【安保法制反対 特別寄稿 Vol.190】 SEALDsデモ参加 国会前スピーチ 「安全保障関連法案に反対する学者の会」呼びかけ人 同志社大学教授・岡野八代さん

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 みなさん今晩は。京都から参りました、岡野八代と申します。

 わたしは、安倍晋三氏が2012年の自民党総裁選から掲げ始めた、憲法第96条先行改憲案という考えに反対し、それ以降、京都で京都96条の会を主催してきました。大変小さな会ですが、二月に一度ほど、市民の方々と憲法の歴史、意義、そして立憲主義について考える会を開催しています。

 その際、どうやって多くの市民の方に関心をもってもらうか、これまで憲法について関心のない層に、どのように訴えるのかが大きな悩みでした。その意味で、こうして多くの人に訴えかけ、魅力あるデモを始め、運動を広げているSEALDs のみなさんには、心より敬意と連帯の気持ちをお伝えしたいと思います。

 また、関西からも多くの方からエールを言付かってきました。わたしもみなさんの運動から、多くの力と励ましを受けているように感じています。こうした多くの市民が反対し、不安に思い、立ち上がっているにもかかわらず、安倍内閣は、明らかに違憲の戦争法案を通そうとしています。国会議員の数、そして80時間という審議の時間をもって、審議は尽くされたと言い放ちます。

 内容を伴わない、本質を問うことなく、数や時間といった量の多さで、法律を、しかも違憲の法律を通そうとする、安倍政権のやり方こそが、彼らが立憲主義とはなにかを、理解していないことを明らかにしています。

 立憲主義が守ろうとしているものはなにか。立憲主義の価値とはなにか。それは、わたしたち一人ひとりに備わった尊厳、憲法13条で最大限保障されている、個人の価値、自由、そして幸せを夢見て追求する権利です。

 それは、数の力はいうまでもなく、誰も侵しえない、究極の価値です。ですから、立憲主義の下では、個人の尊厳を守るためにこそ、国家は存在しています。決してその逆、つまり国家のために個人があるのではありません。

 わたしは、現在、立憲主義を破壊するために提出された法案が、戦争法案であることには、一種の必然性があると考えています。つまり、戦争を準備する国は、そもそも立憲主義には相容れないと考えているからです。戦争する国は、立憲主義を必ず破壊する。そのことを考えるために、一つだけ具体的な話をさせてください。

 わたしは、2002年の9.11同時多発テロ以後、1年たったアメリカ、ワールドトレードセンターのあったマンハッタンに1年半滞在していました。

 当時、アフガニスタン攻撃を始めたブッシュ政権に、マンハッタンの市民の多くは反対し、今日のわたしたちのようにデモを行っていました。わたしは、take back the future 「未来を取戻せ!」という女性たちが、中心となって立ち上げたグループのなかで、反戦デモに参加していました。

 なぜ、9.11同時多発テロの被害にあったマンハッタンの市民は、ブッシュ政権の武力行使に反対していたのでしょうか? その理由は、三つあります。

 第一に、テロ行為の後の悲しみ、恐怖、そしてなにより、再びテロが起こるのではないかといった不安を、武力行使はまったく解消してくれなかったからです。

 第二に、これはわたしも日々実感しましたが、アメリカの武力攻撃は、テロが再び起きる可能性を減らすことがないどころか、むしろテロの可能性を高めたからです。当時、毎日のようにテレビでテロ危険アラームが表示され、アメリカが武力行使すると決まると、黄色からオレンジ、ときに最高の危険度を示す、赤へとアラームが変わりました。武力行使は、決して市民の安全を守れないのです。

 最後に、戦争をする国は憲法、とくに国民の権利を定めたアメリカでは、Bill of Rights と呼ばれていますが、憲法上の国民の権利を侵害するからです。わたしが参加していたtake back the future では、このBill of Rights 「権利の章典」を守れ、というのが一つの大きなスローガンでした。

 ところが、ブッシュ政権は、こうした市民たちの反対の声にもかかわらず、2003年3月にイラクに対して宣戦布告をします。大量破壊をフセイン政権は開発しているという、21世紀最大のでっちあげだとわたしは考えていますが、同時多発テロとはなんの関係もない、イラクに戦争をしかけたのです。

 そして、戦争が始まると、いっきに反対する市民の声はメディアからもなくなり、社会的な自粛がアメリカを覆い始めます。このときのアメリカメディアの自粛、それは、どこかの文化人を呼んだ最近の勉強会で政治家が発言したように、スポンサーがなくなる恐怖から、メディアは自主規制をし始めます。

 この自粛の圧力を生んだのは、戦争遂行中に戦争を批判する者は、戦争の犠牲となった英雄である兵士を貶めている、という主張です。つまり、国のために命を賭け、実際に命を落とす兵士を侮蔑することは許されない、という認識が広がりました。戦争で国のために犠牲になる兵士が出れば、犠牲を強いている戦争自体も批判できなくなるのです。

 いま、安倍政権は、自衛官のリスクについて、しぶしぶ認めるような態度をとっていますが、彼らはむしろ、国のために命を捨てる国民を欲しているのだと、わたしは考えています。

 ですから、安倍は靖国神社の参拝も欠かせません。戦争による犠牲者を英雄視する行為は、戦争に対する批判を封殺することができるからです。そして、国のために犠牲になる国民、国家のために存在する国民という、立憲主義をさかさまにしたような国家主義がそこに完成します。実際、安倍晋三は、アメリカと同等なパートナーシップを結ぶためには、日本人も血を流す必要があると、著書では語っています。

 国家は、個人の尊厳を守るためにこそ存在しています。国家のためにわたしたちは、生きているのではありません。立憲主義を手放さない、つまり、戦争も許さない、そして、わたしたちは安倍政権を許さない。この一点で、今後もさらに強力な声を挙げていきましょう。

「安全保障関連法案に反対する学者の会」呼びかけ人
 同志社大学教授 岡野八代

 
(編集部注)
2015/06/21 【京都】SEALDs KANSAI ▼After Party▽ ーゲスト 岡野八代氏
2015/06/13 【京都】第9回憲法サロン ―対談 高橋哲哉・東京大学教授、岡野八代・同志社大学教授

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