百人百話|各話リスト 第一期(テキスト版)

百人百話 第一期 (第一話〜第三十話) 内容紹介

第一話 佐藤早苗さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/01satosanae/
「何でこんなに避難することが難しくなっているのか」
福島市飯坂町在住。40代。主婦。公務員の夫と、大学生・高校生の子ども2人の4人家族。できれば子どもたちだけでも実家のある岩手に避難させたい。けれど国や県の情報を信頼する夫とは危機感に差があり、避難させられずにいる。このまま福島で復興に向かおうという気持ちと、チェルノブイリの事実を受け止め、現実を見なくてはという思いとのはざまで悩む。除染に希望をつなぎつつ、地元の幼い子どもたちの無事な成長を願っている。
2011年8月17日撮影/2011年11月7日配信

第二話 長野寛さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/02nagano/
「失ってわかった、豊かな土地・福島」
大阪・東京での17年間のサラリーマン生活の後、自然農をめざして3年前に福島に移住。妻と娘の3人家族。震災後、北海道から鹿児島まで、農業のできる安全な移住先を探して回った。地形や日当たりや降雨量から見て、いかに福島が豊かな生命力に恵まれた土地だったかを実感し、悔しかった。原発は、人間の生活だけでなく自然をも破壊する。事故は二度と起こしてはいけない。責任をとることなく、再稼働を進める人たちに怒りを覚える。
2011年8月18日収録/2011年11月8日配信

第四話 トシユキさん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/04toshiyuki/
「父ちゃん、なんで福島なの? 俺、結婚できるかな」
いわき市在住。50歳。自営業。両親、妻、高校生と小学生の子ども2人の6人家族。埼玉県に一時避難したが、家族がこれまでいわきで築いてきた人間関係や地域コミュニティ、長男としての役割を考え、いわきに留まることを決めた。線量や食べ物に気をつけながら日々暮らしている。「結婚できるの?子どもは産めるの?」という子どもたちの言葉が忘れられない。なぜ、電気のために苦労しなければいけないのか。原発はもうご免だ。
2011年9月27日収録/2011年11月10日配信

第五話 アンナさん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/05anna/
「自分が夢を捨てられないんです」
福島市在住。29歳。小学生と園児、4人の子どもをもつシングルマザー。現在職業訓練中。子どもたちの将来を考えると、すぐにでも避難したほうが良いと思う。けれど知らない土地で、ひとり育てていけるのかと考えると、不安が先に立つ。避難することで県の援助が打ち切られ、学校に通えなくなれば、就職のチャンスも失う。自分の夢を捨てたくないという思いと、親としての責任が果たせていないのではという思いに、自分を責めてしまう。
2011年8月25日収録/2011年11月11日配信

第六話 紋波幸太郎さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/06ayanami/
「妻の出産、情報に翻弄されて・・・・・」
いわき市在住。30歳。飲食店経営。妻と2011年7月生まれの子との3人家族。事故当時、妻は妊娠6ヶ月だった。流産の後、やっと授かった子を無事出産するにはどうすれば良いのか。悩み続けた。一度は他県に避難したが、生活の基盤があるいわきで出産・育児をしたいという妻の希望で自宅に戻った。生まれた子どもの将来を思うと不安は尽きないが、補償もなくすべてが自己責任で片付けられるなか、動けずにいる。いまは、生きていくうえでの安心がほしい。
2011年9月27日収録/2011年11月14日配信

第七話 鹿目久美さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/07kanome/
「福島と神奈川、娘と往き来する中で」
安達郡大玉村在住。主婦。会社員の夫と5歳の娘の3人家族。神奈川県生まれ。結婚を機に福島県へ。事故後、発熱や皮膚疾患といった娘の体調が心配で、実家のある相模原市に避難したが、4月の入園で自宅に戻った。地元行政は放射能対策に積極的だが、健康への影響を考え、再度実家に母子避難した。避難をめぐって被害者同士が傷つけ合うのは腑に落ちない。責められるべきは国や東電のはず。人には健康的に暮らす権利があると思う。
2011年8月25日収録/2011年11月15日配信

第八話 島村守彦さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/08shimamura/
「とにかく南に逃げろ! 100㎞以上逃げろ!」
いわき市在住。出身は兵庫県。53歳。自営業(自然エネルギー)。母親と2人暮らし。阪神淡路大震災に遭遇したのを機に、悔いのない生き方をしようと思うようになった。たまたま転勤先となった福島が気に入り、8年前にいわきで独立開業した。仕事がら東電社員には知り合いも多く、事故直後にはすぐに逃げろと連絡も受けた。故郷に戻ることも考えたが、自分を信頼し受け入れてくれたこの地で、自分のできることをしようと留まることにした。
2011年9月28日収録/2011年11月16日配信

