【安保法制反対 特別寄稿 Vol.181~Vol.190】 「私は屈しない」「法とは人間の論理であり理性である」「私たち母親世代も声を上げましょう」

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【安保法制反対 特別寄稿 Vol.181~Vol.190】

Vol.181 不断の努力を怠った戦後世代の責任

 2015年7月26日、ママ達のスピーチとパレードに出会いに渋谷に出る。婚約中の娘と共にだ。「戦争法案」成立後は米軍の兵站を担うやもしれぬ彼を、娘は本当に深く愛している。歴史の矢面に否応なく立たされることが、現にあるのだ。

 晋三さん達が憑かれたように憲法破壊に暴走する状況を、許してしまった敗戦後“自責の世代”として、娘達に若者に本当に申し訳なく思う。

 堂々たる⁈ 「立憲」国家『大日本帝国』を取り戻したい世襲政治家晋三さんは、上級臣民階層の末裔であるが、圧倒的多数の中、下級臣民層の子孫である我々の覚悟が、絶望的に不足していた報いなのでしょうか。

 父方の祖母は、2度の徴兵〜中国南京戦兵站部隊と、飢餓のニューギニア戦線マラリア帰還の幸運を心底は喜ばず、「星一つのままの帰還」を嘆いたと母は伝える。後に長男の病死で家業を継がせた次男の「名誉の戦死! 二階級特進」の方が、世間体が良かったなどとは決して思いたくはないのだ。

 母方の祖母の口癖は、「B29が憎い、憎い! 」程なく70周年を迎える「神都宇治山田」大空襲で、全てを焼かれた被害者。長きにわたる海外での侵略行為の報いでもある、といった私の呟きを聞く耳はなく「科学技術で負けた。今度は絶対に負けんようにしっかり理系の勉強をしなさい。日本の為に仇を討って! 」という強烈な煽りに、苦笑いを返すしかなかった。

 銃後の守りの母達の狂気。めまいを催す思い出 。自己中心的な世間体や、被害者意識に満ちれば、植民地支配や侵略戦争の責任を問う意識など、生まれようもない。本土庶民層の戦争体験の歪さ。

 変わり身早く「降ってきた民主主義」の形だけの実践

 東西冷戦を背景にした歴史的幸運での戦後復興高度成長

 世の中は進歩し豊かになっていく明るい未来

 底の浅い楽観 根拠のない自尊

 『不断の努力』を怠って、幾重にも、軽薄な代議制民主主義の暴走を許してしまった敗戦後自責の世代に、SASPL時代の若者の言葉が光り響いた。

 『民主主義が終わったのなら、また始めればいい‼ 』

 民主主義って何だ⁉ 何だ‼ 民主主義って何だ⁉ 何だ‼

 闘いの夏2015、知恵と元気を分かち合って歩もう。

(三重南島)

Vol.182 私は屈しない

 私は戦争法案をはじめとする、一連の戦争国家化への動きに反対します。

 私は学業を失敗して身体・精神・人間関係を壊しました。ある程度持ち直して、現在は派遣社員をしています。子供も相方もいません。そのような存在はついに現れないのかもしれません。仕事自体は楽しく、それなりの意義をもってやっています。しかし将来のことを考えると、絶望の心境になる時があります。自分のことについてだけではありません。

 311後、終わらない原発事故の悲惨さ、災害や事故被害の大きさに驚き、悲しみ恐怖していたら、 ・・・対応の不誠実さ、多重請けでずさんな被曝管理の下で行われている事故処理、必要な所に届かずプールされた赤十字義援金、放射能を封じ込めようとせず、むしろ拡散させた「絆」広域処理、危険性があっても実害があっても「風評被害」、「食べて応援」、差別排外主義者の跋扈、原発再稼働、「美味しんぼ」被曝による鼻血の描写を攻撃、意味不明な「冷温停止」、「はだしのゲン」への攻撃、TPP、「(国民を)アンダーコントロール」、秘密保護法、派遣法改悪、県でまとまっているものを押しつぶそうと、県外の事業体を巻き込んで進める沖縄の基地増強・・・ おかしなことが次々に露見していく日本。嘘で塗り固められていく日本。

