山本太郎氏が代表を務めるれいわ新選組の公認候補である大西つねき氏が、YouTube上で自らの政策を語る動画で、ナチス顔負けの「高齢者の命を選別すべき」という発言をした。信じられない発言に、批判が巻き起こっている。

▲大西つねき氏(2019年7月8日、大西氏の個人演説会にて、IWJ撮影)
大西氏の動画は「#大西つねき #ツネキスト #私が総理大臣ならこうする」というシリーズの7月3日にライブ配信された「『正しさ依存症』とそれを生み出す教育について」という回で、下記URLで置かれ7日まで見ることができたが、すでに削除されている。
※Youtubeにあがっている該当箇所抜粋(monbranさん)の動画はこちらです。いつ削除されるかわかりません。ご了承ください。
https://www.youtube.com/watch?v=x7DsNJBX8XY
大西氏は動画で、「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ」と語った。その理由を「介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます」と述べた。
さらに「こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」と、生命の選別を肯定。そして「何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ」と、それが政治であると言い放った。
結論として、「だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」と、高齢者に先に死んでもらうしかないと明言したのである。
「逝ってもらう」とは、寿命が来る前に、まだ生きている人を「殺す」ということである。高齢者の組織的大量殺戮を堂々と宣言したようなものだ。こんなことを「政治」の仕事だと公言する人物が、一度は国会議員を目指して立候補したということ自体に、寒気を感じる(大西氏の該当発言全体は本記事の文末に掲載します)。
<ここから特別公開中>
こうした考え方は、「生産性で人間をはからせない」として、重度障害者の舩後靖彦氏と木村英子氏を擁立し、国会議員として当選させたれいわ新撰組の方針と、正反対の思想のはずである。なぜ、こんなスローガンを掲げた政党に、こんな殺人煽動を公然と行う人物がまぎれこんでいたのか? これは果たして偶然なのだろうか?
大西氏は自らの考え方を「超本当に合理主義」などと表現したが、生産性の落ちた高齢者から、順番通りにジェノサイドする思想が「合理的」であるというなら、戦前のナチスや大日本帝国で猖獗をきわめた「優生思想」以上にそれは「合理的」で、はるかにおそましい。。
岩上安身は、本件に関して、こたつぬこ氏のツイートを以下のように引用リツイートした。
「いずれにせよ、大西氏は説明すべきだし、誤解があるならば解くべきだし、れいわも説明責任がある。『こたつぬこ@sangituyama なお、立憲、国民、共産、社民、公明党の議員や議員候補が大西つねきの今回の発言をすれば、ただちに辞職勧告か除籍です。維新ですら長谷川豊を公認取り消ししました。自民党はともかく、これが政界の常識です』」
代表の岩上の指示で、7日、IWJのスタッフは事実確認から動いたが、調査を進めてゆくうちに「誤解」のしようもない、本当にミもフタもない発言を大西氏がしていることが、ほどなく明らかになった。冒頭に記した通りである。
大西氏はYouTubeを削除したが、その内容をIWJでは記録し、文字起こししている。その内容を読むと、ナチスや大日本帝国以上に、「生産性で人間をはかる」態度があからさまで、むき出しであり、人を殺す思想を隠そうともしていない。それが「政治」なのだ、とも言いきる。大西氏は自分の思想を何もぼかしていない。
IWJでは、スタッフの一人が7月7日、大西氏の問題発言に関して、れいわ新選組の山本太郎氏のメディア担当である吉度氏に問いあわせた。その結果、「メールを送れば必ず回答する」と返答をもらった。そこで午後8時頃までに、、れいわHPの問い合わせフォームと 吉度氏のメールアドレス宛てに、以下のメールを送った。
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れいわ新選組
吉度様
先程はお電話にてご対応いただきありがとうございます。
以下の動画の51分頃からの発言が、「高齢者の命を選別するものである」と各方面から批判がでていることはご承知のことと存じます。
https://www.youtube.com/watch?v=whuSV-Uq2_A
これまで障害者や難病をもつ方々を国会議員として当選させてきたれいわ新選組は、このことをどうとらえてるのでしょうか?