第九話 有馬克子さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/09arima/
「なんでこんなに無防備なの?」
須賀川市在住。52歳。夫、夫の両親、母親、子ども5人の10人家族。穀物菜食レストラン経営。原発の危険性を考えると、末娘だけでも県外に避難させたい。けれど危機意識の差により、舅姑から心配し過ぎと言われ果たせずにいる。地元農家でも、責任をもって出荷できないと歎く有機農家の一方で、出荷の可否に一喜一憂する農家もある。そうした現実を前に、何より自分たちの土地が汚染されてしまったことに、悲しみと怒りを感じる。
2011年9月16日収録/2011年11月17日配信

第十話 遠藤浩二さん(DJ mambow)
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/10mambow/
「気がついたら20㎞圏内にいた」
郡山市在住。35歳。DJ、東北関東大震災支援隊本部“BOND&JUSTICE”のメンバー。妻と子ども3人の5人家族。事故直後、いわきを中心に炊き出しや物資の配達に音楽仲間と走り回る。5月末、子どもが通う郡山の小学校に掛け合い、線量測定を実施したところ、「はかるくん」と持参した最新鋭のガイガーカウンターとの数値の違いに驚く。避難は自分で判断するしかない。子どもの将来を思い、後悔だけはしたくないと妻子を新潟に避難させた。
2011年9月1日収録/2011年11月18日配信

第十一話 志田守さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/11shida/
「なんでもないことを奪われている」
郡山市在住。60歳。学習塾経営。妻と子ども2人の3人家族。福島の子どもたちを疎開させようと、「ハーメルン・プロジェクト」を立ち上げる。妻子の避難先である岡山県と郡山を往復しながら、事故により家族が分断されたことに怒りを覚える。原子炉を作っている会社の製品は買わない、原発を推進する政治家には1票を投じない。ささやかだが、意識して判断することが必要だと、機会あるごとに人に話す。いま、ひとりひとりの考え方、生き方が問われていると思う。
2011年9月1日収録/2011年11月21日配信

第十二話 サチコさん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/12sachiko/
「メルトダウンて、今さら言われても」
いわき市在住。主婦。会社員の夫と子ども2人の4人家族。いったんは猪苗代に避難したが、小学校入学を機に自宅に戻った。線量は気をつければ生活できるレベルと判断し、家族がバラバラになるよりはとそのまま一家で自宅に暮らす。情報を後出しにする国と東電、真実を伝えないマスメディアに怒りを覚える。同時に、氾濫する情報をどのように精査すれば良いのかとも悩む。専門家には、科学的データが意味するところまで解説してほしい。
2011年8月24日収録/2011年11月22日配信

第十三話 タネイチヤスユキさん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/13yasuyuki/
「僕だったらヨウ素剤を配っていた」
郡山市在住。46歳。開業医(整形外科)。妻と両親と娘3人の7人家族。事故直後に始めたツイッター情報を頼りに、新潟経由で金沢に一時避難した。チェルノブイリ事故が脳裏をよぎり、4号機の爆発時には、娘たちの将来を悲観した。医師とは、人の健康を守り、人命救助を何より優先する仕事のはず、政治は二の次だ。自然農法による食べ物からの体質改善という理想の医療を、この福島から発信したかったが、今回の事故でその夢は潰えた。
2011年9月1日収録/2011年11月24日配信

第十四話 比佐千春さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/14hisa_noface/
「マスコミと同じく、私自身もなぜか自主規制してしまう」
東京在住。いわき市出身。47歳。マスメディアとネット情報の違いに気付き、姪や甥の避難に奔走した。震災を機に、故郷福島は自分を形づくる一部、大切な場所だと気付いた。実家に戻ろうかと迷うなかで、もしかしたら福島の内と外、橋渡し役ができるのは自分のような人間なのかもしれない。ならば、いまも被曝し続けている多くの子どもたちの力になれるよう、県外にいるからこその支援を考えていきたい。そう思い始めている。
2011年8月23日収録/2011年11月25日配信

第十五話 小堀健太郎さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/15kobori/
「同じサーファーでも、意見も行動も分かれる」
いわき市在住。29歳。仮設住宅建設に従事。趣味はサーフィン。3.11は旅行先のオーストラリアにいた。テレビに映し出される映像を見ても、実感は湧かず、信じられない思いだった。ショックで悲しくて、家族の無事をひたすら祈った。帰国してからはずっと、線量が頭から離れない。数値が高いとマズイと思うものの、いちいち気にするのも面倒になってきている。長男でもあり地元は好きだが、いずれはこの地を離れようと思っている。
2011年9月25日収録/2011年11月28日配信

