と立憲主義というこの国のルールを守って、ぼくたちで決めよう。そうやって、これからもこの国でいっしょに生きていこう。
(高村夏輝 松蔭大学経営文化学部講師)