【安保法制反対 特別寄稿 Vol.119】 若者たちの怒り 「安全保障関連法案に反対する学者の会」呼びかけ人 早稻田大学名誉教授・戒能通厚さん

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「学者の会」発足

 「学者・研究者の会」(以下、「学者の会」)が新法の「国際平和支援法」と10本の戦争関連法を改悪する11本もの一括法案、「平和安全法制整備法案」に対する反対声明の賛同者を集め始めたのは、今年6月11日からである。10、000人を超えたのが7月15日であり、その間、1ヶ月強しかかからなかったことになる。佐藤学、内田樹、上野千鶴子の諸先生が相談し、浅倉むつ子、広渡清吾、益川敏英、間宮陽介の諸先生とともに発起人となって、60名の専門領域を超えた学者の呼びかけ人・発起人たちのグループが結成され、それぞれの個人的ルートで拡散していった。特定機密保護法案反対署名運動を継ぎ、市民も参加しているが、一切組織的な連絡のない運動である。

 他方、SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy – s:シールズ)という存在が登場した。10代後半から20代前半を中心とする若い人たちが、毎週金曜日の夕方から国会前で自発的に集会を開くようになった。「学者の会」から連帯挨拶が行われたりして、これまでみたこともないようなデモの形が繰り拡げられている。シールドから連想したと思われる西欧風の楯のロゴ、手作りのプラカードには英語の表記がめだち、ラップのような節回しのコール(「シュプレヒコール」)は、若者たちの文化を感じさせる。

若い人々を大事にしない国

 学者の反対声明には、日本が行った侵略戦争に多くの学徒を戦地に送ったという「大学の戦争協力の痛恨の歴史」への言及がある。1943(昭和18)年10月21日、20才以上の主に文系の学生を在学中に徴兵し、アジア・太平洋地域の戦局悪化する激戦地に送りだす「壮行会」が、東京の明治神宮外苑その他、各地で開かれた。学生たちは強制的に召集され、学生帽・学生服にゲートル姿で小銃を肩に、降り続く雨中を行進させられた。壮行会後学生たちは徴兵検査を受け、敗色濃くなった兵站補給不足の激戦地に送られ、多くが戦死した。

 SEALDsに結集した学生を中心とした若者たちは、この法案が自分たちを守るためのものではなく、自衛隊員を地球の裏側にまで派遣し、隊員の生命を危険にさらすだけではなく、やがて自分たちも他の国の人々を殺す戦争にかり出されると思っている。彼らは徴兵制は違憲だからあり得ないという政権の言葉を信じない。現在多くの大学生は親の仕送りが難しくなっていることから「ブラックバイト」にも頼らざるを得ない人が多く、大学の講義ゼミに出ることも、試験準備にも時間がないという状態のようである。おそらく、SEALDsに駆けつける時間を工面するのにも苦労しているのではないか。

 安倍政権の下でアベノミックスなるギリシャ以上に国の借金を膨らませて株価をあげ円安を助長するバブル政策が維持され、それを補強する非正規雇用を中心とした労働法制の規制緩和が進められている。若者たちは、就活によっても安定した正規社員の職を得られず、将来設計ができない。徴兵制がとられていなくても、軍に徴用されるほかないような労働環境がつくられつつあると感じている。この「戦争法案」が成立すれば、自衛隊の増員や装備の強化等が必須となろう。増税必至となる。政権は最悪の愚策を追求しようとしている。

 在学している大学に対しても、国旗掲揚と君が代斉唱「要請」という名の強制、さらには、人文社会系学部の廃止を検討するように求める文科大臣の指令など、反動的な大学政策がごり押しされている。

 学生たちは、このままの日本で生きていけるのか、本気で悩み疑っている。そうした政治をかえるにはデモクラシーしかないことも知っている。この「戦争法案」を通してしまったら、国家権力を憲法によってしばる立憲主義は崩壊し、日本は、70年前の国の滅亡の道と同じ道に、まっしぐら戻るしかないと気づいたのだと思う。

請願行動

 「学者の会」は、発起人、呼びかけ人、賛同者の14人が、7月14日に、当日までの10,000人近い賛同者の署名と声明をもって、「安保法案」の衆院特別委員会の委員たちに法案の廃案を求める請願運動を行った。翌日の委員会採決をめぐって攻防があり、委員会は緊急会議入りしてしまったため、残念ながら手分けして私たちが向かった各党とも、議員には会えず、秘書対応となったが、公明党だけは、私たちの面会を拒否した。理由は明らかでない。自民党の江渡議員には、上野千鶴子、内田樹、岩佐茂各氏と私が面会することになっていたが、委員会に出ていて不在であった。私たちは、応接した若い秘書に、専門の枠を超えて10,000人に近い学者が法案に反対していることの重みを受けとめ、法案の廃案をお願いしたい、強行採決はしないようにと訴えた。上野先生からは、違憲の法案を作った違憲政党という汚名は残ることになると議員に伝えるようにとの強い伝言要請があった。

 江渡議員は安倍内閣の防衛大臣であり第三次安倍内閣でも他の閣僚と同様に続投が決まっていたが、政治献金問題で疑惑が生じ、大臣を辞した人物で、この法案の作成段階でも重要な役割を果たしていた。請願は、論争する場ではないと、佐藤学事務局長から指示されていたが、相手が「プロ」なので、この一括法案は、日本を守るためのものでなく、アメリカがもっとも重視しているアメリカの「対テロ戦争」に日本の自衛隊を参戦させるためのものではないか、と断定的に言っておきたかった。うがった見方をすれば、法案の出所はアメリカにあり、分かりにくいのは、原文の英語の翻訳だからとも考えられる。

