【安保法案反対 特別寄稿 Vol.328】 論理的に破綻していても平気でいられるのは、知性がない証拠 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 東京大学教授・横山順一さん

このエントリーをはてなブックマークに追加

 わが国は、敗戦後70年になんなんとする歳月を、戦争によって他国民を一人も殺すことなく、また自国民にも一人の戦死者を出すこともなく、歩んできた。この事実は重い。さらに、つい最近まで武器の輸出を慎み、世界のどこでどんな紛争が起こって死者が出ようとも、日本製の軍用武器によって殺される人は一人もいなかった。この事実も極めて重い。

 これらによって世界の中で日本はまさに「名誉ある地位」を占めてきた。大震災後の原発事故によって大いに毀損したとはいえ、日本は誇るに足る立派な国であり、わたしは日本人であることに誇りを持っているが、その論拠は、右翼の諸君が言い立てるような国粋主義-排外主義にあるのではなく、こうした平和主義をつらぬき、天然資源を浪費することなくおおむね豊かで安定した社会を築き上げてきた点にこそあると考えている。

 これに基づいてわが国は本来の積極的平和主義外交を展開すべきなのだが、愚かなるわが外務省(※注1)はその意思も能力も持っていないのは残念なことである。国連の常任理事国はすべて武器輸出大国であり、これらを中心とした平和回復と称する軍事介入は、結局のところマッチポンプをしているに過ぎない。ましてや、米国が正義の戦争をしてきたわけではないことは、ベトナム戦争やイラク戦争の結果を見れば明らかである。わが国がこうした軍事介入に荷担する義理を持たないことは論を俟たない。

 ところが、現在政府与党を預かる人々は、「押しつけ」憲法を廃し自主憲法を制定することを党是しているはずなのに、米国政府内でさえ間違っていたと認識されるベトナム戦争を間違っていたと言うことすらできないばかりか、上述のようなわが国の立ち位置に対する理解も敬意も持たず、ひたすら米国の従僕(ポチ)として邁進すべく、戦争法案の成立に腐心しているところである。このことは、敗戦後70年に亘って守り続けてきた平和主義をないがしろにするだけでなく、彼らの本来の立場とも相容れないものであるはずである。ところが、国際紛争を小学生の喧嘩と同列にしか捉えられず、「わたしは総理大臣なのだから、わたしの言うことに間違いはない」などと公言して憚らない人物が頭目に選ばれ、しかもこの期に及んでなお表立って反対する声が中から上がってこないのだから、この人物を選んだ人々も同じ穴の狢なのであろう。論理的に破綻していても平気でいられるのは、知性がない証拠である。

 立憲主義さえ理解できない彼らに、学問の自由など考えが及ぶことは到底ない。国立大学に君が代日の丸を「要請」してみたり、あまつさえ、国立大学には文系学部はいらない、などといって大学「改革」を要求してみたりするのも、根は同じ、反知性主義である。最近わたしは彼らの目論んでいることを見ると、その思想は、医者や教師やその他インテリを捕らえて皆殺しにし、カンボジアのいっそうの荒廃を招いたポル・ポト派や、バーミヤンの世界遺産を爆破してしまったタリバンなどと大して変わらないのではないか、との思いを禁じ得ない。これらの例を引くまでもなく、未来を見据えず、現在を破壊するのはたやすい。その意味ではインテリとは弱いものである。ましてわが国には、長いものにはまかれろ、という悪習がある。放送協会の報道が天皇の護憲発言さえ自主的にカットするような状況になってしまったことはその一つの表れである。

 本書を繙き、苦労を厭わず電磁気学を修めようとする読者諸賢は、知性が未来をひらくことを信じ、学ぶ人々であり、その意味では反知性主義とは対極にあるものである。わたしたちはこのことを再確認し、適切に行動しよう。

(※注1)敗戦によって帝國陸海軍は解体されたが、その不作為によってわが国が真珠湾奇襲攻撃の汚名を着ることになった原因を作った外務省はそのまま現存していることは覚えておいてよいだろう。

2015年6月
横山順一

~「『電磁気学』の教科書 2015年度版のあとがき」より~

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