 家族にこれらのことを言うと話をはぐらかし、口をつぐみます。彼らは毎日のように、ニッポン賛美のテレビ番組を視聴しています。親戚の集まりでは、在沖米軍基地関連で仕事を受けている会社があるとの話(私はいわゆる「本土」の人間です)、現政権を支持しておけば、事業は安泰との話がありました。

 生計を立てることとは、人の間で生きていくということとは、一体何なのかと考えさせられました。

 人は、自分の置かれた悲惨な状況を納得するために、支配者に過剰に同調したり、根拠の乏しい甘言にすがったりすることで、自己正当化を行うことがあります。311後の福島などでも起きています。その正当化は支配者の望む通りの展開を呼び込みます。

 支配層は計算して仕掛けてきています。派遣法改悪や残業代ゼロ法案などは、国民の貧困化を支えます。国民の貧困化は、経済徴兵制を可能にします。彼らは一部の人間を金儲けに駆り立て、残りの人間をあきらめさせて、この流れに従わせるのではないでしょうか。

 たとえこの法案が通ったとしても、多数が賛成に転じたとしても屈せず、1人の人間として、戦争法案をはじめとする一連の戦争国家化への動きに、反対していきたいと思います。

(ひで)

Vol.183 戦争法案絶対反対!

戦争法案、廃案にするまで絶対に諦めません!

(Kimisan)
普段は「大間原発訴訟の会」と、「Shut泊」の会員として脱原発運動をしております。

Vol.184 神宮競技場の記憶を継承する

 これは友人の経済学者安富歩(東京大学教授)さんが私のために描いて送ってくださいました。

 神宮外苑の新国立競技場計画は白紙撤回になりましたが、私は前の東京オリンピックが行われた二代目競技場を直して使う事を提唱していました。

 神宮外苑は青山練兵場で、初代の競技場は大正13(1924)年に建ちました。ここで戦前、吉岡隆徳や南部忠平などが活躍しました。しかし日米が開戦されると兵力不足から学業半ばの若者が動員され、昭和18(1943)年10月21日にはここで出陣学徒壮行会が7万人の人を集めて開かれました。題して「競技場の活用例」。

 学徒だけではなく、農民も、漁民も、もっと先に戦争に駆り出されました。「戦争だけはしちゃダメだ」それは子供の頃、親や大人たちから何度聞かされた言葉だったでしょう。

 新国立も、安保関連法案も両方白紙撤回です!

(作家、神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会共同代表 森まゆみ)

Vol.185 法とは人間の論理であり理性である

 そもそも憲法や法律は、何のためにあるのだろうか。

 1936(昭和11年)年、日中戦争の前年、憲法学者の末弘厳太郎(すえひろ いずたろう)は、2年前の軍部ファシズム政治が引き起こした学問・思想の支配である「天皇機関説問題」(1934年・昭和9年)について、次のように述べた。

『近代法学は政治の上に、政治を支配する法律原理を求めることにある。政治の力をもってしても動かし得ない法律を樹立し、これによって政治の安定を図ることが法学の使命だ。しかし近年、法律を政治の下に置こうとする傾向が随所に現われつつある』

 敗戦後の1947(昭和22)年に制定された『日本国憲法』はまさに、この法律原理を具現化したものと言えよう。しかしながら、末弘厳太郎の言葉から67年後の2003年、小泉純一郎(と安倍晋三)は、憲法改正以外に全く不可能な自衛隊の海外派兵を「非戦闘地域」と「日米同盟」のごまかしで正当化し、法律(憲法)を政治の下に置く愚行を「政治改革」と強弁した。

 法とは人間の論理であり、理性である。人間は『言葉』(=法)で縛られるからこそ、崇高な存在足り得るのだ。

 今や政治家(権力者)の軽薄な傲慢さは、自らの知性と品格の欠如を顕にするだけではなく、日本の教育と文化と、平和を破壊し、またいつか来た途へ、取り返しのつかない事態をもたらしつつある。

 2007年5月3日(憲法制定から60年)

