【安保法制反対 特別寄稿 Vol.161~Vol.170】
特別委で強行採決された。しかし、根拠無き「集団的自衛権行使容認」は立憲主義を否定する暴挙です。
安保法案は、抑止力論を含め、安倍の発言とは裏腹に、国民である自衛隊員、そして市民を危険にさらすものに他なりません。
全体主義を指向し、専制政治を行おうとする安倍政権は、民主主義を守るために打倒しなければなりません。
ありがとう 安倍首相
老若男女の国民にデモのチャンスを与えてくれて。
ありがとう 安倍首相
憲法というコトバを国民に近づけてくれて。
ありがとう 安倍首相
NHKはじめ(自称)大マスコミが、ただの政府の広報機関にすぎないことを教えてくれて。
ありがとう 安倍首相
選挙が民主主義の根幹であることを主権者国民に知らしめてくれて。
このような素晴らしい貢献をし、歴史をつくったのだから、
そろそろご引退を。
老獪な為政者が国民を騙し、誘導することなどワケもない事だと、今回よーく判った。
政権が自民党に代わって間もなく、自民党の政治家やマスコミ、評論家は、こぞって「決められない政治」が日本をダメにしている、と声高に国民を煽り続けてきた。
そのキャッチフレーズは不景気で澱んでいた世論に見事に反映した。その後の参院選で、自民は大勝し、日本は望み通りの「何でも決められる国」になった。
そうである。その結末が今回の安倍晋三という稀代の独裁、極右宰相を生み出した。
第一次政権を経験している安倍首相は狡猾だった。まずはアベノミクスという名の下に経済政策で株価操作に腐心する。その後マスコミを懐柔策で取り込み、NHKという主要メディアに密使を送り込み支配下に置いた。
そしてとうとう、数の力で日本を戦争の出来る国に変える、安保法案を強行採決させるまでに至らしめたのである。日本国民は、この自民・公明による歴史的な安保法案採決の場面を刮目して、その目に焼き付けるべきだ。ただし、まだ諦める必要もない。
今回の強行採決を期に、国立競技場問題もクローズアップされて、国民の怒りは政権の予想を遥かに超えている。この後にも辺野古基地移設、原発再稼働、TPPと安倍政権にとって障害となる問題は山積みだ。ここの対応を誤れば、安倍政権はもはやレームダック (死に体) 化するだろう。
来年の参院選までは、おそらく政権は持たない。それまでに野党を大再編し、自民党を崩壊させ、この国の民主主義を今一度立て直さねばならない。
捲土重来は時間の問題だ。
(イッコー・オオタケ 54)
自民党が再び選ばれた時から、戦争に向かうと確信していました。票を入れた人達は、今の暮らしを維持したいと思って入れたのだと思います。
残念ながら、実際は真逆の方角へ進んでいます。私達の税金でなんでも好き放題やってきて、これからも更に税金を取ろうとするこの政権が、他国に武器を売り、戦争をすることで、ますます金儲けをしようとしている。この政権は、私達の暮らしを豊かにすることは考えているのでしょうか。
否、そんなことは微塵も考えていないでしょう。それどころか、同じ屋根の下に当たり前にいる人が、いずれ戦争に駆り出されるかもしれません。
今起きていなくても過去に起きたのです。また起こすのは難しくないでしょう。起きてしまう前に、何が出来るか考える必要があります。
私もずっと考えています。
(Eri Toyama)
反対運動や署名活動・・・原発再稼働反対署名
海外で生活、もしくは活動する私にとって、安保法案が通ったらどうなるのだろう。
ふと15年前に青年海外協力隊に参加し、体育教員としてブータン王国へ派遣された時のこと、スリランカに赴いた時のことを思い出してみる。私達が安心して行けたのは、日本は戦争に参加しない国として見られていたからだろう。私自身にも、今思い返せばそんな思い入れが少なからずあった。
それは、海外で人道支援活動を行なっている先輩方の軌跡が、そのまま地元の人々の評価となり、「日本人だから平和を尊ぶ人々」という枠組みで見られていたからであろう。なにかしら「ああ、こういう日本人がこんな活動を何年前にしていたよ」と言われ、見知らぬその方の面影に、思いを馳せてみたこともある。
青年海外協力隊も、丸腰だから受け入れてもらえたんだろうな。
この協力隊のシステムは、国際協力事業団つまり外務省の外郭団体によって運営されているから、今回のNGO非戦ネットには、参加したくても足かせがあるのは簡単に予想できるけれど、今後、協力隊自体の存続があやぶまれるかもしれない。
協力隊の参加者に自衛隊が同行する? なんておかしな構図ができるのか、それとも今まで以上に予想できないリスクを負うことになるのか。協力隊経験者として、こういった議論が同じような経験者から出ていないのかなぁと疑問に思う。
(翻訳 石山奈緒)
⇒ 【安保法制反対 特別寄稿 Vol.165】 安全保障関連法案の採決に反対する声明 NGO非戦ネット
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」は、多くの憲法学者も主張しているように、明らかに憲法違反であると思います。
立憲主義の日本国であるのだから、安倍首相は順序として、まずは改憲の提案を国民に提示し、その判断を仰ぐべきです。
自衛隊の存在についてもはっきりさせるべきです。
(とくちゃん)
大多数の有識者が違憲だと判断し、国民の多くが疑問、不安、反対の声をあげているにもかかわらず強行採決、衆議院通過。全く民意を無視したやり方に怒りを覚えます。
戦争法案自体に反対なのは当然で、腹ただしいのはもちろんのこと、同じくらい腹が立つのが自民党のやり方、国民を完全に馬鹿にしている事実です。
自から選んだ憲法学者全員が違憲と判断したことを、まるでなかったことのように無視、あげくは戦後最長の国会期間延長、自然成立狙い。憲法違反の重要法案を、こんなやり方で成立させることが許されるのでしょうか。
安倍総理に言いたい!貴方は首相といえども、一与党の代表に過ぎません。貴方のやりたいようにできる権利を、国民は与えている訳ではないのですよ!