IWJでは、大西氏本人含め、その意図と責任について記者会見を開いて説明する必要があると考えますが、そのようなご予定はありますでしょうか。
ご回答お待ちしております。
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その後7月7日中に、れいわ新撰組からIWJへの回答はない。都知事選の時の対応と同じである。あの時も「質問をメールで送れば回答する」と電話口で回答したため、メールを送ったが回答も連絡もなし。しかし、我々の質問に対する回答とおぼしき文章が、アナウンスもなくサイトのQ&Aに上がっていた。しかし、我々に対しては「このQ&Aをご参照ください」という連絡ひとつ、れいわ新撰組からはなかった。
今回も、我々のメールへの回答はなし。そのかわりに、同日夜、れいわ新選組のホームページに、代表の山本太郎氏の名義で以下の声明が発表された。
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大西つねき氏の動画内での発言について 2020年7月7日
大西つねき氏の動画内での発言は、
れいわ新選組の立党の精神と反するもので看過することはできない。
一方でそのことによって、
大西氏を除名するという判断はこちらにとっても簡単なことではあるが、
それでは根本的な解決にはならない。
多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考えに、
光が当たったことを今回はチャンスと捉え、
アジャストする責任が私たちにはあると考える。
この作業は、
「何度でも人生をやりなおせる社会を構築する」
という理念をもつ私たちにとって、重要な意味を持つ。
大西氏には、命の選別の問題に生命尊重の立場から、
取り組んでいらっしゃる方々にレクチャーを受けて頂き、
命について真摯に向き合うチャンスを与えたいと思う。
人は変われる。
私はその力を信じたい。
れいわ新選組 代表 山本太郎
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さらに、大西つねき氏本人が以下の釈明を公表した。
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7月3日の動画での発言について
2020年7月7日
私の先日の動画での発言について謝罪と撤回をしたいと思います。
私は7月3日の自身の動画チャンネルにおいて、「命の選別が政治家の仕事」という政治家としてはあるまじき発言をしました。この考えそのものが、従来の障がい者や社会で苦しんでいる人々へのケアを不十分なものにする元凶であり、「命の選別をやめよう」というれいわ新選組の結党の精神とは真逆の主張であったと、自分の発言の愚かさを深く痛感しております。今回の発言で命の選別に正面から取り組まれている船後議員、木村議員ならびに多くの当事者の方々はもとより、全ての人々に深く謝罪すると共に発言を撤回いたします。
代表からは、「命の選別」の問題に真正面から取り組んでおられる当事者の方々の声をしっかりと聞くべきとの指摘を受けました。自分の考えの浅はかさをより自覚し、新しい自分に生まれ変われるように努力したいと思います。
※なお、当該動画については、発言撤回と共に公開停止にいたしました。
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- 7月3日の動画での発言について(大西つねき公式ウェブサイト、2020年7月7日)
しかし、こたつぬこ氏がツイートしたように、こうした発言をすれば「ただちに辞職勧告か除籍」が「政界の常識」のはずである。山本太郎氏は、究極のヘイトスピーチともいえる今回の大西「命の選別」発言を許し、れいわ新撰組をどこに進めようというのだろうか。
こんな生ぬるい処置と、こんな薄っぺらい謝罪ひとつで、誰が「はい、そうですか」と信じ、許し、受け入れることができるだろうか。
大西氏は謝罪のコメントが、「政治家としてあるまじき」というが、そもそも大西氏はまだ「政治家」を続けるつもりなのだろうか!? その神経が理解しがたい。
また、政党に所属させておく、山本太郎代表の判断も理解しがたい。体面上、大西氏の口を封じ、形だけ謝罪や撤回したところで、大の大人の頭の中や腹の中が半日やそこらで変わりうるものか。
