【安保法制反対 特別寄稿 Vol.247】 多大な被害を被った犠牲者ほど、被害事実を訴えることができない 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 後安美紀さん

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 ここのところ国会の安全保障がらみの審議中継をテレビニュースで見たが、佐世保で米軍通訳をしていた義父のことが、何度も頭に思い浮かんできた。

 偉い人たちが大義名分を掲げて命令を出すこと、それ自体は、当然の行為だといえる。

 しかし、偉い人たちが考えている以上に、命令を受けて実際に現場で働く兵士たちは過酷な環境に身を置いていることもまた、事実であるといえる。

 長崎生まれの義父は、友人を何人も特攻で亡くし、恋人を原爆で奪われたあと、戦後は米軍通訳として身を立てた。

 しかしながら、そこで知り合った一番の親友の黒人兵が、異動先のベトナムで戦死したことをきっかけに、反米闘争に身を投じた。そのあとは、電気やガスがたびたび止まる貧しい生活になった。

 戦死した黒人兵のことを、夫は、ジョンおじさんと呼んでいた。休暇のたびごとに、長崎の自宅に遊びに来て、当時子どもであった夫のこともかわいがってくれたそうだ。ワンダラウォッチ(1ドルの腕時計)をもらったと言っていた。ベトナムに赴任する前も、それを報告しに、うちにやってきたそうである。

 敗戦当時の日本にやってくる米兵のほとんどは貧困層出身者、主に黒人である。義父は通訳をしていた頃、自分の名前を書けない彼らにアルファベットを教えたり、ラブレターを代筆したり、かけ算の仕方を示したり(最初は「魔法を使うな」と信じてもらえなかったそう)、愛読書ゲーテ詩集のなかのお気に入りの詩を英訳して聴かせたりしたそうだ。

 義父がそのお礼として彼らから教えてもらったものは、米口語、ジャズ、ダンス、分厚いステーキ、などなど。当時の日本人には夢のような世界である。

 義父は「ラッキー」というコードネームを与えられていた。まるで犬のような名前である。しかし、ラッキーは思いの外賢かった。「ラッキー、おまえは敗戦国の人間なのに、少なくとも俺より賢い」と、いつの間にか米兵たちの信頼を得たという。ゲーテの詩を英訳したときは、「なぜ敗戦国のドイツ人がこんなに美しいものを書けるのか」とびっくりされたそう。

 そのうち彼らは「敗戦国は決して野蛮ではない。合衆国は何も自分に教えてくれなかった。ラッキー、おまえは文字と数学を教えてくれた。おまえの言うことのほうを信じるよ」と言って去っていったそうである。また当時の米兵の大方のものが、レイプを犯す米兵に対して、あいつらは人間の屑だと軽蔑していたそうである。

 当時上官にあたる白人と下級兵の黒人とは食堂も別々で、お互いに対等に話し合うということなど絶対なかった。コードネーム「ラッキー」はフリーパスをもらっていてどちらにも出入りできた。上官は下級兵の不平不満をラッキーを通じて知ることができた。

 義父は狂乱の20代の頃、何を考えていたのだろう。なぜ、30代になって「おいしい」地位を捨て、安保闘争で投獄されるようなことまでしたのだろう。

 戦争はとても残酷なものである。実際に多大な被害を被った犠牲者ほど、被害事実を訴えることができない(死人に口なし)。

(後安美紀)

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