7月中旬、2名の知らない学生が私の研究室を訪ねて来た。一瞬、成績に関わる陳情かと時節柄思ったが、彼らが発した言葉は少なからず私を驚かせた。「先生は、安保関連法案に反対する学者の会に賛同署名をなさっていますね?」
立て続けに彼らは言う。「教員として、署名の他に何かされないのですか?」
私にはもちろん直接の戦争体験はない。しかし、母方の祖母の家で育った私には忘れられない子供のころの記憶がある…。
私には、母方の伯父が4人いたはずだが、私はそのうちの2人しか知らない。残りの2人は中国とビルマで戦死しているからだ。母や伯母によれば、戦死の報を受けたときの祖母の狼狽は、それは激しいものだったらしい。玉音放送のあった8月15日、祖母の家では「御真影」が壁から外された。国や戦争に対する祖母の憎しみは極めて深く、私は幼少時に戦争の話をよく聞かされて育った。
祖母は私が小学2年生のとき認知症を発症した。それから毎夜のように、常に南西の方角を向いて、2人の伯父の名前を叫んだ。ただ叫んだ。何度も何度も繰り返し…。その叫びは祖母が他界するまで続いた。
「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。」と安倍首相は戦後70年後談話で言った。しかしながら、もし「尊い犠牲の上に」という言葉が、「尊い犠牲があったからこそ」という意味を含んでいるとしたら、それは本当だろうか。尊い犠牲は今の平和のために避けられないものだったのだろうか。
日本は昭和天皇の開戦の詔勅で「帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲」と言って戦争を始めた。玉音放送(終戦の詔勅)においてでさえ、昭和天皇は「米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ」と言っている。「自存自衛」のための「尊い犠牲」だったのか。
しかし、その「自存自衛」とは、日本が明治以降他国を侵略し、拡張してきた領土を基準としてのことであり、さらにその支配を拡大しようとしていたことは明白である。ポツダム宣言も、「日本国国民を欺瞞して世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた…」と指摘している。
もし、日本が真摯に平和を求め、領土への執着を捨てていたら、戦争は避けられ、尊い犠牲は払わずに済んだ。一部の人は、国の威信や国益を傷つける選択は出来なかったと言うかも知れない。しかし、威信と生命とどちらが大切なのか? 国益と生命とどちらが大切なのか? 国のために民がいるのではない。民のために国があるのだ。今再び「自存自衛」のため、「存立危機事態」に対処するために集団的自衛権を認めてしまえば、軍事同盟を通して、また愚かな戦争を繰り返すことになりかねない。
「周辺環境が変化してきた」と首相は言う。しかし、冷戦時の方が、ソ連のために今よりはるかに周辺環境は危険であった。首相は、周辺環境の変化として中国の軍事費増加、南シナ海の埋め立て、東シナ海のガス田建設について語る。確かに、これらの中国政府の活動に疑問は多い。行き過ぎた他国の行動には、外交努力によってこれを改めさせる必要がある。
しかしながら、中国政府と中国に住む人々とを混同してはならないということも忘れてはならない。残念ながら昨今、中国人が日本人を嫌っているから、我々も中国人を嫌ってもよいかのような風潮がある。確かに、いわゆる反日教育によって、中国人の一部には日本や日本人への誤解もある。しかし、誤解があるからこそ対話が必要であり、誤解は対話によって長い時間をかけて徐々に解いていくしかない。
一方で、決して武力では真の解決は有り得ない。武力で抑え込めば、憎しみが消し去れぬ禍根として残り、将来より不幸な結果を生むことは歴史が証明している。繰り返して言う。国の政府と、その国の人々は別である。政府間のいがみ合いの結果の戦争で、人間同士が殺し合う。これを正当化するどのような理由があろうか。日本人であれ、外国人であれ、誰一人戦争のために失われてはならない。日本は戦後70年、戦争で一人も殺さない「良い国」であり続けた。戦争をしてしまう「普通の国」に日本を貶めてはならない。
現政権は、たかだか2割程度の絶対得票率で衆議院の大勢を占めたことに驕り、過半数が反対する民意を無視し、明らかに憲法違反の安保関連法案を数の力で押し通そうと、国民の総意、合意を基本とする民主主義を矮小化している。首相や閣僚は、国会での質疑に誠実な対応すらせず、「YesかNoで答えてください。」と質されてもYesもNoも言わない。このような中身の得られない国会審議を、その時間の長さだけを根拠に、「議論を尽くした」と言う。その時間の長ささえ、11本もの法案を同時に審議するから一見長く見えるだけだ。国民を愚弄しているのか、戦争を火事や喧嘩に例えて話し、「分かり易く説明した」と言う。憲法学者のほとんどが法案を違憲と意思表明すると、「憲法の番人は最高裁判所であり、憲法学者ではない」と言い、憲法学という学問を否定する。砂川判決が認めた「自衛権」に、「集団的」があたかも付いていたかのように言い、金科玉条のように合憲の根拠と繰り返す。これだけ悪質な政権が過去にあっただろうか。我々は、決してこれを座視してはならない。
安倍首相は、本当は憲法解釈の変更だけでなく、現憲法そのものを変えたいに違いない。安倍首相に限らず、改憲論者はいつも「現憲法は押し付けられたものだ」と言い、自主憲法の制定を主張する。しかし、憲法を変えるべきか否かは、それが押し付けられたかどうかで決まるものではない。どのように作られたにせよ、悪い憲法なら変えなければならない、良ければ変えなくてよい。ただそれだけの話である。私はよく議論される9条を素晴らしい条文だと思う。理由は単純で、世界中の国々が9条を持てば、決して戦争は起きないからだ。このような理想を言うと、いつもそれが現実的でないという人がいる。しかし、まず理想という目標を持たないで、どのような現実的な行動ができるのか。
私は早速、学生たちと具体的な相談に入り、幸いにして学内に多くの協力者を得て、学習会の開催、署名運動、100大学共同行動への参加と、運動は急速に広がっていった。我々神奈川大学有志の運動は、日本全体から見れば、ほんの一部に過ぎない。
しかし、逆に言えば、全体の運動も一人一人の運動の結合であることも事実だろう。歴史はあたかも一部の傑出した英雄たちが築いてきたかのように語られることが多い。しかし、それは一面に過ぎず、その陰には、多くの無名の人たちの地道な働きがある。有名な政治家だけで、歴史が作られるわけではない。逆に、我々は重要なことが起こっているときに、自分にすぐには関係がないからと言って、何もしないという選択をしてはならない。人生が私たちに問いかけるとき、私たちはそれに答えねばならない。
ご存知の方も多いと思うが、ドイツの牧師マルティン・ニーメラーの詩を最後に紹介させていただく。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。
私は社会民主主義ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」
(マルティン・ニーメラー財団による作成、訳はWikipediaによる)
ニーメラーは反ナチ運動を展開した結果投獄され、1937年から終戦までの8年間を強制収容所で過ごした。戦後は平和運動に尽力した。
私はこの詩を思い出させてくれた学生たちに感謝する。我々は、今こそ立ち上がらなければならない。
(木村敬 神奈川大学理学部教授)