【安保法制反対 特別寄稿 Vol.223】 アメリカに嫌われてでも平和を貫く真の勇気を 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 名古屋大学大学院文学研究科・藤木秀朗さん

このエントリーをはてなブックマークに追加

 「平和を愛すると同時に勇敢でなければならない。」
 「まず平和を愛することだ。」
 「平和を愛し従順かつ勇敢であるようにしなければならない。」

 これらの文言は安倍政権が掲げる「積極的平和主義」の説明だと言っても何ら違和感がないだろう。「平和安全法制」の説明としてもしかりである。「平和」を愛しているからこそ、「その維持に努めている」アメリカ軍に協力すべく「勇敢」に自衛隊を海外に派遣しなければならないし、われわれはこの使命に「従順」にならなければならない、というわけである。

 このことを考えると、秘密保護法への反対運動の頃から広く出回り始めた、安倍をヒトラーに見立てるさまざまなパロディが単なる風刺ではないことを痛感させられる。上記の文言は、ナチのプロパガンダ映画『意志の勝利』(1935年)におけるヒトラーの演説中の一節だが、おそろしいほど安倍政権が進めようとしている政策にぴったりと符合している。

 両者が発する言葉はともに空虚で当てにならない点で共通している。耳障りのよい言葉で情動に訴えれば、人々は自分たちの政策に賛同すると考えている点でも同じである。

 しかし、幸いなことに、いまや私たちの社会では、30年代のドイツとは違って、そうした考えが政権のおごりでしかないことが明らかになりつつある。ますます多くの研究者たち、学生たち、市民たちが、そうした詭弁に疑問を投げかけ、多様な形で異議を表明している。

 政権は、これら多数の私たちの声を無視し、あたかも国会内の議員の数だけが民主的決定権をもっているかのように振る舞っているが、そうした欺瞞をそろそろ潔く放棄すべきである。現代の日本は、戦前戦中のドイツや日本ではない。各種世論調査でも明らかなように、平和は、戦争によってではなく、平和的手段によってこそ達成・維持されるべきだというのが多くの人々の願いだ。

 政権は、アメリカに追従して戦争を行う「勇気」ではなく、アメリカに嫌われてでも平和を貫く真の勇気をもつべきではないだろうか。

(藤木秀朗 名古屋大学大学院文学研究科)

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