補足)2009年の民主党政権交代後の普天間移設問題の裏切り、それに続く2011年の原発事故後の状況は、「憲法の平和的生存権」そのものが日々侵害され「憲法と何か」、「民主主義って何か」が問われ、立憲主義が人口に膾炙するようになりました。しかし、立憲主義の根本には、人間の本質としての言葉(ロゴス)そのものがあると思っています。

 ロゴス(理性)を失った人間は、過去のファシスト同様に、欲望のままに赴くもの以外の何物でもありません。その意味でも安倍政治は、人間の尊厳に対する冒涜です。ですから、純真な若者にとっては全く許しがたいものなのです。

(窪寺隆好)
2004年の「九条の会」発足に応えて2006年に横浜市の南部地区の戸塚・泉区の市民を中心に結成された「横浜南部九条の会」に参加して活動を続けています

Vol.186 戦争ができる国にしたくない

 アメリカに武力協力をすることによって、日本を世界に冠たる国にしようとするのは、非現実的だと思います。

 中国がアジアでどのような展開をしようと、武力によってではなく、周辺諸国(当然ながら韓国を含む)と連帯し、外交努力や国民同士の触れ合いによる友好関係、経済関係などにおいて調和を保つべきだと考えます。

 独りの首相の決断により非常事態宣言をし、自衛隊を派遣できる法律が制定されたとなれば、抑止になるどころか、近隣諸国から見れば、握手している袖に銃が常に隠されている状態となり、基本的に相手国とその国民に、対立感情や敵意を生む土壌となることでしょう。

 日本にとって大切なのは、アメリカに隷属してアメリカの軍事基地化することではなく、独自にアメリカとアジアとの平和的均衡を保つために、重要なポジションを確保するべきと思います。また、現在アフガニスタンはじめ、イスラム諸国で地道に人道支援をしている人々の仕事を、崩壊させる結果を生むでしょう。

 アメリカと組んだとなれば、ISなどから敵国とされ、日本国内での悲惨なテロも起き得るでしょう。イスラム諸国とも友好関係を築いてきた長年の日本の立場を深め、日本が世界の平和構築にさらなる貢献できる方向性こそ、選択すべきと思います。

 そして何より、第2次世界大戦で人生を奪われた、数え尽せない世界中の人々と、その家族の苦しみと悲しさと、そこに至ってしまった国の誤まった在り方に学べないなら、人類に幸福な未来など存在しえないと考えます。

(パート勤務医 濱本緑・市民意見の会)

Vol.187 逆噴射内閣は要らない

 立憲主義を守り主権在民で。

 先人が築いてきた地平は当たり前でも、永遠不動のものでもなかった。

 享受している皆で防衛し、次世代へと手渡す。

 それが先人への感謝 、人類の進化へ。

 原始方面に逆走退化はゴメンだ。

(はもー TPP交渉差止・違憲訴訟の会)

Vol.188 ABeCD(安倍支持)Down,Down

 ABeCD. NO, THANK YOU.

 AB, AB. No, Thank you.

 Abe Cabinet. No, Thank you.

 A Bomb, A Bomb. No, Thank you.

 CD, CD. No, Thank you.

 Collective Defense. No, Thank you.

 Constitution Coup D’etat. No, Thank you.

 ABeCD. NO, THANK YOU.

(Triple Niner 憲法9条+99条)
※ AB と声を挙げれば、Abe とも聞こえます。ABは、また、Atomic Bomb (原爆)の略でもあります。8月を目前に痛切な思いがあります。CDは、集団自衛権(Collective Self-defense)の略ともなり、憲法クーデター(Constitution Coup D’etat)の略でもあります。

Vol.189 私たち母親世代も声を上げましょう!

 再度、投稿させていただきます。

 私には25歳の息子と22歳の娘がおり、丁度SEALDsの皆さんの母親世代です。大切に大切に育てた我が子を戦争に取られてもいい、と思う母親など、この世に存在しません。

 私たち母親世代も声を上げましょう! 安部政権にNOを突きつけましょう!