衆議院で過半数を得ているに過ぎない。貴方は完全に勘違いしている!!
国会議員、特に自民党議員に言いたい。貴方がたは有権者に選ばれた民意を代弁すべき責任ある一個人、市民なのです。決して選ばれた特別な人物ではないのです。それを常に肝に銘じてますか。
米軍の下請けになるという自衛隊。憲法さえ無視しアメリカの言いなりになり、結果得る日本の国益は何なのですか? 最低限、そこの説明をするべきだと思います。でなきゃ国民の理解なんて得られないでしょう。
安倍総理の稚拙な子供騙しのような国会答弁、説明で、国民が信じて納得するとでも? あの答弁こそ、国民を馬鹿にしている証拠です。
私個人の願いは、日本が戦争をしない平和な主権国家であること、です。
(E・U)
東京新聞に依れば、安全保障関連法案に関する衆院特別委員会において 6月26日午前、安倍晋三首相は、他国を武力で守る集団的自衛権行使の判断基準が、不明確だと指摘されていることについて、「法律事項で自動的に (武力行使するかどうかを)決められるわけではない」と説明。
「さまざまなことを総合的に判断しないといけないから、能力のない政府なら当然、正しい判断 はできない」として、法的な要件を厳しくするよりも、政府が情報収集や状況判断の能力を高める方が重要との考えを示した。
たしかに前半部分は総理のおっしゃるとおりだと思います。イラク戦争の時、ドイツ、フランスは「大量破壊兵器が存在するとは云えない」という判断を行う能力があったから参戦しなかった。日本はそのような能力がなく、アメリカの判断は正しいという前提の元に行動した。しかし、憲法違反の「平和安全法案」が存在しなかったために、特措法で許された範囲にとどめた。
ベトナム戦争の時、トンキン湾事件という捏造事件をきっかけに、戦争が拡大した。韓国などは、アメリカの意向に従って参戦したが、日本は基地の提供などでは米軍に協力したが、参戦はしなかった。理由は、時の政府が情勢判断能力に優れていたからではなく、憲法で海外派兵は出来ないことになっていたからです。もし憲法第9条がなかったら、また「平和安全法案」があったら、政府は韓国と同じように、異なる判断を行い派兵した可能性があります。
いずれのケースでも、アメリカは、これらの戦争が過ちであったと反省しています。民主主義社会は、必ずしも能力のある政府を選択するとは限りません。能力のある政府でも、判断を誤ることがあります。立憲主義はそのような場合にも、判断の誤りを最小限にするための、先人の知恵の集積だと思います。このような憲法を、一内閣の判断だけでゆがめてしまうのは、大きな禍根を残すことになります。
憲法は、自らは有能な指導者であると、勝手に思い込んだ為政者が登場したときにこそ必要なものです。
法律は絶対に憲法の許すものでなければならないし、その解釈はその制定時の為政者の視点でなく、最も悪意を持った、未来の為政者の視点で解釈しなければならない。
存立危機事態とか重要影響事態は定義が曖昧で、ほとんど歯止めになっていない。
国会議員諸君は、能力のない政府や極端な考え方を持った政府が、この法律を適用すると、本来存立危機事態でないものが、存立危機を招く恐れがあるということを深刻に考え、現政権におもねることなく、これらを廃案にして貰いたい。
(源平)
安保法案、これほどはっきり戦争がしたい、という表明も珍しい。
このところ安保法制の審議があるので、見るともなしに国会中継を見ていたが、現政権下で行われていることはあまりにもひどい。
1つだけあげると、いつのまにか無断で英語版から ”on Japan” をはずし、武力攻撃を受ける対象を日本だけではなくしている、という指摘があり(太田和美 維新 6月26日国会質問)、英語版だけ読む限り、日本はもうすでに、世界中どこでも、アメリカの関わる戦争に巻き込まれることになっているようである。
国会中継が見られるうちはまだいい。5月末に、集団的自衛権の行使容認などを含む、安全保障関連法案の国会審議が開始された時には、この審議をNHKが中継していなかった。それまで中継してきた重要な法案の国会審議を、NHKが流さなかったのは異例の事態で、ここまで状況は切羽詰まっている。
7月7日の自民党のネット番組「集団的自衛権って何?アメリカの言いなりに戦争するの?」で、安倍首相の解説に、守るべきお友達として出てきた「アソウさん」は、「ナチスの手口に学んだらどうかね。」と言って問題になった財務大臣であり、もう一人のお友達「スガさん」は、憲法学者が三人とも安保法案を違憲であると述べて、おおもめにもめた時、「違憲かどうかを決めるのは学者ではない。最高裁判所だ」と言った人である。しかもその時持ち出したのが、最高裁が高度に政治的な問題として判断を停止した、砂川判決。最高裁が安保法案を合憲と言うなら、次の総選挙の国民審査で、全員罷免するしかないのではないか。
