【安保法制反対 特別寄稿 Vol.220】 戦争放棄の条文を持つ憲法の意味 「安全保障関連法案に反対する学者の会」賛同者 群馬大学大学院理工学府教授・太田直哉さん

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 私の専門は科学技術であり、憲法や政治の知識に関して、専門的な知識がある訳では無い。しかし物事を分析し、本質を考えることが仕事であるので、歴史や政治に対しても同様にする癖はある。そのような視点から現政権の動きを見ていると、独裁政治への布石を着々と打っているように思える。具体的には、9割の憲法学者が違憲だと判断している法案を通すメディアに対して間接的に圧力をかけるなど、他の皆さんも多く指摘していることがそう判断する理由である。これに関しては反対の意志を表明すべきであるので、私は「安全保障関連法案に反対する学者の会」に賛同するという行為で、それを表明した。

 現在日本は、分水嶺に当たる位置にいると思う。もし安倍政権の思惑が通り、安全保障関連法案の成立を手始めに憲法改正に進めば、いつの日にか戦争を行うようになる。日本の歴史のみならず、世界の歴史からも何も学ばず、悲劇を繰り返す国になる。

 一方、市民の活動が実り、平和憲法を守り生かす方向に進めば、我々はより平和について考える国民になれると思う。その場合、安倍政権は平和国家日本に対して大変な貢献することになる。国民に、平和憲法を持っているだけでは何も守られず、継続的にそれを守り生かす努力をしなければ、平和は維持できないということを教えたことになるからである。ナチスドイツは、その当時最も民主的内容を持つといわれたワイマール憲法下で生まれた。我々はこの歴史から学ぶべきである。

 さらに今回の国民の意識の高まりが、世界でも稀なる戦争放棄の条文を持つ憲法を持つということの意味を皆で考える機会を与えてくれていると思う。改憲主義者は、世界の先進国で憲法にこの様な条文を持つ国はなく、日本が普通の国になるために憲法改正が必要だと主張する場合があるが、これはまわりと同じでなければいけないという日本人の暗黙の思考の傾向に乗じた意味の無い主張である。

 日本は普通の国、すなわち戦争をする国であってはいけない。日本は特異な国であり、様々工夫と試行錯誤により武力を使わず安全保障を担保する。それを実践することによって、それが先進国の進む方向であると示すのが役割と考える。

 ただ現実問題として、他国が武力を以って日本に攻め入り、殺戮を始めたら武力なしで制圧できるかを考えたとき、それは無理であろう。そうならないようにあらゆる手段を尽くすが、武力侵略が起こってしまったとき、平和憲法は無力である。我々が単に殺されてしまう。現実には自衛隊があるので、これは大変極端な議論であるが、理論的に平和憲法を持つということの究極の議論をすれば、相手に殺されても相手を殺さないことを選択するという、非常に厳しいことを国民に課しているという側面も理解して、平和憲法を選択すべきだと考える。結局の所、敵と殺しあって両方とも死ぬか、我々は死んでも敵は生かすことを許すかの選択である。

(群馬大学大学院理工学府教授 太田直哉)

安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