私が、現在国会で審議中の安全保障関連法案に反対する理由は複数あるが、その中から二点について述べたい。アメリカ研究が専門であるので、一応その立場から私見を述べたい。
今回の法整備、またこれまでの防衛庁から防衛省への昇格、防衛予算の上昇などを見ていると、第二次世界大戦時から冷戦時にかけてアメリカが安全保障国家の道を歩んでいった過程を、日本は追いかけているように思えてならない。
アメリカでは、これに呼応して、大学その他の教育・研究にも国防予算との繋がりが増え、軍隊からの委託研究が増えた。アイゼンハワー大統領自身が産学軍複合体を離任演説で批判したが、安全保障国家は国家機密の保全という立場から、国民の知る自由、報道の自由、また学問・教育の自由を制限する方向に働くことが多い。
また、戦後のアメリカ国内の、FBIによる共産主義者や外国人の監視、CIAによる海外での反アメリカ勢力の破壊工作などをみると、安全保障をやみくもに重視し始めると、国内でのマイノリティへの不信感、また国内外での「テロリスト」の予防的拘禁などがおこる可能性がある。アメリカやヨーロッパに比べて、市民による国家、軍事機構への監視は、日本ではいまだ弱く、ある種の恐怖感がでてくると、司法、行政、立法の三権の分立も弱まり、一つの傾向に流れやすいこともある。
つまり、戦後70年たっても、いまだ民主主義的チェックの弱い日本の現状で、憲法から逸脱する形で、アメリカ型の安全保障国家の方向に制度的に突き進んでしまうと、アメリカ以上に悪い結果になることが考えられるのである。これが、私が、法案に反対する第一の理由である。
さらに、安倍政権は、この法案を成立させて、日米の「信頼関係」と「友好関係」を固める必要があるという。言い換えれば、日米が軍事協力をすれば、両国は仲良くなり、ひいては欧米諸国またそれ以外の国の日本への信頼と友情が増すと主張している。
これは、本当であろうか。
歴史を振り返って、約100年前の第一次世界大戦では、日本は、その独自の利害から、アメリカ・イギリスの同盟軍となった。しかし、戦争がおわり「戦勝」に勢いを得て、1920年代から30年代にかけて、日本の軍国化また治安維持法による「危険思想」への取り締まり、またアジアへの侵略が加速すると、アメリカは今でいう「ならずもの」国家となった日本への経済制裁を始めた。
第一次世界大戦終了時、必ずしも日本に批判的ではなかったアメリカの世論は、1930年代には、急速に中国の領土・主権を侵す「国際法にしたがわない」違法国家として日本を敵視するようになった。ここから太平洋戦争への道は、すでに歴史の示すところである。
アメリカは多様な人種、民族からなる多元的な国であり、世論も、共和党、民主党支持層、超保守派から左派まで多様であり、大統領や政党の交代も頻繁に起こるため、いま安倍政権がとっている路線が、1年後あるいは4年後のアメリカの世論、そしてその支持を背景にした政治家に受け入れられるとは限らない。
私の留学時代の経験では、アメリカの中では、日本の軍国主義化や全体主義化に関しては、リベラルを中心に根強い警戒感があり、今回の法案の成立により、日本が平和憲法の方向性から右にずれていき、また沿岸防備のためということで挑発行為と受け取られかねない事態が起これば、日本への批判が巻き起こる可能性も強い。
其のときに、アメリカの批判を受けて政策を転換させようとしても、いったん自衛隊の強化を含めた安全保障システムができてしまうと、各省庁の独自利害が動いて軌道を戻せない可能性が強い。つまり、今回の法案が、日米友好を固める絆となり、さらに軍事的「国際貢献」によって世界に愛される日本になるという宣伝は、歴史的にみて怪しいのである。これが、私がこの法案に反対する第二の理由である。
むしろ、長期的にみれば、日本が軍事的に消極平和路線をとり、文化・教育・外交でより積極的で人道的な姿勢を示すこと(難民受け入れ、マイノリティ人権保護、医療などの支援、国際機関で活躍できる人材の育成など)、情報公開を含めた開かれた社会を作ることのほうが、日米の友好、そして日本と他の国との友好に、はるかに役立つと思えるのである。
第一次世界大戦に反対し、停戦直後に夭折したアメリカの思想家ランドルフ・ボーンは、「戦争と知識人」の中で、知識人が戦争に積極的に関わることで、戦争の流れを進歩的な方向に変えることができると主張する戦争擁護派に対して、次のように書いた。
「戦争をコントロールすることができるかという話になると、狂った象の背中に乗った子供のほうが、地上にいてその猛獣の暴走を止めようとしている子供よりも効果的かどうかは疑わしい…。流れのなかにあって、リベラルな目的のために流れをコントロールするには、船に同乗するしかないと彼らはいう…。しかし、彼らが現在の流れにそって漕いでいく船の行き着く先は、大惨事や国民生活の疲弊であるかもしれない」と。
彼はまた、「戦争に対して敵意を持ち続けている知識人は、その反戦の論陣を堅牢なものにするためにもっと大胆に進んでいかなくてはならない。古い理想は崩れ去ってゆく。そして新しい理想が作りだされなくてはならない」とも書いた。
発表の場が失われる中で、当時の状況で、勇気ある発言だった。いま、あらためて、自らの思想の根拠をどこにおくかと問われれば、私には、立ちすくんでしまう弱さがある。しかし、少なくとも、この法案提出が象徴している現在の流れに抗することが必要だと私は思う。
(京都大学教授 前川玲子)