 若干、理由を説明しておく。

対テロ戦争への参戦

 この一括法案で重要な部分を占める「武力攻撃事態法案」の「集団的自衛権」行使の条件として新設された「存立危機事態」のいわゆる「新三要件」とは、結局、明確な定義が不能で、政府が、「総合判断」して決めることになっていることが分かった。これはいうまでもなく、立憲主義に反するが、このような白紙委任に近い法は、集団的自衛権を憲法違反とする前に、法的効力を欠く無効な法とされる可能性もあろう。

 「周辺事態法」を改正する「重要影響事態法」が、「周辺」という地理的限定を外し、自衛隊が世界中に展開して他国の軍隊を支援できるようにしていること、また、「PKO協力法案」が、自衛隊を、国連だけでなく、国連以外の平和安全活動に参加可能とし、自衛隊の武器使用基準を緩和して治安維持活動にも従事可能にしていること、さらに恆久法として自衛隊を常時派遣可能とする「国際平和支援法」という新法が、戦争中に自衛隊による他国軍の後方支援を可能としていること、以上を総合してみれば、この「安保法案」は、アメリカが主導する対テロ戦争に日本の自衛隊を積極的に参戦させることに主目的があり、まさに「戦争法案」というべきものであることが、明確になったと思われる。

 しかし、翌15日、自民公明両党と次世代の党は特別委員会で強行採決を行い、16日、与党と次世代の党は、一括法案を起立多数で採決し、法案は参院に送られた。

 政府が急いだ理由は、原発再稼働、オリンピック主会場の新国立競技場問題、沖縄の辺野古基地建設強行、違憲とされている選挙制度の改正等々課題が山積しているためである。そしていうまでもなく、参院に送られた法案が60日以内に議決されない場合は参院で否決されたとみなされるが、衆院で出席議員の3分の2の多数で再可決された場合は、法案は成立するという、憲法第59条第4項および第2項による、いわゆる「60日ルール」によって、この一括法案を何が何でも成立させる意図があるからである。けれども参院が否決する可能性は消えたわけではない。否決されれば、衆院での再度の可決には出席議員の3分の2以上の多数を要することになる。そもそも「60日ルール」は、違憲の法律案にも適用できるのかは、別問題だろう。つまり、衆院を通過しても、「安保法案」を廃案とできる可能性は失われていない。参院での論戦によってこの法案の違憲性と危険性が明確になっていく可能性は大いにあり、そうなれば「60日ルール」の適用は事実上、不能となる。議場の外の運動がこれを可能としたとき、日本の民主主義は別次元の展望を切り拓くことになる。

参議院審議

 日本は政権交代可能な政治を目指し、イギリスの「ウェストミンスターモデル」を採用し、衆議院選挙に小選挙区制を導入した。しかし、小選挙区制はイギリスでも民意を反映しないとされ、先の保守党と自由=民主党の連立政権では自由=民主党から小選挙区制廃止を問うレファレンダムが提案され実施された。結果は否決に終わったが、進みつつあるスコットランド、ウェールズの権限委譲された議会の選挙、EU議会の選挙では、小選挙区制は否定されている。またブレア労働党政府時代に貴族院の改革や、貴族院から最高裁判所機能を剥奪し、最高裁を置くなどの「憲法改革」が行われ、象徴として中世来の役職である大法官職の廃止の提案までに至った。結果的に司法部のトップとしての大法官は廃止同然となったが、そのとき、この問題を「憲法問題」として審議し、重厚な報告書などを作成した貴族院の「憲法問題委員会」の機能は評価され、「貴族院」の委員会にその機能が残された。すなわち、貴族院は、日本の参議院のような第二議院としてというより、専門性をもった超党派議員(クロスベンチャー)を中心として、「庶民院」に提出された法案などの憲法との整合性を検討し政府に助言を行う役割を果たしている。イギリスには、日本国憲法のような成文憲法はないが、「憲法相当の法や慣習」は存在し、だからこそこの種の委員会には決定権はなくても活躍の余地がある。

 選挙制による「第二議院」とするかについて、日本の参議院も研究されたようであるが、衆議院と同様に、「多数決主義」の日本の参院と同様のものでは、社会の多元化・グローバル化に対応することはできないとして、「多元的」機能を持った議院として貴族院は再編されてきている。貴族院の改革が、試行錯誤を重ね途上にあることは事実であるが、庶民院の多数決を中心とする「ウェストミンスターモデル」なるものは、首相の庶民院解散権(形式的には女王の大権)の廃止とともに、変貌しており、もはやかつてのステレオタイプの議論にとどまっていない。総じて、民主主義のあり方が問われ模索されていると言っていいのである。

 日本の参議院でも、各政党のちまちました利害を争うのではなく、この機会に参院が憲法適合性という観点で、この「安保法案」を論議するようになれば、衆院で多数の議席を背後にもって、独裁がすなわち総理大臣のリーダシップであるかのように振る舞っている、この戦後最悪の首相の政治的資質を検証し、戦前の価値観を全国民に押しつけようとするこの独裁者を放逐することもできるだろう。

 戦後レジームからの脱却をはかる安倍政権は、そのレジームの中核に日本国憲法を置き、これを否定することを「悲願」とする。このような政権の登場は、海外から日本政治への注目を集めている。しかしそれは、日本の国際社会における地位の向上ではなく、その真逆の方向に向かっているという評価からである。

 SEALDsの叫びのなかに、「格好悪いよね、安倍」「自民党って感じ悪いよね」というのがあった。若者は、日本と日本の人々が海外から見て「格好悪くなる」ことを直感的に分かって恥じているのであろう。

 まだ希望は残っている。

 NEVER GIVE UP!

「安全保障関連法案に反対する学者の会」呼びかけ人
戒能 通厚(早稻田大学名誉教授)

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