 民主主義・基本的人権・立憲主義、これらの言葉は戦後生まれの私達にとって、あまりにも当たり前であるが故に、今までその中身を真剣に理解しようとしてこなかったのではないでしょうか。授業で習った単なる机上の知識でしかなかったと思います。でも、今回の安部政権の暴走により、皮肉にもその内容の大切さを痛感しています。

 民主主義は多数決を意味するのではなく、多数派と少数派が互いの意見を擦り合せることにより、双方が納得できる着地点を見出すことですが、強行採決はこれに反している。戦争できる国になるということは、幸福な人生を希求できるという基本的人権の生存権に反している。集団的自衛権は憲法違反であり、立憲主義に反している…安部政権は勝手にこの国の根幹を変えようとしている、と言わざるを得ません。

 でも、悲観はしません。今こそ私達国民が目覚め、理解し、行動し、日本にうわべだけではない、民主主義を根付かせることができるチャンスだ、とも思うのです。

 私にはデモを立ち上げる勇気や力量はありませんでした。でも、立ち上げて下さったデモや勉強会に参加し、協力することは出来ます! 今回、人生で初めて、デモにも参加しています。正直、参加に躊躇する気持ちもありました。が、参加ではなくて見学のつもりで、という古賀茂明さんの言葉に共感し行ってみると、野外コンサートのような親近感にあふれ、真剣かつ温かな共通意識にあふれていました。

 日本を再び戦争できる国にしてはなりません! 戦争できない国だからこそできる国際貢献を、今後も続けるべきです。今、自分にできることは何か、子供や孫が戦争と無縁でいられるために、今、何ができるか…

 友人と政治の話をする、デモに参加する、無理のない範囲でカンパをする、IWJを始め正確な情報源からの情報収集に努める、政党にメールを送る、議員事務所にFAXを送る、私はこのような活動をしています。

 集団的自衛権以外にも原発再稼働、TPP、秘密保護法、武器輸出3原則、派遣法改正、マイナンバー…、本当にいろいろ起こっています。

 今、人任せではなく、まさに私たちひとりひとりが考え、感じ、行動する時だと思います!

(内田明子)
賛同:Forum 4
署名:戦争法案に反対する東大有志の会、自由と平和のための京大有志の会、安保法案に反対するママの会

Vol.190 SEALDsデモ参加 国会前スピーチ

 みなさん今晩は。京都から参りました、岡野八代と申します。

 わたしは、安倍晋三氏が2012年の自民党総裁選から掲げ始めた、憲法第96条先行改憲案という考えに反対し、それ以降、京都で京都96条の会を主催してきました。大変小さな会ですが、二月に一度ほど、市民の方々と憲法の歴史、意義、そして立憲主義について考える会を開催しています。

 その際、どうやって多くの市民の方に関心をもってもらうか、これまで憲法について関心のない層に、どのように訴えるのかが大きな悩みでした。その意味で、こうして多くの人に訴えかけ、魅力あるデモを始め、運動を広げているSEALDs のみなさんには、心より敬意と連帯の気持ちをお伝えしたいと思います。

 また、関西からも多くの方からエールを言付かってきました。わたしもみなさんの運動から、多くの力と励ましを受けているように感じています。こうした多くの市民が反対し、不安に思い、立ち上がっているにもかかわらず、安倍内閣は、明らかに違憲の戦争法案を通そうとしています。国会議員の数、そして80時間という審議の時間をもって、審議は尽くされたと言い放ちます。

 内容を伴わない、本質を問うことなく、数や時間といった量の多さで、法律を、しかも違憲の法律を通そうとする、安倍政権のやり方こそが、彼らが立憲主義とはなにかを、理解していないことを明らかにしています。

 立憲主義が守ろうとしているものはなにか。立憲主義の価値とはなにか。それは、わたしたち一人ひとりに備わった尊厳、憲法13条で最大限保障されている、個人の価値、自由、そして幸せを夢見て追求する権利です。

 それは、数の力はいうまでもなく、誰も侵しえない、究極の価値です。ですから、立憲主義の下では、個人の尊厳を守るためにこそ、国家は存在しています。決してその逆、つまり国家のために個人があるのではありません。