首相はこの法案を打ち出した時、「米国の戦争に巻き込まれるという不安を、持っている方もいるかもしれない。そのようなことは絶対ない。」と述べた。法案が通りさえすれば手段を択ばないのは、東京オリンピック招致の時と同じである。「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に、完全にブロックされている。」、「(福島第一原発の)状況はコントロールされている。」と、国民が誰ひとり信じていないことを、全世界に向けて発信しものにしたのが、成功体験として残ったのであろう。
「彼ら(大衆)は、小さな嘘よりも、大きな嘘の犠牲者になりやすい。なぜなら彼らは、しばしば些細なことで小さな嘘をつくが、大がかりな欺瞞に頼ることを潔しとしないからだ。」(アドルフ・ヒットラー「わが闘争」1925)
安保法案に関連する内閣総理大臣安倍晋三の発言は、アメリカと密約しながら「非核三原則」を声高に唱えて、ノーベル賞までもらった政治家で、大叔父の佐藤栄作と同じレベルの大嘘である。
率直に言って、戦後の民主主義が本物だったかどうか、今試されているのである。
生存権を脅かし、戦争に巻き込もうとするのが、他ならぬ自国の政府なのである。平和を守り二度と戦争をしないということは、慰霊碑を建てたり、記念碑の前で不戦の誓いをすることではないと、あえて言う。二度と戦争をしない平和な国であり続けるということは、端的に政治と無縁の自分が、今ここで声を上げ行動するということなのだ。
最後に、昔駒場の立て看にも書かれていたという、ヤセンスキーの「無関心な人々の共謀」の一節と、1937の年頭の新聞に、野上弥生子が書いた分を紹介してメッセージとしたい。
「敵を恐れることはない……敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
友を恐れることはない……友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
無関心な人びとを恐れよ……かれらは殺しも裏切りもしない。
だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。」
「…たったひとつお願い事をしたい。今年は豊年でございましょうか。凶作でございましょうか。
いいえ、どちらでもよろしゅうございます。
洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、…コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。
どうか戦争だけはございませんように」
(元教員・川辺野未知)
反対運動や署名活動など・・・「安保法案 東京大学人緊急抗議集会」賛同署名・メッセージ
全体で11本もの法案からなる複雑な安全保障法制について、たった116時間、国会で審議をして「国民の理解が得ら
れないから、強行採決する」という政府は、もはや独裁です。アジアに第二の北朝鮮ができるようなものです。
しかも私たちの国は、原子力発電所という作りつけの核爆弾をもっている状態なのです。
憲法を「寝たきり」にして、国民の目、耳をふさぎ、主権者たる国民の平和、安全、財産、健康、人権をまるごと、同盟国に売り渡す愚かな政府には、退陣してもらわなくてはなりません。
小林節先生を始め、多くの憲法学者が違憲という判断を下していることに、国民も敏感に反応し、将来の徴兵制の可能性も含めて、生活が根底から覆されるかもしれないという危機感を持ち始めています。国民の間にこの法案への反対の声が大きくなることに耐えられなくなり、2015年7月15日、権力がクーデターを起こしたのです。
長い夏になると思いますが、これから、あらゆる手段で、この法案を廃案にしましょう。
安倍総理の指南役で、安全保障有識者会議のメンバーだった外交評論家、岡崎久彦氏は、生前、テレビのインタビューで、「集団的自衛権の行使は、戦争に発展するかもしれない」ときかれ、「ありますね。国家の命運に関しますから」と答えています。
戦争に発展する可能性のある法案を、憲法改正もしないで通そうとする政府の暴走を許したら、70年間培ってきた
平和国家としての信用は一瞬にして、無に帰するのです。
私たちは、破壊されつつある立憲主義の国家をもう一度、主権者として不断の努力をして、取り戻すしかないのです。
あらゆる場所にいる心ある人に呼びかけ、本当に止めましょう。これからの70年も戦後であり続けるために。
(文筆家、コピーライター みなとかおる)