また、その程度で変わるほど、薄っぺらい頭の中身だったのなら、同じその頭で、金融についての理論を開陳していたのも、中身は相当に怪しいと疑ってみるべきだろう。
大西氏は、当然、政界はもとより、言論界からも去るべき人物である。一度吐いた唾はのみこむことはできない。60代以上の世代にとっては他人事ではない。「いずれ死んでもらう」と言われた言葉と、言った人物を誰が忘れられるだろう。
大西氏の言動を、こんな甘い態度でかばった山本太郎氏にも強い疑いを抱く。大西氏を見出して、れいわの公認候補にすえたのは、山本太郎氏である。その、人を見る目のなさ、その判断力の甘さについて、山本氏は真剣に反省しているだろうか。
山本氏、大西氏の両者とも、オープンな会見を開いて臨むべきである。
高齢者ヘイトは、現代において、目立たず、しかし静かに進行している危険思想である。数年前、すべての社会矛盾を高齢者の存在に押しつける漫画がベストセラーになったことがあった。大西氏の発言は、高齢者ヘイトから何歩も先に足を踏み込んでジェノサイドまでを肯定する。自分たちから見て邪魔なものは容赦なく殺す。オウムのポアと何が違うのか。
この大西氏の発言が話題になったあと、ネット上ではさまざまな意見が行き交った。岩上安身は、それらを引用して以下のようにリツイートした。
「大西つねき氏は、56歳。あと20年もすれば、自分も命の選別をされる側になる。そういう社会でいいのか、と問いかけるべきなのに、はっきりと命の選別をすべきだと言い切った。自分だけは殺される側に回るのではなく、延命する側に回ると思っているのだろう。この男だけはを政治権力者にしてはいけない。
引用ツイート『ミント♪@lady_green7 ナチズムですよね…いくら撤回しても彼の考えがすぐに変わるとは思えない。彼は自分は高齢者と思ってないみたいだけど何歳なんでしょう。こういう人は自分は別なんですね。』」
「自民党議員の不祥事の際の謝罪文と似ていますね。発言の中身に立ち入って、何をどう間違えたのか、腑分けするべきですか、何も分析していない。高齢者ヘイト、高齢者差別は、大西つねき氏の発言以前から、伏在しており、今後より大きな問題となる社会的問題です。そのことを誰もが直視するべきです。
引用ツイート『kaz hagiwara(萩原 一彦)@reservologic 大西氏は直後に、謝罪文 https://twitter.com/tsune0024/status/1280508610536243201 を出して動画を公開停止したのだけど、謝罪文の中身に僕は納得していない。彼は彼の発言の趣旨以外のことについて謝罪して場を収めようとしているように僕には見えている。この一件はれいわ新選組の存在意義に関わる問題を含んでいると僕は見ている。』」
「私は同意できません。命は、それぞれに固有のものであり、それぞれの意志が尊重されるべきです。十把一絡げのこうした雑な議論が横行すること自体、非常に危惧を覚えます。大西つねき氏の発言がこんなことを日常で口にする契機になったのだとしたら、やはり徹底的に批判されるべきだと思います。
引用ツイート『wanpakuya(ヤマカワトモコ)@wanpakuya 「延命治療」は本人と家族にとって厳しいものだと元医療従事者の友人から聞いたのは10年程前でした。辛くて見てられない、友人はそう言いました。あれは、病院と医療器具会社(世界規模でしょう)の儲けの為。不自然な生かされ方です。言うなれば寿命の改ざんかと。』
「人が生まれる、人が病む、人が老いる、人が寿命を迎えて死ぬ。その過程を「社会にとって不要な人を死なせる」という人為的操作を加えて「解決」する、という考え方そのものが根本から間違っている、と思えるのか、思えない・思わないのか。その間に妥協はあり得ません。私は断固として前者に立ちます。
引用ツイート『みなとかおる@ディストピア小説「令和のUWASA」@minatokaoru 大西つねき氏の発言の動画、最後の方で「高齢者の方から先に逝ってもらうしかないです。」と言って、にやっと笑う表情が怖いです。高齢者の介護や看護の負担が若い人や家族に重くのしかかっていることは事実ですが、それを予算の配分で解決するのが政治家の役割ですよね。』」