第十六話 齋藤英子さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/16saito/
「ママは帰っていわきを守って」
いわき市在住。出身は兵庫県姫路市。51歳。幼稚園園長。夫と高校・中学2人の子どもの4人家族。姫路の実家に一時避難後、職場再開に伴い夫と自宅に戻った。保育環境の安全に努めることが、結果的に避難の妨げになってはいないか。5年10年後を思いジレンマを感じている。母として、そばに居てやれない申し訳なさを思いつつ、いまは子どもたちの励ましを力に、彼らを育んでくれた福島で自分なりの社会的責任を果たそうと思っている。
2011年9月28日収録/2011年11月29日配信

第十七話 吉田幸洋さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/17yoshida/
「三代にわたらないと、復興は成しえないんじゃなかろうか」
いわき市在住。62歳。娘4人はすでに独立し、現在は妻と2人暮らし。長年携わってきた水産業は、震災により打撃を受け、再開のめどが立たない。自然に恵まれたこの美しい風土を早く元に戻したいが、果たしてそれはいつのことになるのか。互助の精神が深く根ざした故郷への愛着は強い。子や孫の安全や健康を考えれば、避難させたほうが良いと思いつつも、彼らの若い力が地元の復興に活かされることを期待してしまう。
2011年9月28日収録/2011年11月30日配信

第十八話 佐々木慶子さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/18sasaki/
「シニアが頑張るしかないんじゃないかな」
福島市在住。60歳。元教師。子どもは独立し、現在は夫と2人暮らし。「ふくしまWAWAWAの会」代表。「沈黙のアピール」呼びかけ人代表。3つのWAは「環・話・和」の意味。対話による平和的手段での問題解決をめざす。理想は共存を超えた共栄。若い人たちは避難してほしい。自分たち世代には、こういう環境にした責任がある。このまま生涯現役で、会いたい人がいて、お気に入りの場所があるこの福島で、自分なりの役割を果たしていきたい。
2011年10月14日収録/2011年12月1日配信

第十九話 植木宏さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/19ueki/
「僕たちは無力じゃない、微力なだけだ」
郡山市在住。40歳。「はっぴーあいらんどネットワーク」世話人。妻と子ども2人の4人家族。子どもたちの健康被害を思い、妻を説得して松本市への母子移住を納得させた。松本では安全な水、食料、空気、自然のありがたさを実感し、のびのび過ごす子どもたちの姿にホッとしている。救援活動のなかで、命優先、子どもたちを守ろうと、ネットワークを立ち上げた。子どもたちは大人の背中を見ている。1人1人が動くことの大切さを伝えたい。
2011年9月1日収録/2011年12月2日配信

第二十話 千葉由美さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/20chiba/
「孤立している人をつなげたい」
いわき市在住。42歳。会社員の夫と子ども3人の5人家族。震災後「放射能から子どもを守る福島ネット-ワーク」の測定班として活動している。口を閉ざす周囲の親たちは、健康被害をどう感じているのか。不安を抱えつつ、孤立を恐れて横並びの行動をとりがちな母親には、子どもを守りたいのなら声を上げるのは当然のことと伝えたい。今回の事故は、従来の社会システムをかえるきっかけになる。希望をもち、諦めずに動こうと思っている。
2011年9月27日収録/2011年12月5日配信

第二十一話 手塚雅孔さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/21tezuka/
「故郷を廃墟にしたくない」
郡山市在住。43歳。病院勤務(ソーシャルワーカー)。看護師の妻と子ども2人の4人家族。医療関係者でも、放射能のリスクについては意見が分かれる。子どもたちを避難させたいが、妻を説得することができない。親として、子どもが大切という思いは同じなのに、ついつい対立してしまう。都会とは異なる地縁血縁の強さを前に、愛する身近な人たちを傷つけまいと発言を躊躇う。けれどそれは、優しさではなく、自分の弱さではないのか。そう思い始めている。
2011年9月1日収録/2011年12月6日配信

第二十二話 渡部信一郎さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/22watabe/
「お山というのは自分の命と同じなんだ」
三春町在住。56歳。郡山市で創業80年の家具商店「La Vida」を営む。妻と娘3人との4人家族。自身は店舗に留まるが、娘やスタッフ、お客さんも含めた疎開計画を考えている。原発は、何千年と続いてきた木の文化を根絶やしにする。東電への怒りもあるが、いまを生きる大人たちが、自然への感謝を忘れてはいないか。山は活力の源だ。その感受性を取り戻せるのが福島であり、そこに日本再生の可能性もあると思う。
2011年10月16日収録/2011年12月7日配信

第二十三話 佐藤幸子さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/23sato/
「戦場の中に子どもは置いてはいけない」
伊達郡川俣町在住。53歳。夫と営む有機栽培農家「やまなみ農場」の傍ら、福祉事業、ヘルパー派遣業も営む。「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」世話人。子ども4人。チェルノブイリ事故から、原発について学ぶようになった。今回の震災で、福島は戦場になったと思う。子どもを守れないのに「安全な原発」を言うのは卑怯だ。先祖代々の土地に愛着はあるが、いまは子どもを助けること、次の世代に命を繋ぐことを優先したい。
2011年10月13日収録/2011年12月8日配信

第二十四話 宍戸慈さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/24shishido/
「朝7時、放送が終わった瞬間で泣いているんです」
郡山市在住。27歳。ラジオのパーソナリティー、情報誌の企画編集。事故直後、震災の状況をラジオから伝え続けた。リスナーの増加に、情報が求められていること、責任の重大さを感じた。「作物も恋愛も地産地消」という言葉に、そうだなと思う。震災への認識の違いが、恋人同士に亀裂を及ぼすこともある。被曝したから県外の人と結婚できないということではなく、同じ極限状況をともに体験した福島の人と、一緒になりたいと思ったから。
2011年9月1日収録/2011年12月12日配信

第二十五話 阿部留美子さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/25abe/
「「故郷を捨てるのか」と言われながら、避難して・・・・。」
伊達市出身。31歳。4歳の子をもつシングルマザー。新潟に避難中。放射能に関して周囲の意見は真っ二つ。危ないから避難した方が良いと言う人と、大丈夫だよという人と。大丈夫にも温度差がある。避難するときも、「福島を捨てるんだね」と言われ、キツかった。国民を守るのは国の義務。けれどいまその義務は果たされていない。除染は国が率先して行うべきことのはず。いつか娘と、福島に戻ってこられる日がくればと願っている。
2011年8月17日収録/2011年12月13日配信

第二十六話 田口葉子さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/26taguchi/
「3.11まで原発のことは何も知らなかった」
いわき市在住。43歳。美容関係。会社員の夫と子ども1人の3人家族。5月の連休まで母子で筑波方面に避難していたが、情緒が不安定になりつつある子どもを思い、自宅に戻った。学校側は「安全」と言うが、不安は拭えず弁当を持たせている。食材の汚染状況を口にすること自体がタブーとされるなか、心配し続ける自分がおかしいのかと思えてくる。情報格差によって安全性への認識が異なり、友人との間にも壁ができているように感じる。
2011年9月27日収録/2011年12月14日配信

第二十七話 高村美春さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/27takamura/
「お墓は警戒区域内に・・・・、今はお墓参りすらできず」
南相馬市出身。43歳。3人の子を持つシングルマザー。週末は山形市に避難。事故直後、何も知らずに高線量地区を逃げた。すでに父母はなく、妹弟も他県に避難したため、元夫に子どもを託した。その時は、二度と一緒に住めないかもと泣いた。風花が舞う美しい故郷も、以前は田舎と嫌った。けれどいま、見知らぬ人ばかりの避難先から戻り、知った顔に出会うとほっとする。そうした懐かしい故郷を、子どもたちにも残してやりたい。
2011年11月26日収録/2011年12月15日配信

第二十八話 黒田節子さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/28kuroda/
「映像は嘘をつかない、本当に怒ったようには写りませんね」
郡山市在住。61歳。震災前は保育士。自治労でニュースペーパーを発行。震災後、周りを見れば「360度の困難」、避難するもしないも、どちらも地獄なのに、知事が見せた東電への怒りはパフォーマンスのようだった。これからを生きる子どもたちに、大人は責任がある。幼い子を抱えて留まっている母親たちの不安をまずは取り除くことが大切だと思う。放射能が降って、故郷はこんな良いところだったのかと改めて気付いた。本当に悔しい。
2011年10月14日収録/2011年12月16日配信

第二十九話 武藤類子さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/29muto/
「「見えない柵」が張られている」
三春町在住。58歳。夫と母親の3人家族。経営していた喫茶店は、安全な料理が出せないからと閉じた。廃炉活動のひとつとして「女たちの座り込み」を企画した。私たちは「止められる」というメッセージを実感できたらと考えた。働く人を含め、原発には差別的な構造がある。利権も絡む。けれど震災により世界はかわった。自分で考え決断し行動する。それが社会をかえていく。隣人と語り合うなかから新しい社会が生まれてくればと願う。
2011年10月14日収録/2011年12月19日配信

第三十話 大塚愛さん
http://iwj.co.jp/feature/100100/list1/30otsuka/
「つながって生きていればいい」
岡山県生まれ。37歳。12年前に農業研修で訪れた双葉郡川内村で大工をしていた。夫と子ども2人の4人家族。事故後もライフラインに問題はなく、好きな場所を離れたくはなかったが、夫に促され岡山の実家をめざした。途中ニュースを見るたびに、怒りがこみ上げてきた。もう帰れないと頭では理解できても、気持ちがついていかず、毎日泣いた。関西以西は震災への関心が薄い。いまはここで伝えていくことが、自分の役目だと思っている。
2011年11月5日収録/2011年12月22日配信

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