 わたしは、現在、立憲主義を破壊するために提出された法案が、戦争法案であることには、一種の必然性があると考えています。つまり、戦争を準備する国は、そもそも立憲主義には相容れないと考えているからです。戦争する国は、立憲主義を必ず破壊する。そのことを考えるために、一つだけ具体的な話をさせてください。

 わたしは、2002年の9.11同時多発テロ以後、1年たったアメリカ、ワールドトレードセンターのあったマンハッタンに1年半滞在していました。

 当時、アフガニスタン攻撃を始めたブッシュ政権に、マンハッタンの市民の多くは反対し、今日のわたしたちのようにデモを行っていました。わたしは、take back the future 「未来を取戻せ!」という女性たちが、中心となって立ち上げたグループのなかで、反戦デモに参加していました。

 なぜ、9.11同時多発テロの被害にあったマンハッタンの市民は、ブッシュ政権の武力行使に反対していたのでしょうか? その理由は、三つあります。

 第一に、テロ行為の後の悲しみ、恐怖、そしてなにより、再びテロが起こるのではないかといった不安を、武力行使はまったく解消してくれなかったからです。

 第二に、これはわたしも日々実感しましたが、アメリカの武力攻撃は、テロが再び起きる可能性を減らすことがないどころか、むしろテロの可能性を高めたからです。当時、毎日のようにテレビでテロ危険アラームが表示され、アメリカが武力行使すると決まると、黄色からオレンジ、ときに最高の危険度を示す、赤へとアラームが変わりました。武力行使は、決して市民の安全を守れないのです。

 最後に、戦争をする国は憲法、とくに国民の権利を定めたアメリカでは、Bill of Rights と呼ばれていますが、憲法上の国民の権利を侵害するからです。わたしが参加していたtake back the future では、このBill of Rights 「権利の章典」を守れ、というのが一つの大きなスローガンでした。

 ところが、ブッシュ政権は、こうした市民たちの反対の声にもかかわらず、2003年3月にイラクに対して宣戦布告をします。大量破壊をフセイン政権は開発しているという、21世紀最大のでっちあげだとわたしは考えていますが、同時多発テロとはなんの関係もない、イラクに戦争をしかけたのです。

 そして、戦争が始まると、いっきに反対する市民の声はメディアからもなくなり、社会的な自粛がアメリカを覆い始めます。このときのアメリカメディアの自粛、それは、どこかの文化人を呼んだ最近の勉強会で政治家が発言したように、スポンサーがなくなる恐怖から、メディアは自主規制をし始めます。

 この自粛の圧力を生んだのは、戦争遂行中に戦争を批判する者は、戦争の犠牲となった英雄である兵士を貶めている、という主張です。つまり、国のために命を賭け、実際に命を落とす兵士を侮蔑することは許されない、という認識が広がりました。戦争で国のために犠牲になる兵士が出れば、犠牲を強いている戦争自体も批判できなくなるのです。

 いま、安倍政権は、自衛官のリスクについて、しぶしぶ認めるような態度をとっていますが、彼らはむしろ、国のために命を捨てる国民を欲しているのだと、わたしは考えています。

 ですから、安倍は靖国神社の参拝も欠かせません。戦争による犠牲者を英雄視する行為は、戦争に対する批判を封殺することができるからです。そして、国のために犠牲になる国民、国家のために存在する国民という、立憲主義をさかさまにしたような国家主義がそこに完成します。実際、安倍晋三は、アメリカと同等なパートナーシップを結ぶためには、日本人も血を流す必要があると、著書では語っています。

 国家は、個人の尊厳を守るためにこそ存在しています。国家のためにわたしたちは、生きているのではありません。立憲主義を手放さない、つまり、戦争も許さない、そして、わたしたちは安倍政権を許さない。この一点で、今後もさらに強力な声を挙げていきましょう。

「安全保障関連法案に反対する学者の会」呼びかけ人
 同志社大学教授 岡野八代

 
安倍政権の集団的自衛権にもとづく「安保法制」に反対するすべての人からのメッセージ