「全くその通りです。完全に地続きの考え方です。そうした思想を認めるのか、認めないか、どちらかで、中途半端はあり得ません。「障害者殺しはまずいけど、老人の始末はOK」とか、「障害者は殺していいが、老人は生かしておくべきだ」とか、成り立ちません。生存権は、普遍であり、妥協はあり得ない。
引用ツイート『Mizukata Utsuwa@revival0222 令和支持ですけど、大西さんのこれが認められたら相模原障害者施設殺傷事件が認められてしまう事になりますよね。』」
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以下は、大西つねき氏の発言の文字起こしである。
#大西つねき #ツネキスト #私が総理大臣ならこうする
「正しさ依存症」とそれを生み出す教育について(Live配信2020/7/3)
50:00頃から
高齢者はこわいんですか。高齢者は逆にあれですよ、もうなんかそんな長くないじゃないですか。これもだからどこまで長生きしたいのかっていう話。これはまたね、講演会では結構ハードな話しますけど。
あれですね、リスクは常にあるし、死ぬ原因はいくらでもあるので、それをどう考えるかですね。
高齢者は死んでいいのか? 高齢者は死ぬ確率は高いし、そもそもね。その話しましょうか。どこまで、その高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。
なんでかって言うと、今その介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者をちょっと、とにかく長生き、死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。
どこまでその高齢者をもうちょっとでも長生きさせるために、子供達、若者たちの時間を使うのかってことは、真剣に議論する必要があると思います。
こういう話多分政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。
何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題として多分無理なんですよ。だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです。
そうなんですよ。これ本当ね、死生観の話になると思いますよ。いつまで我々はもうひたすら長生きさせるために、どれだけ自分たちの時間と労力をそれに使うのかっていう話は、みんなが考える必要があるし、皆が必ず死ぬということを覚悟する必要があるし、そこはもう避けては通れないと思いますよ。
こういう、だから、なんでしょう、本当に歯に衣を着せずに言う奴ってのは、まあね、批判を受けるし、なんだかんだ言われるんですけど、なんか、これなんか日本人的な感覚ぼく全然ないんです、はっきり言って、そう言った意味で言うと。
何かこう、そういうこと言ったら、誰がどう思われるかとか、どんな気持ちがするかとか、そんなこと全然考えてないです。それはそういう風に考えるしかないんじゃないのっていうのは、そのままですね、ぼくは。
超本当に合理主義っていえば合理主義です、そういった意味で言うとね。
高齢者自身の選択。もちろんそれぞれの選択はあるんですけど、それぞれの選択っていうか、やっぱりシステム的に変える、システム的っていうか、その、例えば、本人だけの選択ではなくて、社会的な選択ってある程度していく必要ってあるじゃないですか。
ベッドどれだけ用意する、ベッドをどういう風に、例えば数が、もうとにかく全員に、何があっても足りるようなベッド数を保つということは、それをケアするための膨大な多分若者が必要だったりして。これもどこまでもやればいいって話ではなくて、どっかである程度、数とかね、そこら辺は選択する必要がありますよね。
でそれも、冷徹にやっぱりやらきゃダメだと思いますよ。何かすごいね、情緒的なんですよ、この国は、言わせてもらうと。感情的だし情緒的だし、でもそんなもんで物事多分決めていけないと思います、それだけだと、というふうに思います。
まあいいんですけどね、それぞれ考えがあってね。でも僕はそういう政治家になると思いますよ。結構冷徹にいろんなことを判断していく。それを考えることを僕は要求すると思います。なんか感情とかじゃなく。
