私が安全保障関連法案に反対する理由は、これらの法案が戦争を指向した最悪の戦争法案であること、そしてこの戦争法案を解釈改憲という最悪のプロセスによって押し通そうとしていることにある。
憲法を頂点とする日本の法体系に憲法に反する法律を収める余地はない。もしそれが可能だとしたら現憲法の上に別の憲法が制定されたとするほかなく、自公政権は解釈改憲によって新たな憲法を打ち立てたことになる。だがこの憲法は正規のプロセスを経て制定されたものではない、ただの私的憲法に過ぎない。従ってもし法案が通れば、自公政権はクーデターを敢行したことになる。
愚か者は、憲法は自由な政治活動を縛る拘束衣であり、憲法から自由にならなければ政治の流動的現実に対応できないと言う。法案に即して言えば、「安全保障環境の変化」が憲法超脱を説く理由である。だが、政治が憲法を超えたとき、政治的意思決定を行う権力者を縛るものはなくなってしまう。かれは憲法に縛られることなく思いのままに決定を行うことができる。日本が存立危機事態にあると誰が判断するのかと問われて、安倍首相が「総理自身だ」と答弁したのは、政治が憲法を超えることの当然の帰結である。
政治が憲法に収まるあいだは主権者は国民であるが、政治が憲法を超えたときには主権者は例外状態で決定を下す者になる。議会制民主主義を破壊するには政治に憲法を超えさせればいい。例外状態を政治の常態とすればいい。このときにはなにものにも縛られない独裁者が出現するであろう
政権側はいざというときのために切れ目のない法整備を行うのだ、お前の批判は当たらないと言うであろう。しかしこの「いざというとき」は必ずしも不特定の将来のことではない。かれらにとっては安全保障環境が変化した「いま」が「いざというとき」なのであり、この「いま」に基づいて違憲立法を行おうとしている。違憲である安全保障関連法は現行憲法が続くかぎり、将来においても違憲の法であることには変わりない。
自公政権が実現させようとしている安全保障関連法は日本の法体系に仕込まれたウィルス――アベノウィルス――であり、法体系ばかりか、日本社会全体を破壊していくであろう。憲法のめざす平和国家を戦争国家に変え、戦争国家をつくるためには日本社会に切れ目のない統制の網をかぶせる必要が生じる。教育を統制し、メディアを萎縮させ、果ては、自民党改憲草案に見られるように、統制は家庭にまでもおよぶ。安全保障関連法案が通れば違憲訴訟が相次ぐだろうが、これに対処するために司法統制も強化されるであろう。日本が全体国家と化すというのは決して杞憂ではないのである。
間宮陽介 青山学院大学特任教授・京都大学名誉教授
(※ 「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼びかけ人)