【安保法案反対 特別寄稿 Vol.339】 言葉が力を失うとき 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 横浜国立大学教授・今村与一さん

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 数日前の海外報道によれば、アラスカの永久凍土層が沈下し、崩れかかった地表面で生活してきた現地の住民が立ち退きを余儀なくされていると言う。どこかで「鈍感力」なる新語を耳にしたが、相当の「鈍感力」をもってしても、近年の気候変動、異常気象に伴う生物とそれを取り巻く自然環境の変化に気づかない者は稀であろう。

 私たちは、すでに人類史上体験したことのない前代未聞の困難な時代に突入しているのではないだろうか。その意味では、地球上の生存条件を確保するため、人類が一致協力して取り組むべき課題は山積している。ところが、同時代の世界中を見渡しても、そうした認識を持ち合わせた意識の高い政治家はどこにも見つからない。今後深刻な労働力不足が予想される経済界の後押しがあるにせよ、極右勢力の脅しに負けず、政情不安の母国を見捨てた移民を大量に受け入れようとするドイツの女性宰相は、かすかな期待を抱かせる存在ではあるが。

 それにしても、日本の政権政党に所属する政治家は、下世話で大雑把な表現だが、あまりにもひどすぎる。この見方は、いまや世論の大勢となりつつあるように思われる。だから、私自身は、別の角度から現下の安保法制、すなわち戦争法案に憂慮する理由を簡潔に述べることにしよう。

 一言で言えば、軍事行動の歯止めとされる法案中の要件、政府の国会答弁のどれをとっても、言葉が力を失い、宙を舞う飾り物と成り果てているように響くことである。このような現象は、「立憲主義」、「法的安定性」云々以前に、人間が人間でなくなる端的な兆候と考えられる。言葉が力をもってこそ、骨肉相食む人間同士の対話が可能となり、暴力に頼りがちな権力者の安易な選択を抑え込むこともできるのだ。

 考えてみれば、軽い言葉を操るのは政治家だけではない。私たち一人ひとりが言語表現の力を鍛え上げ、彼らの貧弱極まりない人間性を圧倒しなければならない。この機会をとらえ、本来、ありふれた表現でも魂のこもった言葉を用いる人間がどれほど魅力的であるか、また、心がけ次第でどこまでも理性的・平和的な対話を根気強く積み重ねる頼もしい大人になれるか、私たち自身、次世代を担う子どもたちに示す必要がある。

 そうすれば、全人類的課題のひとつひとつを率先して克服しようとする日本国民の姿がそこに見出される日も近い。そのためには、日本国民としての当面の試練を乗り越えねばと歯を食いしばる思いである。

(今村与一 横浜国立大学教授)

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