そうじゃなくて、あの気持ちは分かるけど、その気持ちだけで全部解決するわけではないので、結構割となんか過去において、我々ってそういうなんか情緒的な判断とか感情的にとか、頑張って人がいるからそんなことを言うなとか(笑)、あとはなんでしょ、なんか一生懸命やってんだからどうとか、そんなんで、なんか割と戦争があんだけ長引いたのも、なんかそんなような、何でしょう、合理的な判断ができなかったからなんじゃないですかね、と思いますけど。
まあね、あの、寿命はもしかしたら、そうね、おっしゃる通り、もしかしたら縮むかもしれませんね、我々の世代にはね。なんか食べてるもんとかだいぶ違うような気がしますからね。
まあそんな奴ですということも、僕も包み隠すつもりもないので、言っちゃいますけど。それで選ばれなかったら、それはそれまで。かなりそういった意味で言うと、僕はなんかあまり日本人的ではないのかもしれません、おそらく。なんかそういうちょっと情緒的なところはあまりないですね、全くないので。
命のためと言いながら、個人の尊厳を奪ってることが多いように見えるって、僕もそんな気がしますね。難しい、そう、ほんと難しい問題なんですけど、難しい問題をちゃんと我々、正面切って考える必要ありますよね。
で、考えることを僕は皆さんに、考えてもらうための発信はたぶんすると思います。結局最終的に皆さんにやっぱ決めていただく必要があるんですよね。僕が決めることじゃないですよ。僕はこう思いますよって、どう思いますかっていう、あくまでもこれ投げかけなので。
その結果、とにかく長生きが一番っていう人たちが大勢だったらそういう風になるんでしょ。たぶんそういう人たちが大勢だったら、僕は選ばれないのかもしれませんけど。それはそれ、僕の考え、それぞれ考えがあっていいということですね。
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藤田と同じ正義マンリンチですね。不快でした。
たしかに大西氏の今回の発言は看過できない内容です。
しかし、現政権はそれ以上に弱い者を追い込む政策をすすめているのも事実ではないでしょうか?
そこには何も言わず、弱い政党を責め立てる姿勢はジャーナリストとしていかがなものでしょうか?
大西つねき氏の発言内容にも違和感があるけど、この記事の論調にも違和感を感じる。
”「逝ってもらう」とは、寿命が来る前に、まだ生きている人を「殺す」ということである。”
という断定は解釈が飛躍し過ぎに感じる。
「逝ってもらう」という表現には、個々の尊厳死選択の自由を認めるとか、過度の延命措置をせずに、より自然死に近い形を是とするとかいう意味で使うこともあるだろう。
大西氏の本音として、果たしてどのような意味で言ったかは判らなが、少なくともここに掲載されている文字起こしの文面を見る限りは「殺す」とは言ってないし、大西氏のその後の発言内容、
”難しい問題をちゃんと我々、正面切って考える必要ありますよね。
で、考えることを僕は皆さんに、考えてもらうための発信はたぶんすると思います。結局最終的に皆さんにやっぱ決めていただく必要があるんですよね。僕が決めることじゃないですよ。”
という件を読めば、これは現実問題に対する提起であるとも受け取れるのに、そこは完全スルー。
で、これを以て更に
”高齢者の組織的大量殺戮を堂々と宣言したようなものだ。”
と拡大解釈となると、三段跳びのようでまったく理解ができない。
でも、一番違和感を感じるのは、岩上氏のリツイートの引用の件で、
こたつぬこ氏のツイートをわざわざ持ち出したのに”自民はともかく”
という点には一切触れずにスルーって、、、
言い方は悪いけど、所詮、弱小野党の当選経験もない、元候補者の発言なんて大した影響力も無く、
それよりも政権与党のモラル感の欠如の方がよほど重大なはず。
なのにそこには一切触れず大西氏を袋叩きにしているところは、弱い者イジメにしか見えない。
実際、気になって2016年6/17の麻生太郎氏の高齢者へのヘイト発言をこのサイトで検索してみたけどヒットはしなかった。
最も言論の自由を尊重しなければならないはずの報道に携わる会社、人間が、
”大西氏は、当然、政界はもとより、言論界からも去るべき人物である。”
と言い放ち、公平性を欠き、ダブルスタンダードで弱者のみを攻撃する本記事の論調には、
正にこれこそが優生思想的な傲慢さと恐怖を感じる。
難しい問題です。命を守るとはなんなのでしょうね。
たとえば日本では、もう回復の見込みのない意識混濁の高齢老人に対しても、その健康状態や老人本人の意志とは関係なく、まずは医師が機械的に延命し、その後、家族に対して「延命を辞めますか?」と問うことが多いです。
つまり、自然の状態であればただ寿命を全うするだけの人間に対しても、医療関係者、病院、電力、機械などといった限られたリソースを使って、不自然に延命させ、それをやめるためには親族の了解を得る必要があることが多いのです。
言葉を悪く言えば家族に人殺しの容認を強いているとも言えますので、簡単には結論はだせず、その間にリソースが使われ続けるわけです。
(海外では、あらかじめ本人の意志を確かめる制度・文化がある国もあります)。
ただただ「人間の命は大事なものである」という1点だけをお題目にして、その目の前の命を守るために他の命(人生や資源)が犠牲になっているという見方をすることはタブーなのでしょうか。
我々のリソースは無現ではありません。
リソースが有限なのに、そこから全てを得ようとする考え方は、人間の傲慢であろうと思うし、未来のほぼない人間の命だけを大事にするために、未来のある人間の犠牲を強いるというのも一種の暴論であろうと思います。
もちろん、話はその簡単ではないし、逆の意見もあることでしょう。
そして、社会的な課題において「あっちを立てれば、こっちが立たず」である事柄について議論し結論を出さねばらないとき、これを仕切るのが政治家の仕事だとも思いますし、とくに民主主義国家においては、国民が政治について考えることも大事だと思います。
この記事は、このような議論をできない環境に疑問を投げかけることすら狂っているとでも言いたいのでしょうか。
さようなら。ネトウヨ同然のIWJからは去ります。
大西さんの真意をくみ取ってください。 この記事は悪意しか感じません。 姥捨て山に高齢者をということではないと思います。 自然に命が静かに消えていく これが人間の尊厳死ではないでしょうか? 意識がはっきりしない状態で体中にチューブを繋がれ 食べられず。 ご本人がそれでも生きたいというのならばよいのですが、ほとんどの方が意識なく寝たきり状態。 ここで胃ろうをしたり人工呼吸器で生きながらえさせたり、ご自分ならどうしたいでしょうか? 私なら尊厳死を選びます。
大西つねきさんがよっぽど酷い発言したんだろうなあ…と思っていましたが、
問題部分と言われる映像を見て当たり前の発言だと感じました。
日本は老人の寝たきり年数が世界一と云われます。
ここ数年で呼吸器装着や胃瘻などの延命治療を選ぶ家族は少なくなった感がありますが、
その代わりに最近は高齢者にとってリハビリ地獄があると言ってもいいかも知れません。
100歳前後になっても排泄や食事などが最大限自立に近くなるよう
ひたすらリハビリをさせられます。
また、嚥下機能が落ちて誤嚥性肺炎を起こした人は
治療•嚥下リハビリをして食べさせて軽快退院しても数週間後に再び誤嚥性肺炎で入院。
辛い点滴や痰の吸引も繰り返し受けなければなりません。
病院で看護師をしていますが、
「早く死ねばいいのに死ねない。」との高齢者の言葉を度々聞いてきました。
長生きも辛いだろうなあとしみじみ感じる事があり、
大西つねきさんもこうした状況も感じての発言ではないかと思っています。
問題発言と騒がれる事が間違いではないでしょうか。
まず、タネマシンガンさんのコメントを削除しないのは立派だと思います。拍手です。
私は介護離職して5年になる自他共に認める「孝行息子」(笑)ですが、大西さんの発言、
動画を見る限りたいへん共感しましたよ。この政党支持してませんでしたけど、
こういう人なら投票したいと思ったぐらい。
「闇雲な延命ってどうよ」が本旨というのが私の理解で、たぶんこの方、現場でいろんな
事例見てきたんじゃないかな。社会資源の効率性から語っちゃったからそこは
確実にゴメンナサイですけど、なんで除名? 一度の失言で?
貴重な議論の機会をキャベツで封じ込めるのってがっかりだな~。
あと、この方自身が撤回して謝っちゃったんですよね? そこもがっかりでした。
せっかく大きなニュースになったんだから、本人含めもっと突っ込んだ議論したらいいのに。